第6話 学舎が夜に火は灯る
夜の学校。それは噂好きな子供たちにとって身近で、しかし別世界のように遠い場所。あまたの怪談が学校を舞台として生まれ、そして通う者を怖がらせてきた。トイレや理科室は子供たちにとって霊ととなりあわせのどこか隔離された場所であり、彼らが話す怪談においてはたしかにそこは切り離された世界だったのだ。
さて、時は現代。怪談が流行るなんてめったにないようなこの時代においても、学校の怖い噂とはある日突然現れるものであった。どこが出所かもわからぬまま広がって、やがて噂は伝承となっていく。主に、熱心に食いつく一部によってだ。
「リュウタ!聞いた!?」
「いきなりなんですか、しかも声が大きいですよ、ルナ」
その一部に加えていいかは定かではないが、ルナもまたその噂に興味津々だった。友人であるリュウタに話しかけて、返答を待たずに喋ろうとしていた。
なぜわざわざ科学主義のリュウタにであるのかというと、トラオのほうは金曜日に人面犬に襲われ、そのことをうっかり親父にこぼした結果めちゃくちゃ話を聞かれているのだという。盾寺の現住職、それがトラオの親父さんなのだから、きっと都市伝説について思い当たるようなことがあったのかも。
「それで。噂って、理科室のやつですか?」
「そうそう!それでね、今夜、確認してみない?先生には許可もらったから!」
「断っても、あなたはひとりで行きそうですからね。私も行きますよ」
「やったぁ!」
ルナはすでにゆるそうな先生に話をもちかけるなど手を回していた。行く気まんまんである。リュウタは仕事を引き受けていたり勉強を教える約束をしていたりと、突発的に行動するルナと都合が合わなかったりするのだが、きょうはトラオもさっさと帰っていないため万一に備えて開けておいたのだという。ルナがお母さんみたいだと呟くと、あなたが危なっかしいからですよと返されて否定できなかった。
リュウタのいう「理科室のやつ」とは、きのうきょうで突然語られだしたこの高校の怪談である。夜中の学校の玄関で見つけたいざなうように揺れる火の玉に誘われていくと、やがて理科室へ誘導され、一晩閉じ込められてしまうのだとか。もちろんそんなことが事実であれば先生方も把握してルナの申し出も断ったろうに、すなわち作り話だとしか思えなかった。
そして、いったん別れて時間を潰した後に学校で合流する。またルナと夜のお出掛けというと誤解されそうなトラオは置いて、リュウタとふたりで肝試しだ。ルナによっては夜の外出は数日前に続いて三度目だが、夜の学校となるとなにか異様なものを感じずにはいられない。校門をくぐり、玄関から見慣れたはずの校舎へ踏みいると、いつもとは違う空気を感じる。どこか焦げ臭い、ような。もしかして、それは噂の火の玉のせいだろうか。ルナはあたりを見回した。
「あ、火の玉」
そして簡単に見つかった。ルナとリュウタを歓迎するようにゆらゆらと揺れて、じっと見つめるふたりにこっちへ来てほしいのか廊下の曲がり角へ消えていった。誘われてみるしかない。
「何が燃えているのでしょうか、見えましたか?」
「うーん、魂とか」
「非科学的ですね。けっきょく誰かのいたずらでしょうが」
リュウタは昔からこうだった。オカルトめいたことはほとんど信じてくれない。暗がりを怖がる素振りはないし、そのぶん普通のお化け屋敷ではなかなか楽しんでいるようなのだが、霊的なことは否定したがる。
それはルナと同じくあの火の玉の正体を探りたいという気持ちであり、ルナは自然と表情をゆるめながら学校へ入っていく。
火の玉はどこへ行きたいのか、めちゃくちゃなルートを辿っている。理科室へ連れていかれるとの噂だったが、行くと思ったら曲がったり、同じところを回っていたり、よけいに教室を通り道にしたりと煽られているようだった。こちらが歩き疲れるのを待っているのだろうか。誰かのいたずらで合っているのかもしれない。
火の玉がいったん教室に入ってから出ていき、ふたりとも見失った結果、校舎をひたすら歩き続けた疲れを少しでもマシにするため休憩することにした。教室がとっても静かで、ルナとリュウタは互いの息づかいだけが聞こえていた。それぞれが適当な席に座って、ときにどうかしたのかとのぞきに来る火の玉がどこかかわいらしく見えてきた。だんだんとまぶたが重くなり、そのまま眠ってしまいそう。
ふたりとも意識がおぼろげになってきたところで、ルナは自分の頬を強く打ち、意識を保とうとする。
「……いたた、ここで寝たら明日学校で発見されちゃうよ」
「そうですね、あれ、私の眼鏡は?」
