徐愛と王陽明

周荘

第1話

「どうしたものか・・・」

 徐愛は悩んでいた。というのも先日、師である王陽明と他の弟子達と席を同じくしていた時にこんなことがあったからだ。


いつものように王陽明が弟子たちと話をしていた時に、門弟の中の一人がだしぬけに言った。

「先生、私の為に何かお言葉を下さい。その言葉を書き留めて座右に置いておきたいと思います」

 その門弟は弟子になってまだ日も浅く、王陽明が自分の言葉が門弟達に記録される事に対してあまり良い印象を持っていない事が分かっていなかった。

 もっとも、門弟の多くは彼に隠れて密かに記録しており、高弟の徐愛もその中の一人であったので、その言葉を聞いた時に背筋にヒヤリとしたものを感じた。

予想した通り王陽明は怪訝そうな顔をしながら、

「どうして私の言葉を書き留める必要があるのかね」

 と言った。

言われた弟子は最初、王陽明の言った事がよく解らなかったらしく一瞬あっけに取られたような顔をしたが、

「先生には弟子が多く、私のような者は中々直接言葉を交わせる機会がございません。今回、幸いにも直接教えを受ける機会が来ましたので是非とも教えを乞い、これからの指針にしようと思ったのですが・・・」

と言い、少し戸惑いながらも返事をした。

王陽明は少し考える素振りを見せた後、微笑を浮かべた。

「私が君に教えられる事は一つだけだ。君の心がそのまま真理であることを君自身が確信できるように教え促すようにする事だ。だから君もそう堅苦しく私の言った事を書き留める必要もないし、それよりも私としては君自身の心を掘り下げていって欲しいんだ」

王陽明のこの言葉は、徐愛などの高弟には理解できたが言われた当の本人は物足りなさを感じた。彼からすれば王陽明のこの言葉はあまりにも抽象的で物足りなかった。なので彼は失礼と思いながらも、

「しかし、それだけですと未熟な私にとってはどうもおぼろげで掴みどころがありません。どうか他にも助言がありましたらお願いします」

「先程も言った通り君に指針を示すとすれば、自分自身の心をそのまま真理であることを悟るように促す事だ。もしそれ以外の私の言葉を一生の指針とするなら、それは結局君を殺すことになってしまう。昔の聖人の教育はそれこそ医者が病人に薬を投与することと同じ様なものだったんだ。その人の病状に合った薬を処方する事で病気を治療したようなものだ。だからその人の病状を見ずに既定の薬を既定の量で処方したなら、逆に患者を殺めることになってしまう。いま、私はここにいる者たちの為にそれぞれの欠点に即して戒め励ましているに過ぎない。もし、その欠点が改めることが出来たなら君にとって私の言葉は不要なものとなる。もし、それを捨てずに延々と不変のものとするならば、将来、君自身も他人をも誤らせることになり、私の罪はとても償えないような大きなものとなってしまうんだ」


このような会話があってから王陽明の言葉を記録しようとすると、どうも抵抗を感じるようになってしまった。

(先生はあのようにおっしゃっていたが、記録しないと気持ち悪いものがある)

 実際、あの場にいた門弟達も変わらずに先生の言葉を記録し続けている。そう考えると、自分も別に王陽明の言葉を記録すれば良いものだが、それにも関してもどこか引っかかるものがあった。

(これは記録するかしないかの問題だけではない。何かもっと背後に大事なものがあるように思える)

 そのように思い、しばらく考えはしてみたが、やはり自分でははっきりした答えが見つからない。

(やはり先生に聞くしかない。しかしどのようにして聞こうか)

 王陽明に聞くことは決まったが、今度はどのようにして聞くかが問題になった。

ただ、徐愛はこの問題をそのまま質問するのは、自分の面子もあり、抵抗を感じた。というのも徐愛は真面目な性格の持主ではあったが、同時に明敏な頭脳の持ち主であり、まだ若くもあった。それ故にこういった事を考えてしまうのであった。

思考を巡らせているうちに、ふと一つの案が浮かんだ。。

(論語だ。論語によせて今回の事を婉曲に聞いてみよう)

