三章 『弱者の砦』 ①
肌を刺す冷たい風が再び吹き始め、周囲も暗くなり始めた午後四時過ぎ。
私達はようやく、シェルターの入口をに辿り付いた。
ここに至るまで、約四日。随分と長い距離を歩いた気がする。
チェックポイントとしては三番目の中間地点と言えるが、踏破した距離は全行程の半分をとうに超えて、四分の三に達している。もうひと踏ん張りで、目的の場所へと辿りつけるのだ。
しかし、この後には過酷な山越えが待ち受けている。出来る限り避ける形で進むにせよ、数多に連なる山脈の全てを迂回する事は不可能だ。
万全の態勢で臨む為、このシェルターで何としてでも休息を取っておきたい。
二つ目のシェルターで休む事が叶わなかった今、エリス様の体力も限界をとうに超えている。
到底、過酷さを増すであろう今後の道程に耐えられる状態では無かった。
気丈に振る舞っているものの、疲れは露骨に進行の遅れとして露骨に表れている。口数は極端に少なく、何度も経ち止まっては、肩で大きく息をしている光景が多く目についた。
気候の急激な変化は、着実に彼女の体を蝕んでいる。
何度も倒れそうになるエリス様の体を支えつつ、一心に前へ、前へ。
「……何としてでも、入れて貰わないと」
私は決意を固め、エリス様の手を引いてシェルターの入口に立つ。
シェルターは小さな山の麓、洞窟の様な穴場から迫り出すように巨大なトンネルの口を開き、どっしりと間口を構えていた。
元は緑に溢れた山だったのだろうが、今は吹き荒ぶ根こそぎ持って行かれ、所々に木の幹の残骸らしき突起が見て取れる程度の、無残な禿山と化している。
先の天変地異で噴火を起こした山も少なくない筈だが、ここは完全な死火山のようで、山の腹を抉り込む形でシェルターが収まっていた。トンネルの様な入り口付近は砂が積っていて、やはり好んで外に出る人間は居ないのだろうと容易に推測できる。
堆積した砂を掻きわけつつ、トンネルを潜って扉の前に立つ。向かって右方向に開閉する重厚な一枚扉だ。トンネルの中は何故か湿っぽい空気が滞留し、壁には茶色のペンキを塗りたくった様な跡が無数に広がっていた。
入り口に付近に溜まった天然の土嚢が上手く風よけとなっているのか、トンネルの中は風がそれほど強くない。
「……っん?」
驚いた事に、僅かに扉が開いていた。
僅か数ミリの隙間だが、確かに中の光が漏れだしている。
扉に砂が噛んで壊れてしまったのだろうか。
私は己に一拍の猶予を与えた後、まずは扉を叩く。分厚い扉は私の予想に反して、妙に軽快な金属音を奏でた。僅かな隙間を通して、中までノックが響いている事を確認する。
叩き続ける事一分余り。ノックの合間に小さな足音が混じった気がして、私は手を止めた。耳を澄ませるとやはり、タイルを踏みしめる様な小さな足音が一つ、此方に向かってくるのが分かった。私は扉の隙間に顔を摺り寄せ、中の様子を伺う。
「……だっ、誰かいるの?」
奥から出て来たのは、ボロボロの服を身に纏った少年だった。
見立て十三歳前後だろうか。身長は百四十センチほどで、汚れ擦り切れた濃紺のローブを身に纏い、薄汚れた肌を晒している。分厚い手袋の上からは、くの字に折れ曲がった鉄パイプが握られ、体は小刻みに震えていた。
ここは、見張りにこんな少年を立たせているのだろうか。
真っ当な疑問が湧いて出たが、私は違和感を押し殺して声をかける。
「あの、私達は東に向かって旅をしているんですが、数日でいいのでここで休ませてもらえませんか?」
「旅? 休む?」
どうやら言葉は通じているらしい。
彼は戸惑いの表情で何もない周囲を見回し、一歩後ろに下がる。
「待って、お願いします。中に――」
「リーダーに聞いてくるから、待ってて」
少年は私の制止の声を振り切って、暗闇の奥へと消えて行った。取り残された私達はただ待つことしか出来ず、ひょっとすると戻って来ないのではないかという不安を募らせる。
それから十分は経過した頃だろうか。
やけに緩慢な足音が複数、此方に向かってくるのが分かった。
「驚いたな、本当に人が居るじゃねえか」
奥から歩いて来たのは、十六歳前後の青年だった。
肌は汚れて、長い髪は後ろで一つに纏められている。青い瞳に、繋がりかけた眉が印象的だ。背後には数人の青年が控えていて、その中に先ほどの少年の姿もあった。
どうやら、先頭の彼がリーダーらしい。
彼らは体に麻布を捲いただけの格好で、扉の前までやってくる。
後ろ手にした右手には、やはり鉄パイプが握られていた。
遅まきに、何かがおかしいと警戒の度合いを引き上げる。
「この三年間、人が来た事なんて一度も無いんだけどさ。あんたら幽霊とかじゃないよな?」
