ver 00.4

 我がホームは想像していたよりも広かった。

 キッチンに寝室、風呂場に、もちろんリビングに洗面所。おまけに洗濯機まで揃えられて苦労がない。

「これは元から?」

 トワイライトに聞くと「お兄ちゃんが、えっとレーラズさんがというか富田さんが充実さに驚いていました」と答えてくれた。

 先ほどよりも声音は高い。やはり泣くのが心の澱みを取り除くのに一番だ。

「そっかあ、いやはや便利だね。生活するのに必要な物が嫌なほどある訳だ」

 彼の背中を追いながら私は、ふむふむと頷きついていく。

「じゃあ、あんまり、そうだな、帰れない以外は充実してたんだ」

 そう言うとトワイライトが立ち止まって困った顔をしながら振り向いた。おっと言うべきでなかったと思う。

「……最初は楽観視してたところもあります。富田さんは場の空気を一番読んでくれた人ですから」

 確かに富田さんは大人で盛り上げ役だった。無理をしてでも場を明るくするだろう。でも私は、それが空元気なのが目に浮かぶ。急に飛ばされた異世界で混乱しないはずがない。それでも富田さんは「大人」だったのだろう。

「……富田さんには救われたところがあります。でも、どんどん被害者が増えるにつれて焦るようになりました。それを隠すようにキサララギさんも空元気で。そのうち現実世界で僕たちが自動的に動いていることを知って、みんなが混乱し始めました。なにより、その時点で運営に連絡をして拒否を受けてましたし元の世界で知らぬ誰かが身体を乗っ取って動いているだなんて恐ろしくて……怖くて」

 トワイライトは最後の案内所である書庫室を案内すると俯いた。そういえばレーラズさんの様子を彼は見に行ったのだ。身内が得体の知れない何かに操られている場面に遭遇してしまったのだから。

「えらいね、トワイライトは。怖くても様子を見に行ったんだ」

 確か彼は引きこもりに近い状態の生活だとレーラズさんから、ぽろりと聞いた。それは私が教育係だったからだろう。私の次に入ってきた弟分を可愛がるのに時間はかからない。

「……お兄ちゃんは仕方がないって言ってくれました。でもコロコロさんの話を聞くたびに怖くて怖くて。そして富田さんが消えて恐慌と言えばいいんでしょうか。喧嘩が絶えなくなって、それでもお兄ちゃんやキサララギさんは真ん中に入って仲裁をしてくれました。そうすれば、みんな落ち着いてくれて。きっと一杯々々だったと思います。僕もお兄ちゃんがいなかったら……でも」

 その先は聞かなくても分かる。今現在トワイライトは一人で独りなのだ。レーラズさんも消えてしまったのだろう。

「トワイライト、最後にもう一回、レーラズさんの執務室に寄ってもいいかな」

 私の申し出にトワイライトは泣きそうな顔をしたけれども「はい」と小さく答えてくれた。

 知っている執務室の扉を開いて目に入るのはギルドマスターであるレーラズさんが残してくれた手記だ。私が根性なしなせいで最後まで読めなかった本。

「私はこれから、またこの本を読むよ。その間、そうだな……て私、思ったのだけれど暖簾分けしたギルドには連絡したの?」

 それは「ワールド・ムーン」の人数制限とレーラズさんが交流を持っていた他ギルドと協力体制をとっていたギルド「ガーネット・ムーン」と「パール・ムーン」のことだ。レーラズさんが初心者時代に偶然、同じく初心者だった各ギルドマスターとの交流をそのまま続けて成り立った三位一体の月を分け合った桃園の誓い。

 思いついた私にトワイライトは渋い顔をした。

「それは、考えたんです。でもその考えを思いつく時には半分のギルメンが取り込まれていて、感染するものだったら迷惑をかけるとお兄ちゃんが言って知らせてはいない、です」

 なるほど、と私は納得する。原因不明の病原体を感染させるくらいなら会わない方がいいし助力を求めるのもナシだ。

「僕に、定期的にメッセージが来ているんです。ログインしているし友達登録しているから二十四時間ログイン表示されちゃって。今は既読無視しています」

「おお、勇者だね。パール・ムーンのグラスさんなんて特攻してきそうなのに」

「実はホームで来てくれたこともあります。でもレーラズさんがグラスさんやハイネさんに個別チャットで何かを言ったらしくて。接触はしないという形になりました。それでもグラスさんは定期的に来ては食料を置いてってくれますけど、お兄ちゃんが説明した内容は分からないです」

 それだけ分かれば十分だよ、とトワイライトの背中を擦る。彼にとっては、ある意味、頼りたいところだったろう。でも兄の努力を無視しなかった。

「個別チャットも怖いです。それで移ってしまったら、僕」

 一気に落ち込むトワイライトの背中を擦りながら、私は赤絨毯の歩き豪奢執務机に置きっぱなしにしてしまった手記を手に取った。

 今度こそは最後まで読む、と決心しながら、

「ところでトワイライト。お腹すいたから何か作れる?」

 ぐりゅるるると鳴るお腹を撫でつつ彼に問うと、

「……作れます。作ったらここで食べますか」

「食べますとも」

 即答の私にトワイライトは小さく微笑んで「待っててください」と言うと厨房の方に消えていく。

 さてと私は最後まで読むためにレーラズさんの手記を紐解いた。

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