第3話「あぶないアイドル」(2)


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 月面都市国家の地下区画は、魔窟である。


 頓挫したジオフロント計画の跡地。そこは、不法移民達が行き着く終点であった。

 彼等はそこで独自のコミュ二ティーを形成し、密やかに、しかし着実に勢力を拡大させていった。


 やがて、あらゆる国家の地下空間が無秩序に拡張され、接続されるようになる。

 もはや国境も税関も存在しない、完全なる混沌が、そこにはあった。


 その下層も下層、最下層エリア。

 噂では伝説の魔都、オリジナル秋葉原がそのまま現存するともいわれている。

 そんな光も届かない地の底にて、人々が何を思い何を崇めて生きているのか、地上の人間たちには知る由もない。



        4


 ドブ・ロク一家は地下アングラマフィアの末端組織である。


 もともと冴えないチンピラの寄せ集めであったのだが、自警団の見回りが活発になるにつれて、徐々にシノギの場を失いつつあった。

 現在では、ポルノコミックやアニメーション番組の違法アップロードサイト運営が、唯一の収入源となっている。


 その、ファミリーの命綱ともいえる自前のサーバーが、たった今粉々に破壊された。

 サーバーだけではない。机はひっくり返り、棚は倒れ、備品類はバラバラに散らばっている。

 さっきまで威勢の良い組員だった者達も、床一面に転がっている。


「悪かった! 俺達が悪かった! もう勘弁してくれぇ~!」


 一家ファミリーの長であるはずの男が、這いつくばって情けない声を上げる。


 その頭を、ロングブーツが踏みつけた。


「へえ~。一応、悪かったと思ってるんだ?」


 体重をかけているのは、黒いレザーに身を包んだ、髪の長い美女だ。身長は190センチ近くある。

 さっきまで若い衆を相手に大立ち回りをしていたはずだが、その服には一切の汚れも乱れも見られない。


「し、知らなかったんだよ! アンタのトコのアイドルだったなんて!」

「ふ~ん? じゃあ、あたしのトコの子じゃなかったら良いってコトか」

「いや、違う! わかってる! ただの言い間違いだ! アイドルに手を出しちゃあならねえ!」


 慌てふためく組長ボスの頭を、女は躊躇なくゲシゲシと踏みつける。


「そうだよなぁ~、手を出したらどうなるか、わかってるよねぇ~」


 そんな様子をまざまざと見せつけられ、倒れていた男の一人がヨロヨロと立ち上がる。


「こ、このアマぁ……調子に乗りくさって……!」

「ば、バカ! やめろ!!」


 血気にはやった若造が、制止の言葉も聞かず、女に向かって突進した。手にはドスを携えている。


「はぁ……」


 女は呆れたように溜息をつくと、壁を蹴って大きく跳んだ。巨体がひらりと宙を舞う。


「え……」


 ガッ。


 女の蹴りが、若造の延髄にヒットした。断末魔を上げることも出来ず、そのまま崩れ落ちる。


「あ、あわわわ……」


 震える組長の下半身から温かい物が染み出すと、女は心底嫌そうな顔をして後ずさった。


「――まあいいや。コレに懲りたら、もうオイタはするんじゃねーぞ? わかったか?」

「は、はいぃ……」

「次に見かけたら、今度はどうなるか……」

「肝に銘じます……!!」


 嵐のように暴れるだけ暴れて、女は事務所を後にした。


 この襲撃を機に、ドブ・ロク一家は散り散りに遁走することとなる。

 それは、「ついつい欲を出してアイコラ写真集を作成してしまった」者達の、哀れな末路であった。



「あ、もしもし? こっちは片付いたぜ」


 ネオンサインがきらめく繁華街を闊歩しながら、女は報告の電話をかけていた。


「大丈夫だって。あんなスットロい奴ら、カスりさえしねーよ。――ああ。また何かあったら、すぐに教えてくれよ?」


 その向かいから、体格の良い、明らかにカタギではない風体の男たちが歩いてくる。男たちは女に気づくと、慌てて道の端に避けた。


「で、イベントの準備の方は? 順調?」



 女は通話を終えると、広場のベンチに腰掛けた。

 端末をいじりながら、先程買ったコンビニ弁当を広げる。遅めの夕食だ。


「いただきます」


 弁当を口に運びながら、お気に入り動画を再生する。

 ニューカマーカップのPPVペイパービュー、ファウのステージである。


「ファウ・リィ・リンクスか……。いいじゃねーの」


 女――柩山ギリコは、ねっとりと舌なめずりをした。


 エンプロの資本にあかせたメディア寡占、アイドルの囲い込み――そんな閉塞感を嫌い、地下に潜ったアイドルたちがいた。地上に光を見失った彼女たちは、地の底で力を蓄え、栄光を取り戻す機会を虎視眈々と狙っていた。


