第3話「あぶないアイドル」(1)

        1


「こっちがエンプロのアイドル。で、こっちがあんたね」


 練習場のシャワー室にて、アキラは床に二つの紙コップを並べてみせた。


「実際の所、容量は誰であろうと大差ない。体格、年齢、経験、それらはほとんど寄与しない」

「ふむ」


 ファウが真剣に耳を傾ける。


「違うのは……注がれるエネルギーの勢い」


 蛇口をひねると、片方の紙コップには勢い良く溢れるくらいに、もう片方にはチョロチョロと八分目程度の水が注がれた。


「これが、最初の状態だ。んで……」


 アキラは両手に紙コップを持つと、揺らしたりぶつけあったりした。


「激しく動いたり、相手の攻撃を受けたり、アイドルエフェクトを使おうとすると……」

「こぼれるな」

「うん」


「で、人気のある方はまた、すぐにドバドバっとオーラが注がれる。人気がなければ、補給が間に合わなくなる」


 水を補給した後、今度は片方の紙コップを激しく動かした。


「アイドルステージにおいて、オーラは水であり、空気であり、ビタミンだ。身体に流れるオーラの総量が少なくなれば、渇き、息苦しくなり……」


 空になりかけの紙コップを床に置くと、アキラは足先でちょんと弾き倒した。


「なるほど、紙コップが倒れて終わり、ということか」

「そゆこと。人気があれば注がれるオーラの勢いが強い。だから有利になる。それで勝てば、もっと人気が出る。この正のスパイラルを作ることが肝要なワケだ」

「まるで経済だな」

「お前、経済がわかるのか。すごいな」


 シャワー室から出た後、自販機でジュースを買う。当たりが出たのでもう一本だ。


「この間のあんたみたいに、あまり水をこぼさない様に戦うのも大事なことだ。だけど、補給があるに越したことはない」

「人気も実力の内、だな。確かにジュースは多い方がいい。」


 腰に手を当てる正しい作法にて、二人共一気にジュースを飲み干した。


「ま、オーラが多ければ、発生する歌にも深みや幅が出るからね。ステージの曲を録音して売るってのも、アイドルの重要な稼ぎドコロだ」

「私の歌、売れているだろうか?」

れ高は良かったと思うけど……あとで確認してみようか」


 結局ファウの所属 《レッドフロント》は、白尾芸能のアイドル事業再開に際し立ち上げられた子会社、という扱いになった。ニューカマーカップにおけるファウの歌も、レッドフロント名義で発売された。

 ファンの混乱を避けるため、という白尾社長の配慮である。


「――まあ、とにかく。アイドルリーグまであと一ヶ月を切った。基礎トレはもちろん、ステージにも慣れてもらう必要がある。ファンも増やしておきたいし、何より色々仕事をこなさないと採算が取れん」

「問題は山積み、ということか」


「と、いうわけで――」



        2


「リリイベをします」


 営業用のスーツに身を包んだアキラが、伊達メガネをクイッと上げた。

 事務所のホワイトボードには、既に謎のワードがいくつも書き込まれている。


「リリイベ?」

「リリィ・イベント。リリィは花の百合のこと。つまり、百合営業のひとつだ」

「百合営業とは?」


 初めて聞く単語が押し寄せてくる。ファウはひとつも聞き逃さぬよう、しっかりメモを取っていく。


「百合は高潔さ、純真さを表す。百合営業とは、アイドルのそういった部分を強くアピールして好感度を上げるためのお仕事だ」

「具体的には?」

「他の事務所や団体との、共同興行とかだな。垣根を超えた交流が、逆にステージでの真剣勝負を際立たせる」

「なるほど。おもしろい概念だ」


 闘技場時代には思いもつかぬ価値観であった。

 ファウの場合は八百長試合がバレぬよう、オーナーや対戦相手との直接的な接触は避け、常に仲介人を通す様にしていたのだ。


「で、リリイベはファンと直接触れ合うイベントだ。今回はお渡し会と無料ステージ公演を行う」

「お渡し会?」


 ちょうどよいタイミングで、白尾社長が荷物を運んできた。 

 アキラが早速開封してみせる。


「結構な量ですね。意外と数出たんだな……」

「まあ、良くも悪くもファウくんのデビューは印象的だったからねえ」

「……何だ、これは?」


 ファウが覗き込んだ。

 プラスチックのケースに、薄くて丸い板が入っている。


「まだ見たことなかったっけか。配信曲購入者用の、希望者配布特典だよ。今回はこれを、ファンに直接手渡すんだ」

「ふむ……」


 ケースから丸い板を取り出して観察する。

 表には、先日撮影したファウの写真が印刷してある。真ん中に空いている穴は、ケースへの固定用であろうか。裏面は……。


「何だ? キラキラしている……」


 見る角度によって色が変わる。初めて見る、不思議な細工であった。


「『キラカード』って技術だよ。細かい凸凹が掘られてて、それで光の干渉を起こしてるんだ」

「よくわからないが、すごいな」


 見知らぬ技術に感銘を受ける。

 と、次にある疑問が浮かぶ。


「で、これは何に使うものなんだ?」

「何に……」


 アキラが言葉に詰まる。


「昔っから、曲の特典と言えば何故かコレってのが定番だったから……。うーん、あんまり考えたことなかったけど……」


 唸りながら、記憶を辿ってみる。


「インテリア……というか、ファッションアイテム、かなあ? 部屋に飾ったり、この穴にヒモを通して、バッグとかにぶら下げたり……」

「まあ、お守りみたいなモノだね」


 グッズを確認しつつ、社長が付け加えた。


「一昔前は、玄関先にぶら下げたりもしていたけど……今じゃすっかり見なくなったなあ」

「ふむ……魔除けみたいなものか」


 ファウの何気ない一言に、アキラが噴き出す。


「まあ、確かにアイドルは宗教みたいな所あるしね」


 それを聞いて、ファウも得心がいった表情を見せる。


「信仰なら仕方ないな」


 ひとしきり笑った後、アキラは仕事モードに戻った。


「あ、そうだ社長。リリイベのステージ、相手は決まりました?」

「うん、まあ、一応ね」


 微妙に歯切れの悪い返事だ。


「最初は昔懇意にしてた事務所にあたってみたんだけど、色よい返事は貰えなかったんだよ。まあ、リーグ開催も迫っているし、どこもスケジュールは詰まってるみたいでね」

「ウチは立ち上げにバタバタしてて、色々出遅れちゃいましたからね……」


 アキラが乾いた笑いを浮かべる。


「で、他の所からは合同ステージの申込みがいくつか来てたから、交渉してその中から決めたんだけどね」

「何か問題が?」


 ファウに返され、社長は慌てて否定した。


「いや、これまで付き合いの無い所だったからね。まあ、主催の人も若いけどしっかりしていたし、特に何がってわけでもないんだよ」

「新興の事務所ですか?」

「いや、インディーズだね」


 アキラは受け取った資料に一通り目を通すと、何かに気づいたのか、少し悪い顔になった。


「喜べファウ。いきなり面白いヤツとれるぞ」

「面白い?」


「地下アイドルだ」

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