第32話 ぼ

 先日の怪人騒ぎで一部の女子が大騒ぎとなったが、みんな学校には来れているようでルナはたいへん安心した。危険なものを見たという証言もあって今後怪人アンサーで遊ぶのは禁止とのお触れが出たが、あれを見てしまったのだから、もう二度とあんなもので遊びたいと思う者はいないだろう。

 怪人アンサーの噂は終息し、最も怖い目にあったケイカもそのことには触れなかった。そのぶんルナへのスキンシップが増えたような気がしたけれど、やめてほしいとは思わない。恐怖を紛らすのに誰かと一緒にいたい気持ちはよくわかるからだ。


 そして、たいくつな授業が終わり、放課後になる。真っ先にケイカがルナに抱きついてきて、いつも通り一緒に帰るつもりだった男ふたりがじゃれつく子猫二匹を見るような目でこちらを見てきた。


「最近仲いいよな、お前ら」


「なんというか、距離が近いですよね」


「あ、トラオくんにリュウタくん。ごめんねー、ルナちゃん借りてるよ」


 トラオとリュウタは都市伝説のことを知っていて、怪人騒ぎに首を突っ込んでいたのがルナとトトキだと知ると察してくれていた。ふたりのことを巻き込んでいないまでも、都市伝説は確実に事件を起こしていたのだ。

 ルナはケイカもふくめた四人で雑談を楽しみながら、下校の仕度をする。玄関で靴を履き替え、校門をくぐって歩いていく。


 元より社交的なケイカはトラオやリュウタとも多少は話せるくらいの間柄だったようで、会話は弾んでいるように聞こえる。積極的に話す機会というのは、これが初めてかもしれないけど。


 そんな楽しげな雰囲気の中にひとつだけ、どうしてか鮮明に響いてくる音があった。


「……ぼっ、ぼぼ」


 男の人の声にも、女の人の声にも聴こえる。機械音では決してないが、友人の声でもない。不気味、のほかに表現のしようがなかった。


 思わずルナは振り返る。すると、ルナどころかリュウタよりも背の高い校門の上に、ぼうしが乗っかっていた。リボンがついていて可愛いとかそんなことを考えるよりも前に、そのぼうしがひとりでに動く。

 あのぼうしは校門の上に置いてあったのではない。校門ほどに背の高い者がかぶっていたのだ。


「ぼぼ、ぼっぼぼ」


 現れた女は黒いスーツと白いワイシャツを着て、顔は長い前髪で隠れていて、ルナはそれが見てはいけないモノだと本能で理解した。

 その女は、ルナのことを見ていたのだ。


「ルナ、どうかした?」


「……ごめん、私、先帰るね!」


「あ、ちょっと!ルナ!?」


 三人を置いて逃げ出した。みんなを巻き込みたくない、という気持ちもあったが、一刻もはやくあの女から離れたかったし、恐怖に耐えられなかったんだと思う。

 息を切らしながらいつもより早い電車に駆け込んで、電車のなかでも外を見ないようにして、最寄り駅に到着したらすぐに走り出す。手足がまともに動いていないのは自覚していたし、喉の奥から昼の弁当を出してしまいそうにもなる。息を切らして、やっと家に着いて、メリーさんに心配そうな目で見られた。


「どうしたのよ?」


「メリーさん、ごめんっ、もう、走れない……」


 体力の限界がきているのと同時に、自宅へ着いた安心感から力が抜けてしまう。メリーさんに二階まで運んでもらって自室へ急いだが、それでも嫌な気配は止まらなかった。

 ルナの様子がおかしいことを察してか、あとからやってきたネネは荷物を片付けてくれたり飲み物を持ってきてくれる。スポーツドリンクを流し込んで、ルナは深呼吸してから事情を言葉にしようと試みた。


「……あの、ね。女の人に付きまとわれてるみたいなの。ありえないくらい背が高くて、スーツを着てる」


 その話を聞いて、メリーさんは真っ先にルナの携帯からマリーさんたちのほうへ電話をかける。てっきりルナだと思って電話に出るゲートはやれやれという態度だったが、メリーさんがした話を聞くなり焦ったような声色になった。


「ルナは生きてるか!?」


「走って逃げてきたみたいで息切れはしてるけど、脈はあるわ」


「……あぁ、背が高い怪異ってろくなやつがいないんだよな。メリーさんはルナのそばを離れるなよ!」


 ルナが出会ってしまったあいつが緊急の事態になるのは、目撃したルナにもよくわかる。それに、類似した話をオカルト好きのルナはよく知っている。たとえば、八尺もある女の怪異が気に入った人間を取り殺してしまう、だとか。


 恐らく、あの女の正体はその都市伝説だ。お話通りの能力を備えているのなら、メリーさんたちで太刀打ちできるだろうか。


「ぼっ、ぼぼ」


 カーテンを閉めている窓の向こうから声が聞こえてくる。思わず耳を塞いだルナを心配してメリーさんが背中をさすってくれてすこしは落ち着きを取り戻すが、すぐそこにあの女がいるという確信は揺るがなかった。

