第35話 きさらぎコンチェルト
光に溺れ、身体を焼かれた彼女──トールが目を覚ます。
トールはまだぼろぼろで、とても動ける状況にはなかった。記憶もあいまいで、直前になにをしていたかが思い出せない。たしか、ルナの家に行って、スキマ女に邪魔をされて。
そこから先は忘れてしまった。どうせ、あの人形のせいでここまでやられてしまっただけなのだ。ルナとトールの仲を邪魔する空気の読めないあのメリーさんとやらのことなど、覚えているだけの頭の容量は空いていない。すべてルナのことを考えているのだから。
起き上がろうとして、身体が動かなかった。四肢がいうことをきかず、首でさえも痛みが伴い、しかたなく目だけをせいいっぱいぐりぐりと動かす。
視界をくまなく観察し、寝かされているトールの隣に腰掛け読書をしている少女の姿をみつけた。
声をかけようと息を吸い込む。いまのトールが吸い込んだ空気では瀕死のささやき声しか出せなかったが、彼女は気づいてくれた。
「起きましたね、トール」
「ヴィオレッタ、ルナちゃんは……?」
「あの写真の子なら、ここにはいません。私は死にかけてるあなたを拾って帰ってきただけですから」
どうやらトールがここに寝かされているのも、ヴィオレッタが助けてくれたためであるようだ。全身の異常といい、飛んでいる記憶といい、あの人形に敗北したことは間違いない。
となったら、もっとお姉さん力を高めなければならないだろう。
お姉さん力が足りないから、あの人形にも負けたし、ルナも振り向いてくれないのだ。
そうと決まれば、まずはさっさと傷を癒して頼れるお姉さんであるところを見せなければならない。さらに、もっと修行をつみお姉さんっぽいことができるようにならなければ。
「目を輝かせているところわるいですが。治癒まではしばらくかかりますよ」
「……ぼぼ。それはしょうがないかも、だけど」
「トールが休んでいる間も、私たちは動けますから。少なくとも今は私の番ではありませんが」
トールが失敗し戻ってきたことによって、別の誰かがルナたちを襲いに行ったという。さすがにトールお姉さんに配慮してルナは残してくれるだろうが、ほかはどうでもいい。
「あぁそうだ。たしかこう言ってるのを聞きましたね」
トールは首をかしげ、ヴィオレッタはいたって真面目な顔で誰かの発言を引用した。
「私より目立つ奴に会いに行く」
その発言者がライムであることは、容易に想像できる。目立ちたがりなライムのことだから、ルナたちそっちのけで関係のない場所に乗り込んでいくに違いない。
ルナをとられないという点では安心していいのだが。こっくりさんに言われたことは守ってくれない。ただ、ヴィオレッタはそれでいいと思っているようだ。
回復するまでは、ヴィオレッタやキューピッドさんに任せていればいい。トールは素直に休むべくまぶたを閉じた。
◇
ルナの家へ突然呼び出されたゲートは、ネネの要望で都市伝説をまたひとり保護することになった。人間の身体ではないため、都市伝説の状態でなら生命力はとても高い。ゆえに、弱らせてお札で捕獲するのがもっとも有効なのだ。
さすがにゲートでも、首を折られておいて生還するのは驚きだったが。
ルナの家に潜んでおり、ネネとだけこっそり接触していたらしいこの都市伝説、スキマ女。治療にはやや時間がかかったが、施術は数時間で終わった。
「ったく。うちは病院じゃないんだけどな」
頭を掻いて、ようやく首の骨がうまく繋がったスキマ女の傍から離れた。これから先は自然に治癒していくのを待った方がいいのだ。
ゲートは台所へ赴き、冷蔵庫を漁り、よく冷えている水を流し込み、ひといきつく。するとふらりとハスミが現れて、並んで座ることになった。
「ハスミか、どうした?」
「い、いえ。すこし、ルナさんたちにお話を聞いてて」
そうか、とペットボトルを置いて深いため息をつく。それより大きな反応を見せなかったゲートだが、ハスミはかまわずに話す。
「スキマ女さん。ルナさんのこと、守ってくれたみたいですよ」
「……ほーん?」
あの複数の気配の正体がスキマ女だと見抜けなかったことを、ゲートは後悔していたが。案外、それで正解だったのかもしれない。
ルナたちの日常を眺めていて、何か思うところがあったのか。それは目が覚めた本人に聞くほかないことだった。
「あ、そうだ……あの、ゲートさんも一緒に行きませんか?」
話題を切り替え、ハスミは1枚の紙を渡してきた。紙にはかわいらしい衣装の女の子たちと、いくつかの説明が書かれている。日時はこのあと、夜の部に参加するためのものだ。
どうやら、アイドルのライブチケットであるらしかった。ハスミの表情を見たところ、目が輝いておりきっと彼女の趣味なのだろう。
たしかに、ひたすら盛り上がるライブ会場へ行けば、気分転換にはなるだろう。アイドルのことをよく知らないといえばそうなのだが、ハスミの好意に甘えようと決めた。
「ハスミが行きたいなら、私もそうするぜ」
「じゃあっ、決まり! ですねっ!」
ハスミのうれしそうな顔とともに、ゲートがライブへ行くことが決定する。
すぐにでも支度をしようと動き出すハスミへ、ライブは今夜すぐの話なのに、ゲートが断ったらどうするつもりだったのか。ふと気になって、聞いてみた。
すると、
「……だ、だってゲートさん。断らない、ですよね」
なんて、いたずらっぽい笑みが返ってきた。
◇
