第2話 トンカラトンと言え

 怪人に対するもやもやはだいたい晴れた。正体が妖怪トンカラトンであったということで納得してしまうのは目撃者くらいだろうと思うが、模倣犯だとしてもあれは紛れもなく人を殺せる気配だった。殺されてしまった女性はトンカラトンに取り込まれてしまったのかもしれない。


 そして、ルナは助かった。メリーさん、と名乗った少女に助けられたからだ。彼女はあの西洋人形のような格好でトンカラトンと肉弾戦を繰り広げ、そして圧倒した。引き留めてもメリーさんであるということのほかには明かしてくれなかった。


 誰に話しても、この話を信じてはくれなかった。それはまだわかる。トラオはそういうのは「幽霊ならまだしもそんなのあるかよ」といって否定するし、リュウタは科学の人間なのでもっとオカルト否定派だ。真に受けていたほうがおかしい。ルナはふだんから噂のことばかり話していて、慣れているだろうし。


 それより大きな問題があった。頭の中にだったが、知らないほうがいいこともあると言われて簡単に引き下がれるような人間ではないのがルナであった。

 メリーさんの正体とはなんなのか。そして、なぜ今になってトンカラトンが現れたのか。考えても平均程度のルナの頭では答えも出ず、けっきょくトラオとリュウタには助けを求める。もちろんまともに取り合ってもらえない。


「ほんとなんだってば!」


「あぁそうだな、昨日考えすぎで変な夢見たんじゃねぇか?」


「ちゃんと現実だもん!」


 そういっていつも真偽不明なのがルナだったが、今回は違う。確実にこの目で見たのだ。ときに知らずして虚偽を口にしてしまうこともあるだろうが、自分の記憶までも偽ることはしない。


「仮に嘘をついていないとしても、通り魔を撃退したそのメリーさんとは何者ですか?」


「それで悩んでるの!」


 トラオとリュウタは頼りにならなかった。帰り際にはずっとメリーさんのことで考えていたし、そのせいでひと駅乗り過ごしかけた。

 ふと空を見るとちょうど黄昏くらいで、ルナはあることを思い立つ。もう一度現場に行くことである。同じ場所に現れるともわからないが、あのときは確実にいたのだ。だとしたら、他の場所をあてもなくさまようよりは可能性があるだろう。


 相変わらずテープの張られている現場を通りすぎて、ついに昨日の道を見つける。何もいない。道路にくっきりと刃の跡があって、メリーさんがトンカラトンの刀を踏みつけていたことを思い出し、ここだという確証を得た。

 耳をすませ、夕暮れに鳴くカラスたちの声にまじったかすかな人の声を聞こうとする。女の歌声らしきものはどうだろう。黙って目を閉じていると、肩を叩かれたような感覚がして、思わず振り返った。このときは、てっきり近隣住民に変な人だと思われて話しかけられたのかと思ったのだったが。


「トンカラトンと言え」


 きのうと同じ声で、どこか荒い息遣いでそう告げられて、ルナは硬直した。望んでいないほうに出会ってしまった、と思った。また同じ状況だ。相手に刀があると知っていて、身体が震え出す。

 そこで冷静になれるよう目を閉じて、きのうのメリーさんのことを思い出そうとする。たしか、トンカラトンと言え、と言われたメリーさんはすこし笑ってこういっていたはずだ。それで助かったら成立してしまうと。


 こうして絶体絶命の状況に置かれると意外に頭が回る。兎が逃亡ルートを弾き出すように、ルナはトンカラトンという理不尽な怪異を考える。ここでトンカラトンと言って助ける例が必要で、ルナがその例になるよう仕向けたいのだろうか。だとすれば、トンカラトンはせっかく捕まえた自分を知る者を斬り殺すわけにはいかなくなってくるはず。

 と考えてみても、この理論がとうてい本当だとは思えなくて、ルナは死を覚悟して口をつぐんだ。未練はめちゃくちゃあるけれど、最後の可能性に賭けるしかなかったからだった。


