第36話 くろのうた
ライムの歌が、きさらぎ駅に響き渡る。観客はハスミとゲートと、守られているアイドルたちだけ。曲目は子供向けの童謡でしかなく、本人だけが楽しく奏でる歌だ。
彼女の攻撃は音波ではなく、歌が持つ意味が引き起こすものである。断言できるのは、目の前で彼女の「シャボン玉とんだ 屋根までとんだ」によってきさらぎ駅の天井が吹き飛ばされたからである。
都市伝説は、人々が噂すればそれでいい。たとえ子供のための鎮魂歌だとしても、勘違いひとつで破壊をもたらせる。
駅の天井が傷つけられたことで、きさらぎ駅を出力しているハスミの身体にも少しながら負荷がかかっているらしい。目元から血をにじませる彼女は、早急な決着のため駆け出した。
まず看板でひと薙ぎし、ライムが避けた。
続けて振り上げ、それも当たらない。
「しゃーぼんだーま、きーえたっ」
ライムの指を鳴らす音に応え、看板内側から破裂するように壊れてしまう。残ったのは持ち手だけで、尖った折れ口を突き立てようとする。ライムはこれも避け、小柄で身軽に、また楽しそうに笑って見せる。
「カンキャクさんも楽しんでくれてるよね?」
翻弄されているハスミは楽しそうにしていないのだが、そんなことはお構いなしのようだ。彼女の横をするりと抜けて、ゲートのほうへ迫ってくる。
ゲートもみすみす見逃すほど童謡好きではない。ライムを迎撃するように拳を出し、ただの都市伝説相手なら鳩尾に当たる攻撃だったのを、ライムは足がかりにして大きく飛びはねた。
高く舞って、くるりと一回転してみたりして。そして、守っていたはずのアイドルのところへたどり着かれてしまっていた。
「ねぇ、あなた。あいどるって、とーっても目立つお仕事なんだよね。みんなが歌をきいてくれて、みんなに好いてもらえて。こうして私みたいなのが来ても、助けてもらえるんだ」
詰め寄られている彼女は、声も出ないらしい。
ライムの表情はたしかに先の笑顔の面影を保っていたが、それは口元だけの話だ。目は笑っていないし、光がない。人を追い詰めようとする目だ。
ゲートが急いで駆け寄る。ハスミも同様に、ライムを引き離すために駆け出した。ふたたび笑顔に似つかわしい目に戻ったライムは、軽やかにゲートとハスミの攻撃を避けていく。ちいさな声で、シャボン玉の歌を口ずさみながら。
「お前、何者なんだ!」
攻撃を避けられながら、ゲートはなかば叫ぶように問う。ライムの笑みは止むことなく、しかし彼女は答えた。
「……ロンドン橋には人柱が必要だし、かごめかごめのいうとおりにすると将軍さまのお金がみつかるし、たったいちもんめで女の子は売られていくの」
「なんだよ、そりゃ」
「われたシャボン玉は死んでしまった子供のことだし、あめふりのなか柳の下で泣いている子は幽霊だし、ひとり足りないいちねんせいはおにぎりにされてしまったの」
どこか聞き覚えのある話ばかりで、それらがすべて童謡の都市伝説であると気がついた。
「全部が私よ。怖い童謡、隠された真実。あの子が歌えなかった、知らないままに終わった黒の歌。私は歌堂サリナのナーサリー・ライム。だから、ライムなの」
ライムはすべてを答えてくれた。ゲートたちのことを面白がるように振る舞って、攻撃を再開しようとするハスミからは後ろへ大きく跳んで逃れる。
「あいどるさん。あなたたちを殺せば、私がとってかわれるかな?」
そういったえライムは大きく息を吸い込んで、口もとに手がそえられる。ちょうどシャボン玉ができるような円ができていた。
思いっきりそこへ息が吹き込まれると、大きなシャボン玉ができていき、しかし大きすぎたためか飛ばずに割れて消えてしまう。
その瞬間、衝撃が迸る。
思わず盾にしたゲートの腕では肌が裂け、周囲の自然もひび割れる。咄嗟にハスミが飛び出し、その身体で受け止めなければ、恐らく巻き込まれたアイドルたちも無事ではすまなかっただろう。
ライムはもう姿を消していたし、ハスミが傷ついたことできさらぎ駅もゆらぎはじめていた。ゲートがハスミに駆け寄って、血を流す彼女になるべく異界のエネルギーをあててやる。
「ハスミぃっ! なにやってるんだよ!」
傷ついたハスミは息も絶え絶えなようすだった。
