第7話 眼鏡と炎とこわい人
舞台は夜の高校。とはいってもまだ職員室には明かりがついていて、ルナもリュウタも侵入は許可をもらってのことだったのだが、残念ながら得体の知れないモノが徘徊しているらしく。生物実験室に誘い込まれたふたりは、火の玉をつかっていたずらをしていたらしい少女と一緒にあたりの気配をうかがっているのだった。
「明かり、つけよっか」
「つけたら気づかれちゃうんじゃ」
「だいじょうぶ。私の火は特定の人にしか見えないもん」
そういってウィラが指を鳴らすしぐさをする。残念ながら気持ちのいい音は鳴らなかったが、かわりにちいさな火の玉が宙に現れ、あたりをやさしく照らした。
「いったいどういう原理なのですか?」
「わかんないけど、とにかくこうすると火がつくよ」
「なんと非科学的な……」
焚き火を見ていると心がなんだか落ち着いてくるように、燃える火の玉は恐怖ではやる心を抑えてくれて呼吸を整えられた。深く吸ったり吐いたりで落ち着くと、まず確認をする。
「リュウタ、歩ける?」
「何かにぶつかる可能性を考慮しなければ」
リュウタのなんともいえない反応はつまり無理だと判断し、ルナはなにか考えなければならなかった。思い付いたのは、リュウタの手を握って連れていくことだけ。さっさとこの異様な空気から脱出したかったルナは迷わずにリュウタの手をとって、実験室の扉にしてあるつっかえ棒を取り払って、外へ出ようとする。
「うぅ、置いてかないで」
「あっ、ごめんね!ウィラちゃんも一緒に行こうか」
ウィラもルナと手を繋ぐことを所望し、ルナの両手がふさがった。三人で慎重に廊下に出て、誰もいないのを確認し、なるべく駆け足で玄関へと向かう。道順は合っているはずだ。
いくつかの教室の前を通りすぎて、もうすぐ玄関だというところで、自分達の足音以外の音がすることに気づいた。あの靴音と、車輪の音だ。ルナは息を飲んで、みんなで教室のほうへと隠れようと考えた。
考えたのだが、ここでリュウタがコンセントの出っ張りにひっかかり、ルナとウィラごと転んでしまう。
自分の心音と近づいてくる靴音がどちらも加速しているのに気がついて数秒後、ルナはその正体を知ることとなる。廊下のむこうから、暗闇にぼんやりと浮かぶ白い服が現れる。看護師の格好をしている女性だ。
彼女が押しているのは誰も乗っていない車椅子で、女性の顔をよく見ると本来の人間で必要なパーツがいくつか欠けていることがわかってしまった。
「な、なに、あのひと」
「わかんないけど、逃げなきゃ!」
車椅子を押して追いかけてくる看護師とは逆方向に引っ張られて、想像以上に力の強いウィラのおかげで立ち上がることができた。だが時間は大きく食われており、距離はかなり縮められてしまっている。こっちは満足に動けないのに、向こうは人間ではない速度が出せる。卑怯だと思った。
「どうするの、こっち玄関のほうじゃないよ!」
全力で走っても引き離せないし、階段を上れば追ってこないかと思いきや車椅子を軽々と持ち上げて車輪は壁に走らせながらまだ迫ってくる。そんなのアリかと思った。だがただ走るよりは階段を上がる方が遅く、いったん引き離せる目処は立つ。ウィラがあの看護師には見えない火をつけて階段への道を示し、おかげでリュウタもどうにか転ばずにすんでいた。
三階から一階まで一気に駆け降りながら、もうすぐ玄関だとほのかに期待する三人。しかし、車椅子ごと階段を飛び降りて大幅に時間を短縮しついにはルナたちを追い抜いた看護師が立ちはだかり、どうやら帰してくれそうにはなかった。また生物実験室のほうへと走る。
「はぁ、はぁ、もう走れないよ!」
「……ひとつ提案があります。聞いていただけますか?」
リュウタの考えに賭けるほかに思い付かなくて、ルナはリュウタの気がおかしくなっていないことを強く願ったのだった。
◇
獲物を追う看護師は、逃げ惑う生徒たちが逃げ込んだとみられる、ぼんやりと明るい部屋を見つけた。生物実験室である。カーテンがしてあるようだが隙間から光が漏れていて、すこしこじ開けて中を覗き込む。
部屋の中には火の玉が浮かんでいるだけで、人間は見当たらない。いったいどういうことかと首をかしげ、また追いかけようと廊下に視線を戻した瞬間、看護師は頭部に大きな衝撃が走ったのを知り、その欠けている顔面を背後へ向けた。
自分の車椅子を奪って振り上げている生徒ではない少女がいて、看護師は彼女を次の標的と見定めた。
◇
リュウタが考えたのは、ウィラの火の玉を別の教室へ出して囮にし、看護師の注意を引くというものだった。教室へ隠れずに逃げようとすれば音で気づかれる。ゆえにさらに隙を作ったのちに続けて囮になる誰かが必要だった。
本来なら、発案者でも男子であるリュウタが自ら引き受けるはずだったのだが。ウィラの強い希望によって彼女が担当になった。まだ小さな彼女にあのような幽霊らしきものの相手をさせるのは心が痛んだが、ウィラの優しさに甘えなければ脱出できないのもルナはわかっていた。