「……っく、トンカラトンと」


「私メリーさん。今度こそあなたを倒すわ」


 そして、ルナは命懸けの博打に勝った。メリーさんだ。

 慌てて刀を突如背後に現れたメリーさんへ向けようとするトンカラトン。その懐へ飛び込んだメリーさんによって拳が打ち込まれて、衝撃で飛んでいこうとする身体からどうにか離れてルナは助かった。メリーさんはさらに追いかける。一度逃してなお同じことを繰り返す相手へ慈悲はないとみえた。


 メリーさんは飛び膝蹴りで速度を上げて攻撃と共に追い付いて、空中で体勢を変えてトンカラトンを地面に叩きつける。包帯が一部ながら赤に染まり、その上に乗るメリーさんは次の攻撃のため振りかぶっている。

 そこで、トンカラトンの奥の手が登場した。包帯そのものである。ベリベリと皮膚をはがすような音と共に包帯の一部がほどけ、触手のように動いてメリーさんの動きを止めたのだ。四肢を固められれば、武器を持たず、さらに少女の細腕では引きちぎるまではできず、拘束は解けない。


 地面からゆっくりと起き上がった包帯の主は隙間からわずかに見えた口を歪ませて刀を構える。メリーさんを斬り殺すつもりだ。

 振り上げて、彼女の頭部をかち割ろうと振り下ろす。包帯が斬れるやたらと皮のような嫌な音と共に聞こえるのは、カラスの鳴き声だけだった。


「私メリーさん。いまあなたの後ろにいるの」


 つまり、トンカラトンの刀はメリーさんを捉えていなかったのだ。包帯は宙に浮いているだけであり、トンカラトンは思わず振り返る。その瞬間、先程までにやりと笑っていたはずの顔面が拳で歪められた。

 メリーさんはひるんだ一瞬の隙も逃さず、刀を持つ腕を掴んで武器を奪おうとする。そこへ包帯が新たな腕のように動いて捕獲しようとしてくるが、そのたびに自らの現在地を歪めて告げ、次の瞬間には言ったことが真実になっている。メリーさんが包帯に捕まることはなく、やみくもに振り回される刀も意に介さず攻撃が繰り返される。


 やがて刀を杖にしてかろうじて立っているというほどになったころ、ついに頼みの武器がへし折られた。地面へ倒れ、もはや戦う余力はないトンカラトン。

 メリーさんは彼女を見おろして、ポケットから何やらお札らしいものを取り出して、トンカラトンの身体に思いっきり押し付けた。するとみるみるうちにその身体が薄くなっていき、後にはなにも残らずに消えてしまった。辛うじて戦いの最中で道についた傷がなにかあったのだと認識させるが、トンカラトンがそこにいたこと自体が嘘のようだった。


 メリーさんはルナに一瞥もくれず、またもやさっさと帰っていこうとする。その途中で風が吹いて先のお札が一枚飛んできて、手に取ると六芒星が描かれているだけの正方形の紙だった。だが、どこかただならぬ気配を感じる六芒星だった。


「あ、あの、落としたよ!」


 急いで紙を渡そうと、メリーさんに駆け寄る。振り向いた彼女は無造作にルナの差し出した紙を受け取って、ポケットへ突っ込んだ。ありがとうの言葉も聞かせてはくれないらしい。

 ルナも簡単には引き下がれない。今度こそ、彼女のことを知らなければ。


「教えてよ!さっきの敵のこと、あなたのこと!」


「もう言ったはずだけど。知らない方が……」


「それでも知りたいの。無知を後悔する前に」


 メリーさんは押し黙り、ふと何かを思い付いたのかスカートをばさばさとはためかせた。すると大きなスカートからはキャンディが数個と紙がいちまい落ちて、メリーさんはそれらを拾ってルナに手渡した。

 キャンディは市販のもので珍しくもなんともなく、たぶんただのおやつだったのだろう。だが紙のほうには「メリーさん」という文字をはじめとしたいろいろな情報があって、どうやら名刺であるようだった。


「本当にこっちの世界へ来たいのなら。書いてある住所に、あしたのいまごろに来ればいいわ」


 つまりこれは、いろいろと教えてくれるのではないか。ルナはうれしくなって、大きく頷くと大事にその名刺をしまっておく。

 いざ帰ろうと思ったとき、とうにメリーさんの姿はなくて、また夜道をひとりで歩くことになったのだった。

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