ゲートもハスミを責めるつもりではなく、あの状況でできる行動がこれしかなかったのもわかっていた。けれど、ハスミのことを大切だと思っているのも確かで、そのせいで口をついてしまった言葉だったのだ。
「……ねぇ、ゲート。みなさんは、無事……?」
「あぁ、お前のおかげでな」
よかった、と呟くと、安心したためかハスミは気を失った。
◇
ハスミの意識がなくなれば同時にきさらぎ駅も消えていくため、ゲートは周囲の人間を全員ひとおもいに異界へ送る必要に迫られた。
さらにそこから自宅へ移動し、ハスミを寝かせ、止血の道具を用意し手当てをはじめる。悪態をつきながらも、ていねいな処置をくりかえす。
「あ、あの」
「なんだよ。言っとくが現実だぞ、ネットで見ればもう話題騒然だろうな」
「そうじゃなくて……大丈夫、なんですか、その子」
妨害によって台無しになってしまったライブのことよりも、痛ましい様子のハスミを気にかけているらしいメンバーのひとり。たしか、彼女がリーダーで、名前は『
他のメンバーはネットニュースを見てざわめいている。ほんとうに夢ではないとわかって、そのうえで突然知らない場所へ連れ込まれている事実に戸惑っているといったところだろう。
メンバーの視線はリーダーであるレイに向けられる。代表して事情を聞いてほしい目だ。レイが口にするよりも前に、ゲートが言葉を発する。
「あのちっちゃいのに、なんだか知らないが命を狙われてる。私たちはただのあんたらのライブの客で、偶然居合わせて助けた、ってところだよ。私はゲートで、流血してたのがハスミ」
「ゲートさんに、ハスミさん……」
普通の人間なのだから、この説明で状況を飲み込むのは難しいし、名前を覚えるのでせいいっぱいだろう。あまり都市伝説に深入りされても困る。
今はハスミもそこそこに危ない状況で、ゲートがアイドルたちにかまってられないのもあった。
誰もが押し黙っている中、ゲートはハスミの応急処置を続け、メンバーのスマートフォンには関係者からのメッセージや電話が相次ぎ通知音が鳴り響く。
いちいちすべてに応えていてはきりがないと思ってか、レイは重ねてゲートに話しかけてきた。
「その、あの女の子が言ってた、歌堂サリナって」
「……新人子役誘拐殺人事件だろ」
「知ってるんですか、って、知ってますよね」
「いいや。中身はよく知らないよ」
さっき聞いたばかりの事件で、内容の詳細は知らなかったため、ゲートは素直にそう告げる。手が話せない自分の代わりに、手元のスマートフォンでも使って調べてくれるならルナの足元におよぶくらいには役に立つだろう。
レイはすぐに事件について調べてくれた。ゲートもハスミの傷を消毒し、彼女をうめかせながら聞いていく。
事件は数年前、サリナが小学生になったばかりのころに起きていた。
サリナは当時売れはじめの子役だった。これからいくつかのドラマに出演が決まっていて、CDデビューの話もあったという。もともとアイドル志望だった彼女は毎日を楽しく過ごしていたのだとか。
しかし、とある夏の日にサリナは誘拐されてしまった。犯人は身代金の要求すらせずにサリナを暴力によって虐待し、さらにサリナを糾弾する人々の声を見せつけ、さんざんに彼女を踏みにじった。
そして、サリナは警察の懸命な捜索も虚しく山奥で遺体で見つかった。犯人は防犯カメラの記録から捕まり、いまは刑務所にいるらしい。
この話をふまえてひっかかったのは、ライムから発せられたあの言葉だ。
「私みたいなのが来ても、助けてもらえる」。
これは、妹を喪ったモミと妹を欲し続けるトールのように、身体の元になっている故人の影響が強く出ているということではないだろうか。
どれだけ泣き叫んでも、サリナには救いの手は差し伸べられなかった。
童謡を聞かせ、アイドルにとってかわろうとするのは、サリナが実現できなかった夢を追いかけているのではないか。
「……ダメだな、私」
都市伝説は元の人間の記憶を引き継がないのは、自分のことでよく知っているはずだった。なのに、こんなことを考えるなんて、と自分で自分を笑いたくなってくる。
レイをはじめとしたアイドルたちはふだんは笑顔を売って生きているはずなのに、重く苦しい雰囲気をまとっていて。
その重苦しさが、ゲートに笑い飛ばすことを許してくれなかった。
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