リュウタの裸眼はかなりぼやけているとの話で、眼鏡はないと困る。いちど外して机の上に置いておいたのだろう。そういえば、と思って電気をつけて探そうとしたルナは、照明のスイッチを押すよりも前に眼鏡のありかを知った。
火の玉の燃える赤を映し出しながら宙に浮かび、たいくつそうな火の玉とともにいなくなる。つまり、あの火の玉、あるいはあれを発生させている者に持ち去られてしまったのだろうか。
「ねぇ、リュウタ。眼鏡あの火の玉が持ってったんだけど」
「ひとついいでしょうか。私は眼鏡がないとまともに歩けないのですが」
「……取り返そう!大丈夫、リュウタは私が背負うから!」
身長は女子の平均やや下程度のルナ。彼女が高身長であるリュウタを背負って歩く。リュウタはかなり心配なようだったが、ルナに急かされて身を委ね、うめくルナを気遣いながら夜の廊下へ出発した。一歩一歩が力を振り絞ってやっとのために追い付ける気配はいっさいなく、たまに火の玉が嘲笑うように踊る。残念ながら、必死なルナにも眼鏡がないリュウタにも見えていなかったが。
「やっと理科室だね!もういいよね、降ろすよ」
「……ルナ、大丈夫ですか?」
「だから大丈夫!すっごく疲れたけど大丈夫!」
ルナたちが入ったのは、理科系の特別教室のなかでも人体模型や骨格標本をはじめとしたいろいろが揃っている生物実験室であった。恐らくいくつかの実験室のなかでも最も不気味なところだ。臓器などを扱うのだから、この異様な雰囲気も当然といえるが。
そして校舎に入ってきた際に感じたような異様な空気への変化を前よりも濃く感じる。火の玉に追い付いたからだろうか。
そう考えていると突如扉が閉められ、急いでリュウタが開けようとするが動かなかった。理解が追い付かないまま閉じ込められたルナ。頭が状況に追い付くと同時に悲鳴をあげそうになる。先生が気付いてくれるまでこの不気味な場所にいなければならないのだと気付いてしまったからだった。
しかし声はむりやり抑えられ、くぐもった形でわずかに響く。そして一瞬の静寂を経て、ルナはこの自分の口を押さえているやたらと熱い手がリュウタではない何者かのものであると理解し、その正体が知りたくなった。視線だけを向け、せいいっぱい背伸びしながら息をひそめている少女の姿を認識する。
「大きな声出したら、気づかれちゃうから」
暗闇にとけこむ黒い外套から、赤い髪がのぞく。高い位置で結んだツインテールの女の子だ。暗闇でうっすらと見える白いドレスらしき衣装は、斜めにフリルが走っており溶けかけのろうそくのようにも見える。彼女が鬼火の正体だろうか。
手を離してもらって、その黒の外套でひとつしかない入り口の窓をかくした。咄嗟に開けようとしたリュウタには開けられなかったのは、彼女がつっかえ棒で開かなくしたからだったようだ。
リュウタと並んで彼女のことを眺め、リュウタにはかろうじて人であるとしかわからないようだが、とても高校にいていい年齢には思えない彼女へいくつか質問をすることにした。だがわからないことが多すぎるいま、細かなことよりも重要なことから聞くべきだ。
「あなたの名前は?」
「この子は『
トトキが家ではゲートと呼ばれたがるのと同様に、彼女も本名ではなくウィラと呼んでほしいようだ。ルナもリュウタもそれに頷き、ウィラ、と呼び掛けながら次の質問に移る。
「何に気づかれるのですか?」
「……こわい人。最近いきなりうろつくようになっててこわいの。どこまでも追いかけてくるから、もう会いたくないの」
いったい彼女に何があったのだろうか。冗談とは思えない気迫と過去への恐怖がにじみでており、ルナは信用する。リュウタもきっと幽霊やオカルトめいた話より追いかけてくる変質者のほうが信じてくれるだろう。
ルナが黙ってウィラの話を聞いていると、こつん、こつんという靴音と同時にがらがらという台車を押しているような音が聞こえてくる。
「巡回でしょうか」
「しっ!これ、あの人が来る音だよ」
小声で告げられ、息をひそめる。見つかれば出てくるまで待ち伏せされるのだという。黙ってリュウタもルナもいう通りにし、しだいに靴音と車輪の音は遠ざかって小さくなっていった。聞こえなくなるまで気を張っていた三人は一気に脱力する。
このまま学校に寝泊まりするわけにはいかない。どうにかして、あの謎の「こわい人」に見つからないようにしなければ。そして眼鏡なしのままのリュウタを連れて脱出できるのだろうか。実験室の三人は揃って不安を表情に浮かべていた。
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