第27話 湯けむり夢なごり 後編
温泉宿に到着するや否や、ウィラとネネが飛び出していき、ほかの面々はそれについていく形になる。外壁の一部がビニールで覆われており、足場も組まれている。駐車場にはルナたちが乗せてもらってきたバスしかなく、工事中であるらしい。
まずゲートが猫をかぶって代表者らしいおばさんと話して、しばらくすると建物の中へと招かれた。
内装は和風のインテリアが高級感を醸し出しているもので、いかにも触ってはいけなさそうな壺や置物もいくつかあった。ルナには本当なら縁がない場所だろう。
「よし、風呂行くか。もともとそれが目的で来たんだし、改装中だから他のお客は来ないし。いっそのこと風呂で寝てても怒られないぞ」
どうりで誰もいないわけだ。貸し切りだとわかったとたんに嬉しくなったのかウィラが叫び、ゲートにはたかれた。
高級そうな絨毯を踏んで浴場へ向かい、全員で女湯へ入っていく。誰もいなかった脱衣所には一気に少女たちが増えた。おのおので服を脱ぎ、ルナの視界には肌の色が増えてくる。
「そういえば。都市伝説のみんなの服って、どこからきてるの?」
ひとりで脱ぐにはめんどくさい作りのメリーさんの衣装を慣れた手つきで脱がしていく。メリーさんに関しては着せ替え遊びの名残か身体が覚えていて、かんたんに衣装なしまで持っていけた。
そこで、脱がしていてふと疑問に思ったことを聞いてみた。ウィラやマリーさんのドレスはまず現代日本人に一般的な服装ではない。どうやって手に入れたのか。
「都市伝説の実現の一端だろうな。私たちが他人の身体を奪ったときにこぼれた力がナントカ、って感じだろ。私もよく知らん」
そういうゲートは制服姿ばかりを見るような気がする。彼女はほかの誰と比べても、都市伝説の中ではだが、人間社会に溶け込もうとしているように思える。あるいは、情報収集のためにはそうする必要があったのか。
「よーっし一番乗りぃ!」
相変わらずはしゃいでいるウィラとネネ。ウィラのほうは一目散に浴場へ駆けていき、すっかり保護者なゲートに走るなと注意されている。一方ネネはにこにこしながらルナとメリーさんのことをバスタオル姿で待っていた。
「メリーさん、そのぼでぃーでお風呂入れるんだね」
「そこらのドールとは違うもの。眼を描いてるわけじゃないし、やっぱりお手入れは必要よ」
メリーさんの人間らしくやわらかな肌と、しっかりと女性である身体でありながら人間とは決定的に違う球体関節がまぶしく見える。
ネネとメリーさんが次に浴場へ、続けてゲート、マリーさん、ハスミ、最後にシグとルナ。全員が集まってゆく。そして、案の定泳ぎに行こうとするウィラが捕獲され、ちゃんとかけ湯をしろとお説教が入ったのだった。
そんなほほえましい場面を眺めていると、ルナはあることに気がついた。目の前に広がる一糸まとわぬ少女たちの姿は、むろんみんなすべすべできれいな肌をしているのだが、それぞれにすこしずつ刺青や傷痕が見えたのである。
ゲートはお腹。へそを中心として、なにやら黒に近い紫で紋様が描かれていた。この世ならざるものを迎える扉、という印象である。
マリーさんのほうは首筋に細かな刻印がされているようで、目を凝らさないとただのざらざらとしか思えないくらいの細かさだ。記されている数字の羅列は暗号かなにかだろうか。
ウィラはまえ二人よりずっと目立っていて、さらに痛々しい。首筋から右肩にかけての火傷の痕だ。痛がるそぶりはないのが幸いか。
ハスミの肩にはいくつかの円がゆるやかな曲線で路線図を示すようにつなげられている刺青がある。よく見るとすべて線が途切れていた。
みんな、見方によっては自らの都市伝説に関連のあるなにかを備えており、ルナがずっと視線を奪われていると、ハスミが恥ずかしそうに見つめ返してくる。さっとゲートがあいだにはいり、ルナは自分の世界へ行ってしまいそうなところから引き戻された。
「なにじろじろ見てるんだよ、へんたい」
「い、いや、そういうつもりじゃなくて。たしかにきれいだと思うけど、そのふしぎな紋様が気になっちゃって」
「……あぁ、これか。こいつのせいで普通の銭湯には行けないのが困ったもんだよな」
その紋様は都市伝説としてのコスチュームと同じく、身体を乗っ取る際にあらわれるしるしだという。身体は人間でも理の外にある都市伝説であると消えないように刻みつけられているものであり、持ち主が変わることに対する身体の拒否反応、あるいは抵抗によってできると思われるという。
ゲートたちは「
「ま、こんなんでも借り物の身体だしな。ちゃんときれいにするだろ?」
「そうですね……あ、あの、ルナさん、私背中届かないので、洗ってもらってもいいですか?」
「あっ、ずるいわよハスミ! 抜け駆けなんて!」
身体を洗おう、という旨だったらしいゲートの言葉をいち早く理解したハスミから、ルナにお声がかかった。嫉妬したメリーさんがくっついてきて、腕に彼女のボディのふしぎな感触が伝わってくる。また争奪戦になりそうだったので、ルナはしかたなくじゃんけんで順番を決めてもらうことにした。参加者は発端のふたりにウィラも加え、いつの間にかマリーさんもしれっと混ざっていて、バスのときより少なかったが混戦が予想された。
「あれ、少ないってことは……シグとネネちゃんは?」
「あら、そういえば。先に露天風呂かしらね」
マリーさんに言われて外を見ても、人影らしきものはなかった。お花を摘みに行った、くらいだといいのだが。
◇
