第5話「風のアイドル」(1)

        1


 大きな破壊があった。


 街が、国が、人の営みが。

 文化も、歴史も、言葉でさえも。

 何もかも、何もかもが、焼かれ、潰され、塵と消えた。


 長い、長い沈黙の時があった。


 やがて、嵐が過ぎ去った。

 人は再び大地を踏みしめ、歩き始めた。


 ほんの、百年前の出来事である。



        2


 アイドルリーグ・6thステージ in 新横浜みなとみらいドーム。


「これでも……喰らえっ!!」


 ミミがキャンディ・ステッキを振ると、空中から水飴が溢れ出した。

 それをかわそうと跳んだ相手に向かって、続けざまにグミ型機雷、マカロン型爆弾、チョコバー型ミサイルを放つ。

 甘い爆薬があるという。ならば、甘い砂糖菓子も爆発するはずだ。

 江藤ミミのアイドルエフェクト《スウィーツランド》は、そんなトチ狂った発想が具現化したものである。

 しかしその目まぐるしい一斉攻撃は、全て不発に終わった。


「こいつ! ちょこまかと!!」


 相手はひらりと宙を舞い、お菓子の大攻勢を紙一重でかわし続けている。その動きは羽根のように軽く、掴みどころがない。


「なら、こいつで!」


 着地の瞬間に狙いをすまし、板チョコで全方位を塞いでいく。チョコレートハウスの完成だ。

 そして、キャンディ・ステッキを翻し……。


「フラム・フルーレ!!」


 細い刀身の剣に変化させると、壁の上から相手を滅多刺しにした。剣は赤熱しており、チョコレートハウスには無残に融け落ちた穴が無数に空いている。


「ダメ押しぃ!!」


 間髪入れず、ミミはハウスを爆破した。あの中に居ては、衝撃の逃げ場はない。

 甘い香りの煙が、ステージに立ち込める。


 ミミは、息を切らして額の汗を拭った。どうしても拾っておきたかった、念願の勝利だ。


「危機一髪、かな」


 そんな安息を打ち消す、背後からの声。

 ぞくりとしてミミが振り返ると、強烈な一撃が……来ない。


「!!??」


 そっと頬を撫でられ、ミミに悪寒が走る。

 爆発の渦中にいたはずのアイドル――倉橋綾羽が、目の前に悠然と立っていた。


「マジックショーは専門外だけど……案外いけるかもね。今度やってみようかな」

「あんた、あたしをナメてんの!? なんで攻撃してこない!!」

「知らなかったかい? 私は戦わない。戦わないアイドルなんだよ」

「ざっけんな!!」


 ミミはホールケーキを落とすと同時に、フルーレで突きまくった。しかし冷静さを欠いた攻撃は、ますます余裕で捌かれてしまう。


「こん……のっ!!」


 一撃必殺を狙い渾身の突きを放つも、次の瞬間――

 相手は、


 重さを全く感じない。まるで風船を乗せているかのようだ。


「アイドル、エフェクト……」

「そう。私の《エアプレイ》だよ。そして……」


 歌が、終わった。

 同時に、ステージの光が消えていく。


「引き、分け……?」


 愕然としながら、ミミはステージに立ち尽くしていた。




「引き分けか。これで3勝2敗1分……」


 明確な規定はないが、これ以上やっても決着がつかないとステージが判断した場合、歌のキリのいいところで引き分けとして処理されている。


「引き分けの場合、どうなるんじゃ?」

「一応、双方に点はつく。ただしこれはあくまでマッチングの際の参考値で、最終的な評価はがカウントされるから……」

「実質、3勝3敗ってワケ」

「……まあ、まだリーグは半分以上残っとる。こっからいくらでも挽回できるじゃろ。しっかし……」


 万里は釈然としない面持ちだ。


「今日の相手は何なんじゃ? あんなんが許されるんか?」

「まあ、あれもアイドルの個性と言ってしまえばそれまでだしな」

「しょーがないよ、バンちゃん。何より、ステージが認めちゃってるんだもん」

「しかしのぉ……」


 倉橋綾羽。戦わないアイドル。積極的に相手の攻撃をかいくぐり、肉薄し、触れ、歌を響かせ……それでもなお、傷つけない。全てのステージを引き分けに持ち込もうとする、異端のスタイルだ。

