第1話「戦うアイドル」(1)
1
――長い夢を見ていた。
「あの、もしかして……」
「染匠アキラさんですか? アイドルの……」
アイドル……?
ああ、そうだ。アイドルだ。
アイドル、だった――
「ん……」
長い……いや、束の間の眠りを覚ましたのは、見知らぬ女達の声であった。
ぼんやりする頭を上げながら、辺りを見渡す。
見慣れた風景だ。カウンターの向こうでは、馴染みのバーテンダーがカクテルを作っている。
ようやく頭が回ってきた。今夜は、気まぐれに少し強めの酒を飲んで……。
つい、うとうとしてしまったらしい。
「ほら、やっぱり本物だよ!」
「どうしよ、何か書くもの……、あ、手帳!」
「すみません、もしよかったらですけど……。サイン、お願いできますか?」
二人はどうやら、アキラのファンらしかった。
年格好からすると、仕事帰りのOLか、あるいは就活中の大学生であろうか。
「やったー、ありがとうございます! 家宝にしますね!」
「ははっ……。そんな、大げさですよ」
「いえいえ、ずーっと憧れでしたもん!」
「そうですよ、幼稚園の頃から!」
「幼……稚園……」
笑顔が引きつりそうになるのを堪えながら、アキラは往年のファンとの交流に務めた。
(まあ、そうだよな……あれから十五年だもんな……そのくらいになるか……)
心境は複雑だった。
が、妙な懐かしさもあり、ちょっとした昔話も悪い気分ではなかった。
「今はね。スポーツジムのインストラクターをやってる」
「え、ホントですか? もしかしてこの辺りの?」
「駅前の。多分見たことあるんじゃないかな」
「あ、あたし知ってる! そっかー。あそこかー」
「今、入会キャンペーン中だから。興味があったら見学に来てね。ダイエットメニューもあるし」
「だってさ? どうするー?」
「えー、どうしよっかなー」
しばらくして、ファンの片方が嬉しさのあまり飲みすぎて潰れてしまい、もう一人が介抱しながら店を出た。
アキラは飲み直そうと振り向くが、その時、奥の席に座っていた女の姿が目に入った。
先程までは特に気にもしていなかったが、酔いが覚めて冷静に考えると、どうにも見覚えのある横顔である。
何やら嫌な予感がした。一瞬、身体が固まる。
女はそれに気づいたのか、グラスのワインを飲み干すと、アキラの方へゆったりと近づいてきた。
「お久しぶりです、センパイ」
「……やっぱ、お前か」
アキラがなかなか気づかないのも、無理はなかった。
背はかなり伸び、髪は短く。以前はふわっふわの子供っぽい服ばかり着ていたのが、今やスーツをバシッと決めている。何より胸が大きい。
特徴のある糸目と声で、やっと後輩でありライバルであったアイドル、御鏡リアだと確信が持てたのだ。
「いやー、見てましたよー。相変わらずモテモテじゃないッスか~」
「今日はたまたまだよ。引退してからこっち、あんなの滅多に無いから」
「まーたまたー」
「それにしても、あれから15年ッスかあ。引退した時、確かセンパイ19歳だったから……」
「数えるな! お前だって5つしか……!」
「にゃははは、だから私はまだ20代なんスよ!」
「どっちにしろアラサーじゃねーか!」
相変わらずの軽口に、アキラは今日何度目かのため息をついた。
「で? お前はなんだ、わざわざあたしに嫌がらせをしに来たのか? まさか、偶然出くわしたとか言わんよな?」
「さすが察しが良い。まあ、半分は嫌がらせですけど」
「ふざけんなよお前」
ツッコミをスルーしつつ、リアはバッグからおもむろに
「いやー、センパイ探すの、ホント大変でしたよ。ま、結局最後はネットの力で何とかなりましたけど」
「怖っ。ますます用件を聞きたくなくなってきたわ」
「知ってました? 私いま、エンプロで働いてるんですけど」
「聞けよ」
「知ってました? 私いま、エンプロで働いてるんですけど」
「……」
キリがないので、さっさと話を聞いて終わらせる事にした。
「はいはい知ってる知ってる。お姫様のトレーナーだろ?」
「そうですそうです。で、最近、アイドル部門の総合プロデューサーになりまして」
「はぁっ!?」
エンプロ――エンパイア・プロダクションは、現在アイドル業界の最大手事務所である。
孤高のトップアイドル、氷室エルを始めとした有力アイドルを多数抱え、他の事務所の追随を許さない。
全国各地に多数の養成所を持ち、アイドルを夢見る少女達はまず、誰もがそこを目指す。
『エンプロに非ずんばアイドルに非ず』
誰が言い出したかは定かではないが、今現在のアイドル界において、それは決して過言ではなかった。
「ま、だいたいエルちゃんの大活躍のおかげなんスけど……それはそれとして」
「で……、そのお偉いさんが、一体あたしに何の用だって?」
「センパイ……」
「また、アイドルのトレーナー、やってみません?」
「断る」
リアが言い切る前に即答した。その顔はいっそう険しい。
「お前のトコでなんぞ働けるか! それ以前に……」
「それ以前に?」
「ッ……」
言葉に詰まる。これ以上は、簡単に言葉にできる感情ではない。
うつむくアキラの心情を知ってか知らずか、リアは手元の端末を操作しながら話を続ける。
「まあ、そう簡単にオッケーもらえるとは思ってないッスけどね。でも、いい話なんだけどなあ……」
「……」
「一人、面倒を見てもらいたい新人がいるんスよ。私が見つけてきた有望株なんですけど、これがもう……」
「ほー。お前ントコはそんなに人手不足だったっけか?」
「いやまあ、ちょいと事情がありまして、百聞は一見に如かずというか」
端末の画面を差し出す。映っているのは、動画の配信らしい。
「あと、イヤホンどうぞ」
「何なんだよ?」
「ちょうどこれから、ステージがありまして。その生配信」
「はあ」
「ニューカマーカップ、知ってます? アイドル協会……つってもまあ、ウチが主催してるようなモンなんですけど。各事務所の新人アイドルとか、養成所のアイドル研修生を集めて、お披露目を兼ねたトーナメントを」
「他の事務所の新人いじめだろ? 趣味の悪い」
「業界全体の活性化のためのお祭りッスよ。今回はちょっと、いつもより規模を大きくして、応援のゲストでウチのエルちゃん達とか呼んで」
「いやちょっと待て。生配信って言ったよな? お前は今ここで何やってんだ総合プロデューサー」
「そーなんですよ。これからすぐ現場に戻らなくちゃいけなくて」
本気で意味がわからず戦慄する。何故今このタイミングで、わざわざ自分に会いに来たというのか……?
「てなわけで
「お、おい!」
「こっちからまた連絡しますけど、何かあったら事務所に電話ください。んじゃ」
一方的に喋り倒した後、テーブルに名刺を置くと、リアはそそくさと店を出て行った。
ぽつんと取り残されたアキラは、ただ呆気に取られるばかりであった。
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