第2話「負けないアイドル」(4)
9
「アキ姉!!」
ふて寝していたところを妹に叩き起こされ、アキラは部屋から引っ張り出された。
引きずられるように玄関まで来ると、そこには先刻別れたはずの少女の姿があった。
「……なに、忘れ物?」
この期に及んでとぼけたことを言い、妹にスリッパで引っぱたかれる。
頭をさすっていると――
「交換条件だ」
唐突に発せられた言葉に、アキラは虚を突かれた。
「え、なに……」
「私はアイドルになるために来た」
ファウは言葉を紡いでいく。
「闘技場では、勝ったり負けたりしていた。勝てる試合でも、負けなければいけない時があった。仕事だったから、そうしていた。でも、仕事でも、負けるのは嫌だった」
「アイドルには、台本は無いのかと聞いた。無いと言われた。自分で決めろと」
「ずっと勝ってもかまわないと言われた。嬉しかった。昨日、初めて自分で決めた試合をした。いつもどおりの、『勝つ試合』をした。楽しかった」
「……私は、アイドルがやりたい」
相変わらず感情は見えにくいが、しかし、その想いはハッキリと伝わる言葉であった。
「だから、交換条件だ」
「交換条件……って」
二人の目が合う。
「私はアイドルを知りたい。誰よりもアイドルを知っている人に、アイドルを教えてほしい。その代わり……」
ファウは一息置いて、はっきりと言い放った。
「私は負けない」
「それ、交換条件か!?」
アキラはずっこけそうになるが、ファウの目は至って真剣である。
咳払いして、アキラが返す。
「そうは言うけど……簡単に勝ち続けられるほど、アイドルは甘くないよ」
「わかっている。だから教えてほしい」
「アイドルって、楽しいことばかりでもないよ。辛いことだってある」
「楽しいことがあるなら十分だ」
「……あたしで、いいの……?」
「最高のトレーナーだと聞いた」
気恥ずかしさのあまり、頭を掻いて目をそらす。
しばらくの沈黙の後、アキラは呟いた。
「……条件がある」
「条件?」
ファウの頭にポンと手を乗せると、同じ目線までしゃがみこんだ。
「あたしのことは、コーチと呼びな」
アキラの後ろでは、ミサが噴き出しそうになるのを必死に堪えている。
目にはうっすら涙が浮かんでいた。
「あとそれから、日本語ちゃんと勉強し直そうな。また何かありそうで怖い」
「了解だ、コーチ」
10
月曜日。
アキラはいつも通り、職場のスポーツジムに出勤した。
トレーナーを引き受けるにしても、いきなり「今日辞めます」「はいそうですか」とはいかない。筋は通さなくては。
事務所の扉を開けたところで、アキラは何か騒ぎになっていることに気づいた。
「あ、染匠さん! 大変ですよもう!」
「え、なに? 何かあったの?」
アキラに気づいた同僚のインストラクターが駆け寄ってくる。
「会長がなんかトラブってたらしくて、事務所のお金持って夜逃げしちゃったんですよ!」
「はあっ!?」
「高価な機材も休み中に運び出されちゃって……。それで、今月の給料も出ないかもしれないって……」
「……」
アキラの顔が一気に青ざめる。
想像したくないことを想像してしまう。
(いや、そんなまさか……)
11
「いや、だからファウちゃんのことは本当に悪かったと思ってますって。いくらセンパイを焚き付けるためとはいえ、さすがにやり過ぎました。後ですぐ、本人にも謝りに行きます」
『お前な……。あたしが引き受けなかったら、本当どうするつもりだったんだよ!?』
「そりゃあ、きちんとウチでサポートするつもりでしたよ。決まってるじゃないッスか。炎上騒ぎだって、『演出の一環だろマジレス乙』って感じで消火工作するつもりでしたし」
『お前今夜あたしんトコ来て土下座しろ。百発ぶん殴る』
本社高層ビルの役員室から、リアが街を見下ろしている。その顔には、全く反省の色が見られない。
『ところでお前、こっちは確証の無い話ではあるんだが――』
電話の向こうのアキラが、今朝あったことを話し始める。
「――センパイ、いくらウチが繁盛してるからって、わざわざそんなヒマなこと出来ると思います? 常識で考えてくださいよ」
『まあ……さすがにそうだよな。偶然だよな。悪かった。それはそれとして千発ぶん殴るから今すぐ来い』
「はいはーい。それではー」
かつての先輩の恫喝を全く意に介さず、電話を切る。
そして一息つくと、仕事をやり遂げた風に満面の笑みを浮かべた。
「いやー、センパイが常識的な人で助かった!」
そんな非人道的総合プロデューサーを一瞥すると、役員席に深々と腰掛けた少女――氷室エルが言った。
「とにかく、あの子はリーグに出てくるんですね?」
「あーもちろんもちろん。これで確定。諸々の工作は結構無駄になっちゃったけど」
「そうですか……」
エルを茶化すように、リアが鼻息を荒らげる。
「フフーン、やっぱりファウちゃんの事、気に入っちゃったんスか~?」
「別に……」
エルは興味なさげに答える。
「最初の計画通りですよ。あの子をエサに、いろんなアイドルが現れてくれる……。その中の一人でも、私の退屈を紛らわせてくれればいいんです」
「そうッスねえ。出てきてくれるといいねえ。……でも、そんなに退屈ッスか? トップアイドルは」
「退屈ですよ……死ぬほど」
けだるそうに、冷たく言い放つ。リアは相変わらず、いやらしいニヤケ顔だ。
「ねえ、リアさん」
「はい~?」
「どうして、さっさとアイドル辞めちゃったんですか? もう少し残っていてくれたら、もしかしてこんなに退屈せずに済んだかもしれないのに」
「あー。それはね」
「大好きだったセンパイが、先にアイドル辞めちゃったからだよ」
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