そしてライブの時間になり、ふだんならかかわり合いのないアイドルファンたちに囲まれながら会場へ赴いた。そこそこ有名らしく、大きな都市まで電車に乗り、その途中でも多くのグッズを身に付けている人を見かけた。
さらにハスミのテンションもあがり、さすがに誰彼かわわず話しかけたりまではないにしても、ゲートにいろいろな知識を語ってくれた。ライブのときは跳んだり叫んだり、ゲートは合わせていくのが大変だった。そのぶん、たいへん楽しかったのだが。
そしてあっという間に時は過ぎていき、ライブも終盤。ゲートもハスミも汗を流して応援に打ち込んでいたというとき。事件は起こったのだった。
「盛り上がってますか……って、え?」
突然ガラスが割れるような音とともに、照明が切れてしまう。さらにステージ上から客席まで響く悲鳴、さらなるなにかの壊れる音。暗闇のなか、ゲートはその原因がステージ上の舞台装置が壊れて落ちてきていたということを視認した。
「おい、あれ……!」
ぽかんとするファンたちをよそに、突然スポットライトだけがともった。こういう演出だろうか、と誰もが思いかけたが、いままで主役だったアイドルではなく謎の少女にあてられていることに気付きまたもや思考が置いていかれていることを実感する。
そして、ステージ上の謎の少女の言葉で会場はざわめきに変わった。
「はーい! 私より目立ってくれちゃってる奴らのライブ、私ことこのライムちゃんが乗っ取っちゃったからねー!」
ライムが指をぱちんと鳴らすと、会場のスピーカーからはアイドルらしい音楽ではなくどこかで聞いたおぼえのあるメロディが流れ出す。ライムと名乗った少女がすっと息を吸い込んで、そして声を乗せて吐き出しはじめた。
「さっくっらー! さっくっらー!」
聞き覚えがあると思ったら。童謡のさくらさくら、だったか。このステージの上にまで現れて、堂々と乗っ取ったと宣言し、ついには童謡を歌い出す。
間違いなく変な奴だ。ライブを楽しんでいた者たちはしだいにライムに対する怒りを募らせてゆく。なかには出ていく者までいた。
が、ライムはそんなの眼中にもないというようすで、誇らしげに歌い続けている。
すっかり冷めてしまったゲートだったが、冷めたおかげで気がついた子とがあった。それは、このライブ会場の中から感じる異様な気配だった。ルナを襲ったというトールの残り香と似ているようにも思える。
そしてその気配は、ライムから伝わってくる。あのスクール水着のうえに和ロリータな衣装を着ているうえ、頬に五線譜を象った刺青の施されている少女は、都市伝説なのかもしれない。
さらにゲートは、ファンたちのざわめきの中に気になる話を聞いた。
「あの子、そっくりだよな。あの、新人子役誘拐殺人の被害者の」
「あぁ……歌堂サリナちゃん、だっけ?」
まるで化けてでたみたいだ、と噂するファンがいた。
トールのときも、身体を器にされてしまった女性である高木モミはすでに何年も前に亡くなっている人物だった。
ということは、もしかして。
「……もうッ! どうして私の歌を聴かないの!?」
突然ライムが叫んだ。そうはいわれても、楽しみにしていたアイドルのライブが知らない女の子の童謡ライブに変わってしまったら、聞く気をなくすに決まっている。
怒っているライム。ふたたび指を鳴らし、ゆっくりと息を吸い込む。
今度はなんだと思っていると、曲がはじまると同時にライムの身体が淡く光りはじめる。
「
今度も童謡で、しかし様子が違う。みしみしと音をたて、壁が壊れようとしているではないか。これが崩壊の前兆だと誰でもわかるほど明らかにひびが入りはじめており、いままでざわめいていただけどファンたちはいっせいに逃げ出そうとする。だが、あまりの人の多さに押し合いとなって、なかなか人は減っていかない。
そのあいだにもライムは続きを歌い続けており、壊れゆくライブ会場は止められない。そこで、今なら誰もが脱出に夢中だと判断し、ゲートはハスミのことをひっつかんで出口とは逆方向、ステージ側へと飛び出した。
戸惑うハスミに、ライムをこっから引き剥がせと言いつけてライムへ向かって思いっきり投げる。
ステージ上にはライムのほかに、腰を抜かしているアイドルたちがへたりこんでおり、このままだと崩落に巻き込まれるのは確実だった。
ハスミも自分が好きな子たちが危機に晒されているとくれば、おしげなくその能力を使うのだ。
誰もいない辺獄のきさらぎ駅が展開される。
ライムは歌うのを邪魔されて怒ったようすでいて、またアイドルたちはあたりをきょろきょろして、最後にゲートとハスミはアイドルたちをかばいつつ戦闘態勢となる。
「あなたたちも私の歌を聴かないの?」
「ご、ごめんなさい。私たちがいま聴きたいのは、あなたの曲じゃありませんから」
「……ふざけないで、ふざけないでッ!」
ハスミの言葉に激昂し、声を荒げたライム。ハスミもきょうは怯まない。
「いいわ、いいわ、挑戦状ね。私が目立てばいいんでしょ、もっと、もっと!」
焦点のあっていない眼で捲し立てる相手に、ゲートとハスミはよりいっそう気を引き締めた。アイドルといっても、彼女たちはただの女の子。ゲートたちのように戦えはしないのだ。守り通さなければならない。
ライムが胸いっぱいに空気を取り込み、ハスミが駅の看板を構え、ゲートが一歩下がってライムの行動を警戒する。
アイドルの曲でも、ライムの童謡でもなく、少女たちの奏でる戦いのロマンスが始まろうとしていた。
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