「いいえ、幽霊ではありません」
私はネームタグを取り出し、扉の隙間から見えるように角度を付けて彼の方へかざした。
「幽霊じゃないみたいだな。だけど……そんなもん、死体から幾らでも剥ぎ取れるだろ?」
「認証のシステムを知らないんですか?」
ネームタグを専用のリーダーに通せば、身元は直ぐに判明する。
しかし、彼の反応は鈍かった。
「んぁ、ここの精密機械類は殆ど死んじまってるからさ。まぁ、ちょっと下がってくれよ」
私達は言われるがまま、僅かに後退する。
青年は面倒臭そうに扉の前に歩み出ると、鉄パイプを扉の隙間にねじ込んでテコの要領でこじ開けた。
およそ十センチ強に広がった隙間から、鋭い瞳でじろりと睨まれる。
「二人か……どうやってここまで来たんだ?」
「歩いて、です」
「歩いてって、何処から?」
「西の海岸線にある街からです」
「海岸線って、結構距離あるぜ? あんたら狂ってんのか?」
歯に布を着せない物言いに、しかし私は平常心を崩す事無く淡々と返答を重ねて行く。
「いいえ。私達の目指しているのは、ここから更に東に十五キロほど先にあるシェルターです」
「あの馬鹿でかい山の向こうって事か?」
どうやら、彼はこの辺りに住んでいたようだ。方角の分からないシェルターの内側からでも、正確に山の方角を仰いだので間違いないだろう。
「その装備にその荷物って事は、結構食料は持ってんの?」
「……いえ、もう殆ど残っていません」
一つ、嘘を付く。
食料という単語が出た瞬間、彼の取り巻きの放つ空気が僅かに変わったからだ。
「本当は、直接向かう予定だったのですが、予想以上に消耗が激しく、出来れば食料も分けて頂けないでしょうか?」
ここは危険だと直感する。もしも二つ目のシェルターで予定通りに休息を取れていれば、素直に引き返しただろう。
しかし、今は選択の余地が無い。何としても、エリス様を休ませなければ。
「んー、悪いけどソレは出来ないな。こっちも自分達の事で手いっぱいなんだよ」
「なら、中で少しの間、休ませて頂くのも駄目でしょうか?」
下手に出つつ、妥協点を探る。
元々ゴーグルと砂避けで表情を読まれる可能性は無いが、出来るだけ困っている風を装って、俯き加減で頭を下げた。
「まぁ、困った時はお互い様だしな。別に休むだけなら構わないぜ。ただ、勝手にぶらぶら歩き回ったりして、俺らの邪魔になるのだけはやめろよ。……死にたくなかったらな?」
予想以上にあっさりと許可が下りた。しかし警戒の色は解かない。
彼の言葉に冗談の色は無かった。
「分かりました」
私は大きく頷き、エリス様を抱き寄せる。
「そんじゃまぁ、ようこそ。……ロータム、お前が面倒見ろ」
彼の言葉に、後ろに控えていた門番の少年が大きく肩を跳ね上げた。
「聞えなかったのか、お前が面倒を見ろ、って言ってんだ」
「はいっ! でも、見張りは?」
「他の奴にやらせる。黙って頷いておけよ、愚図」
「はい、リーダー」
リーダーの青年は扉を開けるでもなく踵を返し、他の皆を連れて奥へと戻って行く。
残された少年が入れ替わりで扉の前に立ち、鉄パイプで扉をこじ開け始めた。
しかし、扉は十センチほど開いた所で止まってしまった。これでは、体を横にしても通れない。彼は鉄パイプを放り、扉の端に手をかける。僅かに扉がスライドしたものの、それも直ぐに止まってしまう。
「手伝います」
「……っ、でも」
私が扉に歩み寄ると、ロータムと呼ばれていた少年は怯えた様に身を縮めて後ずさる。
私は出来るだけ彼を刺激しない様に、そっと扉に手をかけて力を込めた。
「んっ!」
ゆっくりと肩の力を加えつつ扉を横へ。やはり砂を噛んでいるらしく、扉は筈かに動いただけだった。私は更に力を加え、辛うじて通り抜けられる幅を確保する。
「……すごい」
奥でこの光景に圧倒されていた少年は、ハッと我を取り戻して背筋を伸ばした。
「すみません、手伝わせてしまって」
「良いんです。それより、早く休ませて頂けますか?」
シェルターの中に足を踏み入れ、続いてふらふらのエリス様の肩を抱き寄せる。急激な気候の変化に加えて、約四日間に渡る強行だ。彼女の体は目に見えて震え、今にも崩れ落ちる寸前だった。
ロータムは私の鬼気迫る態度に気押された様子で、おずおずと奥に向かって歩き出す。
扉はそのままで良いのかと問おうとして、しかし閉める為に立ち止まられても困るので沈黙を通す。今は一刻も早くエリス様を休ませてあげたかった。
「こっちです……」
消え入りそうな声に導かれて薄暗い通路を進む。