 そんな彼女たちを、人は《地下アイドル》と呼んだ。



        5


 リリイベ当日。


「リーグ戦期待してます! 頑張ってください!」

「ありがとう」


「シャンプーは何を使ってるんですか?」

「皮フがいたむから使っていません」


「あ、あの、アキラさんとはどこまで……」

「同じ釜の風呂に入った仲です」

「おいコラ」


 ビアル原宿ショッピングセンターのイベントスペースには、長蛇の列が出来ていた。当日購入の分も含めて、やや多めの来場者数を想定していたのだが、アキラ達にとって嬉しい誤算だ。


「いやー、特にトラブルもなさそうでホッとしたよ」


 白尾社長が胸をなでおろす。


「そうですね。ヤバい感じのアンチとか来たらどうしようかと思ってましたよ」


 加えてファウが何か粗相をしないか、隣で目を光らせていたアキラも安堵していた。


「時間の方も、なんとか予定通りでいけそうだね」

「そうですね。物販の方はどうです?」

「そっちも思ったより盛況でね」


 と、物販スペースから黒ジャージの少女が駆け寄ってきた。


「すいませーん、トレカ全部はけたんですけど、在庫ってまだあります?」

「ああ、ちょっと待ってて。見て来ますね」


 社長が慌てて確認に向かう。


「いやー、こっちの物販まで手伝ってもらって。ホントごめんなさいね」

「いえいえ、ウチらもグッズ置かせてもらえるだけでも、本当にありがたいので」


 黒ジャージ――柩山ギリコ側の若手アイドルが、照れくさそうにはにかむ。


 正直なところ、アキラは地下アイドルと聞いて少し身構えていた所もあった。対戦相手としては面白いが、果たしてトラブルは起きないだろうか、と。


 だが、イベントを手伝ってくれている地下アイドルの少女たちは、明るく人当たりも良い、わりと普通の女の子であった。


 過激なパフォーマンスで知られる地下アイドルとはいえ、それはあくまでステージ上でのことなのだろう。アキラは己の偏見を恥じた。


「普段から、こういうのも全部自分たちでやってるんで。慣れてますから、任せてください!」

「うんうん、頼もしいねえ」


 むしろアイドル時代の自分より、ずっと周りに気を遣っているのではないか? ますます恥じ入るばかりだ。


「そういえば、ステージは時間通り始められそうだけど……そちらの、ギリコさんはまだ?」

「あ、申し訳ないです……。なんか準備があるからギリギリに入るって言ってたんですけど……」

「あー、いやいや、全然気にしないで!」


 少女の表情がみるみる曇っていく。

 アキラは気まずさを感じて、ふとファウの方を見やる。


 と、ひときわ不審な人物が列に並んでいるのが目に入った。


 Tシャツにはファウの写真がでかでかと印刷されている。そんなグッズはまだ売り出していないので、自作か、非正規品を買ったのか……。


 だがそれは、この場では特に珍しいことでもない。


 大きめのサングラスにマスク、深く被ったニット帽。不審者御用達の完全装備である。

 息も荒い。アイドルのイベントとはいえ、少々興奮し過ぎではなかろうか?

 体型は長身ながら、どうも女性らしいことが伺えるが――。


「ハァハァ……これ、差し入れです……。文仲堂のメープルカステラ……みなさんでどうぞ……」

「わざわざありがとう。えと、『キリちゃんさんへ』……と」


 ファウがサインをスラスラと書いていく。練習の成果だ。


「ハァハァ……デビューステージ、めっちゃ感動しました……」

「どうも。何か苦しそうだが、風邪ですか? 無理しない方がいい、です」


 微妙にズレたファウの心配を受け、女は挙動不審になる。


「あ、あわわ、これは、そのアレルギー鼻炎対策で、決して風邪をうつすのを顧みずに来ちゃったとかそういうのでは……」

「そうか、アレルギーなら仕方ないです。お大事に。はい、どうぞ」

「はわ~、大切にします……! あの、よければこれ、私のブログとSNSの類ドルッターのアカウント……」


 女がアドレスカードを渡そうとした、その時。


「いや、はわ~じゃないでしょ。何やってんですかギリコさん」

「ギクーッ!!」


 振り返ると、三人の黒ジャージ少女たちが呆れた顔で立っている。


「あ、あの、どなたかと勘違いされてませんか? 私は……」

「あんたみたいなクソデカい女が、そうそう居てたまるか!!」


 抵抗むなしく三人がかりで引き剥がされ、不審な女は裏手に連行されていく。

 取り残された者たちは、ただ唖然とするばかりだ。


「では、次の人どうぞ」


 そんな中、ファウはいつも通りのマイペースであった。

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