バスのときは争奪戦に参加していたはずが、ひっそりと抜け出していた少女、ではなく、少年がひとり。バスタオルで身体をしっかり覆っているため誰も疑わなかったが、彼──九音宮ネネは男の身体である。未成熟は未成熟だが。
そんな彼を追い、こちらは見た目から成人女性であるシグもまた喧騒から抜け出していた。露天風呂の岩を乗り越えていこうとするネネを呼び止め、謎多き彼のことを問う。
「どうかしたの?」
「……やだなぁ、シグおねえさん。おとこのこにとってお姉ちゃんたちのハダカは刺激が強いんだよ」
「私が聞きたいのはそんなことじゃないわ。まだ隠し事があるでしょう」
シグにはわかる。元より、他人に気付かれるのが前提の都市伝説として生まれ落ちたのだ。前は性別という大きな衝撃でかき消されたが、それだけが原因だとしたらトラオやリュウタどころか、道行く男性すべてがシグになんとも言えない不快感をもたらすことになってしまう。
「ルナには言えないことなの? 」
「おねえさん、ちょっとごめんね」
突然ネネに口を塞がれ、さらに柱の影に押し込まれた。シグはとても驚き、ネネのいつもとは全く違う真剣な目付きに一時は声を失った。静かにしろと言いたいらしい。シグはなるべく声を抑え、彼とささやく程度に話した。
「何が起きてるのかしら」
「ボクから出向くつもりだったんだけど。あっちから来ちゃったみたい」
ネネが指すほうには、何者かがいる。シグの知っている人物だ。大きな狐耳に狐のしっぽを備えた小さな女の子、こっくりさんである。覗きに来たわけはない。おおかた温泉にやってきているのを嗅ぎ付け、無防備な今を狙おうとしているのだろう。証拠にその隣には鎌を持ち大きなかごを背負った老婆を従えている。かごには人間の脚が入れられているらしい。
「シグおねえさん。ボクはお花摘みだって伝えておいて。戻るときは振り返っちゃだめだよ、ルナお姉ちゃんとまだ一緒にいたいなら」
そこまで言われてしまったら、シグは彼の言う通りにするしかない。振り返らずにそっと、露天風呂から室内の浴場に戻っていく。シグは戦えない。ネネのことは出会ったばかりでよく知らないが、その気配はただの人間ではなかった以上、ネネを信じるしかない。
「あ、シグ。やっぱり露天のほう行ってたんだ。ネネちゃんは?」
「ネネならお花摘みよ。一緒に探してあげたの」
自分の鼓動が早くなるのを自覚しながら、マリーさんの背中を洗ってあげているルナに対してそう答えた。祈りながらシャワーの湯を浴び、シグは落ち着こうと努力していた。
◇
こっくりさんは露天風呂でネネを発見した。面識はなかったが、ここにルナたちがいるのは知っていたため、マリーさんたちにけしかけるため呼び出しておいた足売りばあさんの都市伝説の生け贄になってもらおうと考え接触した。
こっくりさんと足売りばあさんの両方を前にしても、ネネは動じなかった。こっくりさんならまだしも、かごに人の脚を積んでいるばあさんが目の前にいても平然としている。だが、こっくりさんには相手が自分と同類だとは感じ取れていなかった。
「何者か、おぬし」
先に足売りばあさんが前へ出て、ネネに対して鎌を向ける。
「足いらんかえ?」
「あはは、きつねのおねえさん、その人選は面白いと思ってのこと?」
はいともいいえとも違う、質問に質問で返してくるネネ。事情を知っているような口ぶりで、ルナの関係者であることは明らかだ。ならば、斬り殺してしまうのが一番手っ取り早い。
こっくりさんの指示を受け、足売りばあさんはネネの脚を切り取ってしまうために鎌を振り抜いた。ネネの太股のあたりに切れ込みが入る。
しかし。ネネの身体には切れ込みが入っただけだった。血の赤も肉の赤も見せず、断面はなにも描かれていないように白かった。こっくりさんはこの時点で、彼女が都市伝説であるとは判断できていたが、それ以上はわかっていなかった。
もう一度、足売りばあさんはネネに向かって刃物を振るう。ネネは避けようともしない。胴体が切れても同じように真っ白な断面が見えるのみで、足売りばあさんはおののいた。その瞬間、ネネのかわいらしかった容姿がゆがみ、やがて人間のていをなさなくなる。
「ほんとは、ボクだってルナお姉ちゃんと一緒にいたいだけなんだけどな」
白いナニカだけが残され、こっくりさんは急激な嫌悪感と吐き気を催した。ここまで気分が悪くなったのは、こっくりさんとしてこの世界に生まれてから一度もないことだった。足売りばあさんは鎌を取り落とし、実体が薄れていき、やがて消滅してしまう。
ネネだったものは不可解な動きをたった一瞬のみ見せ、ふたたび歪んでいくともとのネネの姿にもどっていた。こっくりさんにこれ以上活動する気力は残っておらず、かろうじて立ち上がり、ふらつきながら遠ざかっていこうとすることしかできなかった。
「な、なんなのだ、おぬしは」
「
ネネの言葉を聞いても、こっくりさんには深く考えられなかった。
遠ざかっていったこっくりさんが見えなくなって、やっとネネは室内へ戻る。バスタオルをきちんと巻いている彼は、まだ彼女だと、あるいはただの人間だと、思われているままだった。
「ルナお姉ちゃん! 背中あらいっこしよー!」
「えっ、他のみんなのぶんも私がやったんだけど」
「じゃあきもちよかったってことでしょ?」
少なくとも、九音宮ネネでいるあいだは、ルナが好きなだけの幼い子であるのは間違いないのだった。
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