隣の教室で隠れながら、月明かりがかすかに差し込む廊下でウィラと看護師が対峙するのをそっと覗いた。車椅子が振り下ろされ、嫌な音とともに看護師が倒れ込み、しかしまだ倒してはいなかった。車椅子のほうがウィラの手元で暴れはじめ、彼女を壁に叩きつけたのだ。幼い声でうめくウィラ。
さらに車椅子は看護師が起き上がるまでに速度をつけて何度もウィラのことを車輪で踏みつけており、明らかに敵意を持っていた。
「っく、せめて助けに」
「駄目です、ルナ。今出ていけばあなたも襲われるんですよ」
「でも……ウィラちゃんが」
リュウタだって助けに行きたいようだった。強く拳を握っていて、いますぐにでもあの看護師を殴り飛ばしてやりたい感情に溢れていた。
廊下では看護師がウィラを無理矢理に立たせ、床に叩きつけ、邪魔をする彼女を排除しようとしていた。わずかながらに床に血が散っており、ウィラの口元には鮮血の色で彩られている部分さえある。痛々しく、見ていられなかった。の、だが。彼女の口元を見ると、どこか笑っているようにも見えた。
「触ったね、わたしに。このわたし……『ウィル・オ・ザ・ウィスプ』に!」
そういって大きく息を吸い込んだウィラ。その瞬間、爆発的な光が押し寄せ、硝子にヒビが入り、危険を察知したルナは咄嗟に伏せた。
もう一度廊下を見ると床と壁には焦げあとがついており、ウィラは着ていた服が燃えてしまいたいへん危険な格好になっていた。一方の看護師は顔面の傷口が焼けて塞がっており、焼けたナース服からは弾痕がいくつかみられる血色の悪い肌が露出していた。退治には至らなかったようでふらつきながらもまだ動いている。
さっきの光を放ったせいで力を使い果たしたのか動けないウィラは、彼女の首を絞めようとする看護師から逃げられない。
ルナはウィラを助けるために出ていこうとする。今度はリュウタの制止がなく、むしろ彼が先に出ていっており、看護師をウィラから引き剥がそうとしていた。しかしかなり力が強いのか鍛えていないリュウタの腕では勝てそうになく、両者ともに退かない状態が続く。
そこでルナは今のうちにウィラを助け出してやろうと考え、駆け寄ったところで車椅子にはね飛ばされた。すっかり忘れてしまっていた。座席は燃えて残っていなかったが、敵意はいまだあるようだ。
一方でルナがあげた悲鳴に反応したリュウタの力がゆるみ、ついに吹っ飛ばされてしまう。看護師の目的はまだウィラにあるようで、そして車椅子はルナを狙っているようで、どちらも狙いを定めて動き出した。
「探したわ、まったく。それにふたつも出くわしてるなんて」
この場にはいないはずの少女の声がして、目の前の車椅子が持ち上げられ、床にぶつけられて車輪が歪む。こういうときに助けてくれる彼女。金色の髪が月明かりに照らされているのは、希望を体現したようだった。
「メリーさん……!」
「えぇ、私メリーさんよ。ゲートに言われて来たの。もしかしたら都市伝説が学校にいるかも、って。ビンゴだったようね」
ウィラとは明らかに違った気配を感じ取ったらしい看護師。むろんメリーさんに向かっていく。だがメリーさんはウィラを見るなりそちらばかり眺めており、看護師のほうにはほとんど興味がないようだった。目線を向けさえせずにふらふらの看護師の足をひっかけ、倒れたところにあのお札を貼って封印する。ウィラに大きなダメージを食らっていたからか、たったそれだけで消えてしまった。
「さて、残るはあなただけど」
「……ぅ、だ、誰?」
「私メリーさん。あなた、
目覚めたウィラは驚きながらも頷き、こうなってからたった数週間しか経っていないのだと告げた。メリーさんは彼女を封印するつもりなのだろうか。いや、ウィラは今まで出会ってきた都市伝説たちより、メリーさんやゲートに近い存在だ。それでも帰してしまうのかとメリーさんに聞くと、彼女は振り返らずに首を振った。
「こうなった都市伝説は送り帰せないわ。けれど、元からその必要もない。この子は助けてくれたんでしょう?」
ルナがメリーさんの問いに頷いて答えると、メリーさんは去っていく。悪い都市伝説だったあの看護師を倒したから、もう目的は達しているのだろう。ウィラを立たせ、メリーさんにありがとうを言って見送った。いつも通り、彼女はいつの間にか見えなくなって消えているのだった。
「あの、とりあえずいいでしょうか」
「リュウタ。大丈夫なの?」
「私は大丈夫ですが……眼鏡は?」
問われたウィラは「あっ、忘れてた」といった表情になると、舌をちろっと出して生物実験室へ逃げていった。リュウタも慌ててそれを追いかけるがまたもや足元で何かにひっかかって転倒。ルナが代わりに参戦し、鬼ごっこでウィラを捕まえるまで眼鏡は返してもらえなかったのだった。
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