 徐愛が思いついたのは、当時では読まない者がいないほどの有名な書物であった論語だった。この書は孔子の弟子達が師である孔子の言行を記したもので、徐愛は自分たちと同じ様に師の言葉を記録したこの書物に事寄せて今回の事を聞いてみようと思った。

(我ながら上手い考えだ)

 彼は一瞬そう思ってにやけそうになったが、結果的に王陽明を騙す事になりはしないか、との考えが浮かんだことで、すぐに真面目な表情になった。




数日後、徐愛は王陽明や他の弟子たちと席を同じくする機会があった。その途中で古典の話に入り、そこで王陽明は、

「しかし有難いものだ。昔の聖賢の言行をこうして知ることが出来るのは」

 徐愛は、ここだ、と思いすかさず、

「仰る通りだと思います。それが出来るのも聖賢や彼らの弟子たちが書物として残してくれたからですね」

 徐愛はそう言った後に王陽明の顔をうかがった。

しかし王陽明は、

「そうだね、彼らがそうしてくれたからこそだ。本当に感謝しなくてはならん」

 と言っただけだった。

 徐愛は拍子抜けした。もっと何か言ってくれるものだと思っていたからである。

だが、王陽明はしばらくするとまた言った。

「しかし、聖賢の弟子たちは別に後世に伝えようとして師の言葉を記録したわけではなかろう。あくまでも最初は自分のために書き留めたのだ。」

 それを聞いて徐愛は、

「やはり弟子たちの中にも師の言葉を一生大事にしていたものがいるのでしょうか」

 と言った。それに対して王陽明は、

「あるいはそうかもしれない。しかし、弟子達のほとんどは自分を最大限に生かすために師の言葉を受け止め、自分なりに解釈をしたんだ。師の言葉にも決して盲信的にはならず、自分の心を掘り下げるための手段としたのだ。彼らにとってはそれが当たり前の事だったので、そういった注意書きは書き留めておらず、その為に今の学者は書物に書いてあることを一定不変の事として受け取っているのだ」

 これを聞いて徐愛ははっとした。

(そうか、先生の仰っていた、自身の心に真理があることを確信するとは、自身を完全に生かすことが出来るようになる事だ。自分を生かし切る為には、ただ自身の中に求めれば良いのであって、記録するかしないかは問題ではない。先生があの時にああいう事を仰ったのは、私達に記録することの弊害の大きさを注意したのだ)

 そこまで考えが至ったとき、徐愛が抱いていた疑問は消え去り、すがすがしく、晴々とした気持ちになった。

だが、そうなると今度は王陽明の言っていた、記録する事による大きな弊害と真正面から向き合わなくてはならなくなったが、それを彼自身が自覚するのは少しだけ時間を必要とした。

彼は後に、とある友人とこのような会話をしている。

徐愛が王陽明の言葉を書き留めている時にその友人が、

「徐愛、先生は先日そのように記録することを警告したではないか。またどうして先生の言った事に逆らってそのように記録しているのか」

 それに対し徐愛は言った。

「それは違う。先生は決して記録すること自体を止めたのではない。記録する事の弊害を警告したのだ。君の発言こそ先日先生が仰っていた決まりきった薬の処方に固執するものであって、これもまた先生の本意ではないはずだ。孔子もあるときは子貢に対して、私は何も言いたくない、と言っているが別の日には、私は顔回と一日中話をした、とも言っている。この二つの言葉は一見矛盾しているが、孔子は相手を見てその言葉を変えて教育しているのであって、子貢に対しても顔回に対しても決して少なすぎたわけでもなく多すぎたわけでもない。確かに先生は、教えを記録する事を希望はしていない。だが、私たちは先生といつも一緒にいるわけではない。君たちとも離れ離れになって時には一人になることもあるだろう。そうなると、才能に劣る私には、先生の言葉の記録を常に近くに置き、自らを発奮させないと、いつか意思が挫けて駄目になってしまう。だからもし、先生の言葉面に引きずられず、その本質を理解し会得したならば、この記録は先生が『一日中話した』心を伝えるものだから、不可欠のものであるはずだ」

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徐愛と王陽明 周荘 @syuso

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