第5話「風のアイドル」(3)

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 アイドルのトレーニングは、基本的な部分では他の格闘技とそう変わらない。

 特徴的なのはオーラの制御やアイドルエフェクトの練習であるが、これらは多少なりとも観客がいないと成立しない。エンプロの様な大手では、研修生などを観客として自前で賄えるが、中小団体ではそうもいかない。そのため、公開練習やミニイベントなどを積極的に行っていく必要がある。

 とはいえ、それでも限界はある。故に日頃のシャドーアイドリングなど、イメージトレーニングも重要になってくるのである。


 ファウが現在行っている瞑想法 《THE・禅》も、有効なイメトレの一つである。

 倉橋綾羽のアイドルステージや、その基礎を形作ったと思われるサーカスでのアクション。それらの映像をもとにイメージを固め、目を閉じてシミュレーションを開始する。


 時間が圧縮された精神世界にて、推奨回数である108回のステージを終え、ファウは目を開けた。


「どう、いけそう?」

「……普通のやり方では難しいな。狩りでもそうだが、単純な追いかけっこになれば、まず体格で劣るこちらが不利だ」

「けど、今度の相手はただ逃げ回るわけでもないだろ? 積極的に、ギリギリの所まで近づいてきて紙一重でかわそうとする。時に挑発もしてくる」

「確かにそうだ。闘技場時代、怪我を恐れて消極的な試合をする連中も少なからずいたが、そういうのとも違う。ただの引き分け狙いではない。……が、それでも普通にやっていては捕まえられる自信がない」


 悲観的というか現実的な物言いだが、ファウの表情からはあまりネガティブなものは感じられない。


「普通のやり方では……か。じゃあ、普通じゃないやり方もあるわけだ」

「いくつか考えた」

「聞きましょう?」


 毎回、具体的なステージプランを決める際は活発に議論が行われるが、アキラは必ず最初にアイドル本人の意見を聞くことにしていた。トレーナーに頼りきりにならず、自分で考える力をつけさせるためだ。


「まず、試合の直前になって私が脚に怪我をしたという偽情報を流す。あるいはリアリティを出すため、実際に軽く痛めつけてもいい」

「ん!?」

「そしてステージ本番。最初は私も頑張って動き回ろうとするが、次第に脚の痛みによって動けなくなる、という状態を演出する」

「お、おう」

「ここで、相手のエンターテイナーとしての葛藤が起こる。ここで動かなければ引き分けに持ち込むのは容易いが、ステージとしてはあまりに悲惨だ。かといって動けない相手に対し挑発を重ねては観客にヒンシュクを買うことは必至。そこで迷いが生じた一瞬を狙って……」