 メリーさんとともに息を潜ませ、じっと耐える。大丈夫、私がついてるわ、とささやいてくれるのも心強くて、不気味な音がしなくなるまで気を失わずにすんだのだった。


「お姉ちゃん、ボクもそばにいるからね」


 ネネも寄り添ってくれる。くっついて座ってきて、ネネのふんわりと甘い香りがした。負けじとメリーさんも距離を縮めてきて、ルナはちょっと狭くなった。でも、いまだけはその窮屈さも守られているようで心地よかった。


「おーい、無事だろうな? 私だよ、心配で来ちまった」


 窓の外から、ガラスをたたく音がして、続けて声も聞こえてきた。今度はあの不気味なものではなく、ゲートの声であるらしい。ルナはふと顔をあげ窓のほうへ行こうと思ったが、メリーさんに止められる。


「待って。なんでわざわざ二階の窓をノックするのよ。おかしいわね、あなた誰よ?」


「……ぼっ、ぼぼ……気づかれちゃった」


 次にしたあの不気味な声といっしょに聞こえたのは、誰とも違うか細い声だった。声の主はゲートではなかったのだ。あの女はまだあきらめていなかった。まだ、すぐそこに恐怖が居座っている。


「ルナに目をつけて、何が目的なの?」


「お姉さんはね。迎えに来たの。ルナちゃんのことを、迎えに」


 嬉々として語る窓の外の女。目的がわからなかった。ルナを連れ去ってなにをしたいのだろう。得体の知れない恐怖が渦巻いて、ルナの動悸はふたたびはやくなる。メリーさんはいい加減に頭に来たらしく、窓のほうへと歩んでいくと勢いよくカーテンを開け放ってしまった。


「ルナを怖がらせるんじゃないわよ、でか女!」


「……ぼ。おいたがすぎると、おしおきしなきゃいけないのに」


 次の瞬間、女の背から影のように真っ黒な触手が伸びた。身構えるメリーさんだが、目標は彼女への攻撃ではない。なんと触手は薄くのびると窓の隙間から室内へと侵入し、器用に窓を開けて本体ごと入ってこようとしたのだ。

 メリーさんが女の顔を躊躇なく蹴りつけたが、相手はそんなのお構いなしだ。早々に切り換えたメリーさんはネネとルナを突き飛ばし、女から遠ざける。


「……なんでお姉さんから逃げるの? お姉さん、さみしいな」


 メリーさんなど眼中にもなく追いかけようとする女に、メリーさんが飛び付き首にスリーパー・ホールドを試みる。だが触手がメリーさんに襲いかかり、球体関節を舐め回すように這いずってくるし、腕の関節を軋ませてくる。それでもめげずに力をこめて、メリーさんは時間を稼いでいた。


「行って、行きなさいッ!」


 その叫びを聞いてやっと、ネネがルナの手をとって駆け出した。メリーさんは触手によって引き剥がされて壁に叩きつけられてしまう。狭い屋内ではビームを放つことが出来ないのだろう。

 ルナはネネに頼み、きょとんとするお母さんの横を駆け抜けて、手を握ってもらったまま外へと飛び出した。開け放たれている二階の窓からは、異形の女の姿がよく見えた。


「こっ、こっちだよ!お姉さん!」


 せいいっぱいを振り絞って叫んだ。女の顔がこちらを向く。女は興味深そうに眺めていたルナのぬいぐるみコレクションを元に戻すと、ルナのほうへ動き出した。すぐにでも逃げ出したいが、いまはネネがいてくれる。


「……ぼぼっ、お姉さんって、呼んでくれた……うれしい。教えてあげるね、お姉さん、トールっていうの」


 トール。それが彼女の、都市伝説としての名前だろう。ゆらりと蠢く彼女に対しては背が高いというより怖いという感情しか出てこないが、メリーさんはルナの部屋では戦えない。ルナも狙われているだけではダメだ。


「ね、ねぇ、いっしょに来てくれるよね……?」


 手をさしのべてくるトール。なぜルナのお姉さんになりたいのかは察せないし、トールにどこへ連れていかれるかもわからない状況でその手はとれなかった。緊張と沈黙ばかりが場に立ち込める。


 そして、痺れを切らしたトールが動き出そうとする。ルナはたかが知れているながらも飛び退いて、わずかでも抵抗を試みる。その試みは、幸運にも役に立った。


「……あ、ぁあッ!? あ、あつい、なに、これ?」


「知らなかった? 晴れの日のフランス淑女はね、ソーラービームが使えるのよ」


 メリーさんの放ったビームが、さっきまでルナのいた場所へちょうど放たれたのだ。ルナを捕まえようと前のめりになっていたトールは、前髪が焼失してしまい、またさしのべていた腕も火傷を負っていた。


「……邪魔なお人形さん。次こそは、ルナちゃん、あなたをつれていくから」


 トールはそう言い残すと、忽然と姿を消した。いままでルナを追ってきたものなどなにもなかったかのように。

 緊張の糸が切れて、ルナはその場にへたりこんだ。身体を張って助けてくれたメリーさんがいなかったら、本当に連れ去られてしまっていただろう。ずっと手を握っていてくれたネネがいなかったら、トールを外へ誘い出す勇気は出なかっただろう。


 やっと落ち着いて、もうまわりにあの恐怖がいないと改めて考えたとたん、いままでこらえていたすべての吐き気がどっと押し寄せてきた。ルナはあわてて口を押さえ、大急ぎで袋を持ってきてもらうこととなった。







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