ver 00.3

 体感では少し、しかし彼にとっては一刻も早く目を開けてほしかったのだろう。目を開けてみたのはトワイライトが私を揺さぶるからだ。

 トワイライトは焦り顔から安堵の顔に変わり、私の肩から手を下した。

「……」

「……よかった」

 そう言ったのは私だった。

 何が、とは言わない。ここに来てから色々な意味での「よかった」であったのだがトワイライトは目を見開いて「兄ちゃんの本、見たんですか」と枯れた声で言う。

 先に水でも飲ませようかと思うほど声音は枯れていて水分補給が必要かと頭の片隅で思った。

「最初の方だけね。随分と衝撃的だったから」

 立ち上がるとベッドのトワイライトは身体を跳ねさせる。まるでどこかに行ったら消えてしまう、そんな恐怖を感じているような。どうもトワイライトは何かを怖がっている。きっと読まなかった手記に書かれた何かが彼をここまで怯えさせているのだろう。

「トワ、立てる? 台所行って水でも飲もう。……手を繋いで行こうか?」

 一回は叩かれた手を彼に向けた。

 おずおずと掌に置かれた手は冷え切っていて、脳裏にお風呂もと追加する。我ながらよくもまあ冷静で居れるものだ。

 トワイライトは「ミドガルズがこちらに来たことに安心するべきか嘆くべきか」と自己嫌悪に陥り「ミドガルズが消えることを恐れている」ように見えた。私の一番の悩み事としては「とにかくお腹いっぱいにし、綺麗にし、どうしてこうなったか」を聞くことだ。

 あの手記は随分と長く書かれているのは分かっている。ならば消えるまでの猶予はあったはずで、それを知っているトワイライトがこうも憔悴しきっているのは独りでいすぎたからだ。

 だから、まずは、

「食べれないだろうけど、ご飯とお風呂どっちから行こうか」

 私の提案にトワイライトは口を開けて二の次を告げられないようだ。

「ん? 変なこと言った?」

「とじ」

「うん?」

「……閉じ込められてるんですよ」

 弱々しく呟かれた声は今にも消え入りそうで彼には私が消えることよりも自分を優先してほしいな、と考えた。これなら我慢して手記を最後まで読んでおくべききだったのだ。ならトワイライトの憂鬱も少しは晴れる。

「それはレーラズさんからのプレゼントで分かってる。でも私は君が心配だ。君は何を心配しているんだい? 確かにゲームの世界に閉じ込められているなんてトンチンカンなことこの上ないけれど、現実、私は閉じ込められていて同じ境遇の仲間がいる。嘘と言える証拠がない。でだ」

 冷たい手を温かくするために両手で包み込む。

「何が怖い?」

 ベッドに座る彼と目線を合わせるために跪く。

 液晶画面上のトワイライトの見目は好青年という感じで発言も幼いようでいて優しい口調。レーラズさんが言っていた「学生なんだ」は高校から小学生ぐらいだろうと何となく思っている。わざわざレーラズさん直々の紹介と親戚関係に皆わいたのが懐かしい。限度人数の二十人目の子。私たちの末っ子で最初のビギナーから僧兵まで、一から十まで成長を見守ってきた。一部じゃ可愛がり過ぎてレーラズさんに怒られたぐらい。

 可愛い弟分だ。彼に何かをしない、なんて考えはない。

 ギルドメンバーを、トワイライトを大切にしない理由なんて一欠けらもない。

 困っていたら言う、困っていたら助け合う、ホウレンソウをしっかりと。しかし自由に快適に、それを謳ったのがレーラズさんが作ったギルド『ワールド・ムーン』。

 弱くてもいい強くなくてもいい、ただただ自然体で居れる場所。独り彷徨っていた私に声をかけてくれたレーラズさんが手を差し伸べてくれて、このギルドに加入した。

 そうは言っても顔の見えない隣人を最初から信用なんてできない、期待しすぎない、そう心に決めていたのに『ワールド・ムーン』に所属しているメンバーは、みんな楽しそうに喋り、一声かければ狩りにもレベル上げにも付き合ってくれるし、一人どこかに行こうとすれば「どこにいくん?」なんて声もかけてくる。約束もしてくれる。その約束が破れても「じゃあ、次あいている日ある?」なんて聞いてくれる。

『袖振り合うも他生の縁ですよ、ミドガルズくん。リアルでは色々とありますが、ここでは他人でも少し大切にしてみようと思える場所にしたいんです。人間というのは大切にしたいものができた時が一番成長できる時なんです。何もかも上手くいく訳ではありませんがミドガルズくんも僅かだけでも縁を感じて優しくなってみませんか』

 思い出す。ここを小さな宝物にしてくれたレーラズさんの言葉を嚙み締めて私はトワイライトを大切にしたい。

 だから私はトワイライトを見つめている。揺らぐ瞳を見つめ言葉をいつまでも待っていられる。

 現実も虚構も、どちらも大切にしていいんだと思わせてくれた、出会わせてくれた世界だから。そしてトワイライトは私の弟分なのだから。

 二人しか居ないなら、二人で助け合おう、トワイライト。

「……ミドガルズさんが消えちゃうのが」

「私は君より先に消えちゃうのかな」

 首を横に振った。

「……富田さんが最初に、順番でした」

「なら簡単な話だ。トワイライトより先に私は消えないね」

 うつむいてしまう。

「分からないです」

「私もだ。まだレーラズさんの本を読み切ってない」

 前髪の間から見える瞳は水の膜を張り始めている。手を強く握った。

「わからない、分からないことが、いっぱいあって」

「うん」

「みんな、きえちゃいました」

「うん」

「ミドガルズさん」

「なに?」

「……ごめんなさい」

 それはトワイライトの心の中で二律背反している想いが彼を謝らせている。

「悪くないよ。トワイライトは悪くない。だから私に、そうだな、今まで起こったことじゃなくてご飯とお風呂どっちがいいか教えてくれないか」

「……」

 顔を上げた彼の頬を伝って涙が雨の如く握った手の上に降り注ぐ。温かいそれはトワイライトの優しさだ。今まで我慢してきた優しい心の結晶だ。私はこんなネット越しであってもこんなに優しい子を知らない。誰かを想って泣く子を優しいと言わず何と言えばいいと言うのか。

「トワ、教えて、私じゃあ来たばっかりで台所もお風呂、外に行くにも勝手がわからないよ」

 トワイライトは鼻をすすると手を握り返してくれた。

「だい、どころ、から、でいい、ですか」

 画面越しには絶対見えなかったであろう涙でぐちゃぐちゃになった笑顔に、私は微笑んで「うん」と返した。

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