 正面衝突、正面突破を地で行く万里にとって、それは理解できない、認めたくないものであった。

 しかし、ステージはそれを認めている。


 アイドルにとって、ステージの裁定は絶対なのだ。



        3


「おはよ……」

「あ、アキ姉おはよ。ご飯できてるよ」

「ん……。ファウは?」

「もう出かけちゃったよ。図書館でお勉強だって」

「頑張るねえ……」

「あのさ。あたしもそろそろ、受験勉強に力入れたいんだけど。いい加減アキ姉も、もっと家のこと手伝ってくれませんかねー?」


 ご飯をよそうミサの目は冷ややかであった。アキラは目をそらしながら、適当に相槌を打つ。


「……善処します」


 もともと家事は当番制だった。だったのだが、仕事以外のことではズボラな姉は、何をするにも要領が悪く、結局今では妹の負担が8割にまで膨れ上がってしまっていた。なお、残りの2割は居候であるファウが担当している。


「それにしても、あいつも勉強熱心だよねえ」


 妹の視線に耐えかね、アキラはわざとらしく話題をそらそうとした。


「アイドルのトレーニングと仕事の合間に通信教育だもんなあ。日本語を勉強しろとは言ったけど、大検でも取るつもりなのかね?」

「そりゃ、将来のこととか、色々考えちゃうでしょ?」

「あたしが現役の頃は、なーんも考えてなかったけどな」


 脳天気な姉の笑いに対し、ミサは呆れ顔になる。

 また文句の一つでも言ってやろうとしたその時、ふとアキラの顔に憂いが浮かんだ。


「ま、アイドルなんて、いつまでやれるかわかんないもんな……」

「アキ姉……」


 窓の外では、蝉の声がけたたましく響いている。


「でもさ、30年ぐらい前からずっと17歳とか言って、まだ現役の人いなかったっけ?」

「そういうヒトもいるけどさ……」



        4


「できた」


 本日分の課題を終え、ファウは本棚の方へ向かった。ここからは趣味の時間だ。


 この、ファウがよく足を運んでいる大学図書館は、規模が大きく一般向けの本も大量に所蔵されている。

 月に来てからというもの、ファウは本に夢中であった。コミックはもちろんのこと、小説、絵本、エッセイ、教養本、または各種専門書……。ジャンルは問わず、気になったタイトルは片っ端から読み漁っていた。単なる知識ではなく、その向こうにあるを感じ取り、心を満たしていた。

 また、ファウは図書館という空間そのものがお気に入りであった。物語の中でもたびたび特別な場所として登場する、あるはずのない郷愁感さえ呼び起こしてくれる場所。ミサに話した時は可愛いと笑われたが、思春期の少女にとってはそんなものである。


 何を読もうかと散策していると、ふと、あるタイトルが目に止まった。

 その本は棚の高い所に鎮座しており、ファウの身長では届くか届かないか微妙なところであった。踏み台を使えば簡単に届くであろうが、なんとなく負けた気がして、とりあえず頑張って手を伸ばしてみることにした。


 案の定微妙に足りず、必死に背伸びをしていると――


「これかな?」


 長身の若い女性が、代わりに本を取ってファウに渡した。亜麻色の髪、色白の肌に端正な顔立ち、全体的にスラッとした長身。ギリコとはまた違ったタイプの美女である。

 そして、その顔はファウにも見覚えがあった。


「クラハシ、アヤハ……」

「知っててくれたんだ。嬉しいな」

「珍しいアイドルだからな」

「まあ、そうだろうね」


 綾羽はクスリと微笑んだ。


「私も、君のことはよく知ってるよ。ずっと、お話をしたいと思っていたんだ」

「そうか。それは構わない。私も聞きたいことがある」

「うん、それじゃあカフェスペースに行こうか。お茶ぐらいなら奢るよ」

「いや、自分で払う。気持ちだけ貰っておくことにする」

「そう? 結構きっちりしてるんだね」

「もし対バンすることになったら、お茶の分だけ手加減するのは余計難しい」

「えっ」


 冗談なのか本気なのかわからないファウの言い様に、綾羽は一瞬だけ固まった。


「ふふっ、いいね。そういうの、好きだよ」

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