「ストップ、そこまで」


 いつものごとく、アキラが頭を抱える。

 ファウの場合、自分で考える力については申し分ない。ないのだが、結構な割合でアイデアが明後日の方向に行ってしまうので、アキラは毎度の軌道修正に苦心していた。


「いや、騙し透かしもテクニックのうちだが、やりすぎるのはよくない」

「加減が難しいな」

「勝負事では、相手の嫌がることをし続けるのも確かに大事だが、アイドルはそれだけじゃないんだ。わかるだろ?」

「それはわかる」


 ファウが素直に話を聞いてくれるのが、唯一の救いであった。


「というわけで、そのプランは却下します」

「了解。では、プランBだな」


 淡々と話を進めるファウに、アキラはまたしても大きな不安を感じずにはいられなかった。



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「キャス、今日もお疲れ様」


 綾羽に撫でられ、ライオンのキャスが喉を鳴らす。


「最近かまってやれなくてごめんね。落ち着いたら、いっぱい遊んであげるからね」


 綾羽が、子供をあやす母親のように語りかける。実際、キャスは生まれた時から綾羽が面倒を見ている。親子も同然の関係だ。


「なんだ、ここにいたのか」

「お兄ちゃん」

「あとは俺達でやっとくから、お前はもう寝とけ。明日も大学だろ?」

「うん、ありがとう」


 キャスにおやすみのあいさつをし、ふと兄の方を見る。と、何やら照れくさそうに頭をかいている。


「どうしたの?」

「あ、いや……。お前にも苦労をかけてるなって思って」

「ふふっ。どうしたの、急に?」

「お前がウチの看板背負って、アイドルやってくれて……。お客さんも結構増えてきたし、みんなも喜んでる」

「うん。、やった甲斐があったよね」


 神妙な顔の兄に対し、綾羽はわざとおどけてみせる。

 その顔立ちと振る舞いから、綾羽の女性人気は一際高い。王子様キャラで売り出したことで、ますます女性客の動員は増えていた。


「そうだよなあ……。俺がもうちょっとイケメンだったらなあ……」

「ああっ、そういう意味じゃなくて。いや、お兄ちゃんは十分イケメンだよ?」

「ああ、いや、いいんだ。そういうことじゃなくてな」


 兄は涙をこらえて鼻をすすった。


「色々と順調だから、逆にな。お前にばっかり負担かけてるんじゃないかって、心配なんだよ」

「それは言わないお約束だよ。大学は、私が無理言って行かせてもらったんだし……。アイドルだって、結構楽しんでやってるんだよ」

「そうかもしれんけど、お前、昔っから溜め込むタイプだからな……」

「えー? そんなことないでしょ」


 あくまで明るく振る舞う妹の様子が、なんとなく不安を駆り立てる。


「アイドルのことだってさ。どうせなら、普通にアイドルをやった方が……」

「それこそ、私がフツーに殴り合いに向いてると思う?」

「いや、それは思わんけど」

「でしょ? それに」

「……?」


「普通でいいなんてヒトは、アイドルやろうなんて思わないよ」



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「あ、やっと戻ってきた」

「何やってんですかギリコさん、もうすぐ始まっちゃいますよ」


 ギリコは他の観客の迷惑にならないよう、早歩きでトイレから戻ってきた。


「ばっかやろう、大声で呼ぶんじゃない。変装の意味がなくなるだろ」

「誰も気にする人なんかいませんって」

「そうそう、自意識過剰じゃないですか?」

「お前ら、それひどくない!?」


 後輩達の言葉にショックを受けつつ、ギリコはいつもの不審者モードから、とりあえずサングラスだけ外した。


「いやー。しっかし、ファウは早くもセミファイナルかー。マジで席取れて良かったー」

「ま、全戦全勝ですからね。当然の流れでしょう」

「ギリコさんも、うかうかしてたらリベンジの機会なんて無くなっちゃいますね」

「嫌なこと言うなよ……」




 仙台ラプラスホールは、いつもとは違う熱気に湧いていた。

 かたや、新進気鋭の怖いもの知らずアイドル。かたや、あえて己の道を貫く「戦わない」アイドル。

 この二人が、いったいどんなステージを見せてくれるのか?

 観客の期待は、否応なく高まっていた。


「セラフィックブレイザーコーデ!」

「バレットストリームコーデ!」


 綾羽の衣装のイメージは風と鳥。跳ね回る際の見栄えを重視した構造となっている。


「まさか、こんなすぐに共演できるとはね」

「どうやら、私達は人気者らしい」

「ふふっ、らしいね」


 綾羽が不敵に笑う。


「わかってるとは思うけど、私はいつも通りやるよ?」

「問題ない。対策は練ってきた」

「そう。じゃあ……始めようか!」


 幕開けと同時に、綾羽が駆け出す。

 しかし、相対したファウの意外な動きに、その足は止まった。


(なんだ? あの構えは……)


 両腕を上下に大きく開き、まるで獣の牙を思わせる、拳法の様な構え。今まで見せたことのないその姿に、会場は大きくざわめいた。


「形象拳!? あいつ、何でもやるって……あんな技も使うのか?」


 観客席のギリコも動揺を隠せない。


 形象拳は、動物の形や動きを元にした拳法である。蛇拳、猿拳、虎拳、螳螂拳、荒鷲拳、龍拳――

 ファウが今見せている構え、《オオカミの型》も、広義にはそれに分類されるものだ。


 この構えに、

 しかしこの構えと、ここから繰り出される一連の動作は、この場においてはある意味を持つ。


 アキラも覚悟を決め、黙って見守っている。


(やるんだな? やれるんだな? なら……)


(あとは自分と、ステージと、アイドルを信じろ!!)

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