一つ目のシェルターと違い、奥には更に扉が待ち受けていた。また扉を開かなければならないのかと思いきや、どうやらこの扉は生きているらしく、彼が小さなカードキーを通すと鈍い電子音と共に扉が開いた。
奥には更にもう一つ扉があり、二つの扉を潜ってようやく開けた場所に出る。
それにしても空気が悪い。実質二つも遮蔽扉を潜ったと言うのに、空気の質が外と殆ど変らない。どうやら、清浄機系が上手く働いていないようだ。
一階のフロアは薄暗く、全体的に淀んだ印象を受ける。よく目を凝らしてみると、一階部分は物資を貯蔵する為の倉庫の役割を果たしているようだった。
先行して歩くロータムは特に何を説明するでもなく、無言で右奥を指さす。
そこには二人が通れる幅の階段があった。階段は地下と二階に続く二手に分かれていて、彼は上に向かう階段へと足をかけた。
「エリス様、もう少しの辛抱ですよ」
私は彼女を気遣いつつ、一歩一歩確かめるように階段を上る。彼が何とも言えない視線で私達を数段上から見下ろして来たが、気にしている余裕はなかった。
やっとの思いで二階に上がると、一階よりも僅かに空気の質が落ちついている事に気付く。万全とは言い難いものの、外よりも空気の質は十分マシと言えるだろう。
二階部分は数日前に立ち寄ったシェルターとほぼ同じ作りの居住区画になっていて、長い廊下の両側に扉が並んでいる。あの場所と違う事と言えば、スライド式扉のほぼ全てが半開きになっている事だった。どうやら、この階層の電子ロックも死んでいるらしい。
隙間から伺える部屋の中は薄暗く、中に居る何者かが、ぎらついた眼で息を殺して私達の様子を伺っているのが分かった。
「僕の部屋は、三〇四です。ついて来て下さい」
耳を澄ませていないと聞き取れない声量で彼は呟き、長い廊下を足早に進んで行く。私は今更、彼が殆ど足音を立てない様に歩いている事に気付かされた。
私達も真似ようとして、しかし上手く出来ずに足音を立ててしまう。
ざわりと、両側からの視線が増えた気がした。
いや、決して気のせいでは無い。私達の足音に、知らない奴が来たと様子を伺っているのだ。扉の前を横切る際は、特に生きた心地がせず、急に何者かが飛び出して来るのではないか、という不安が背中にべっとりと張り付いて離れなかった。
そんな不安を重ねる事、十数回。
ようやく彼は一つの扉の前に立ち止まり、手で扉を押し広げて中に入るように促す。
私は少し警戒を残しつつ、恐る恐る部屋の中を覗き込んだ。
部屋の中は四人が入れば狭いと言えるほどの長方形の小さな空間で、ボロ布の布団が一枚、床に敷かれているだけだった。
頭上の電灯は壊れてしまっているのか、明かりはついていない。
「……お邪魔します」
私は布団を踏まない様に大股で部屋に入る。その後にエリス様が続き、最後にロータムが入室して扉を閉めた。
私はエリス様を壁に凭れかからせる様に座らせ、ローブを取って分厚いマスクを外す。
その作業をしながら、横目で彼の方を見た。
「入れて頂いて、ありがとうございます」
「ううん、僕は何もしてないし。リーダーの意見だから」
「でも、ここでお世話になるんですから」
ゴーグルを取り、彼女の額に手を当て、続いて手を取って脈拍を確認、額の温度も確かめる。どうやら、熱はないらしい。
ひとまず安堵の溜息を吐きつつ、リュックの中から錠剤を取り出す。
「……私の名前はジュゼと言います。こちらが、エリス様です。エリス・シュタインバーグ」
「もしかして二人共、女の人?」
「はい、そうですけど?」
疑問で返してしまったが、そう言えば私達はゴーグルにマスクという重装備で顔を覆っていたのだった。
まさか女性がここに辿りつくとは考えていなかったのだろう。
彼は驚きを顔に張り付けたまま身動きを止め、続いておろおろと天上を仰ぎ見た。私達が女性と知って、どう接して良いのか分からなくなってしまったらしい。
「えっと、僕はロータス・イメオ……です」
「少しの間ですがお世話になります」
「あのっ、よかったら布団使ってください」
「いいんですか?」
「う、うん」
無理やり貸して貰う様な空気になってしまったが、ここは素直に彼の言葉に甘える事にする。
エリス様を布団の上に横たえた後、私も重装備を解く。
ロータスは少し目のやり場に困った様子で――特別、私達が地肌を晒す事は無いのだけれど――視界に入らない様に私達から背を向けて扉の方を凝視していた。
「もういいですよ」
「あ、うん」
彼は少し気後れした様子で振り返る。
「優しいんですね」
「そんな事ない」
その後の会話が続かず、妙な沈黙がしばし続いた。
薄暗い部屋の中で、エリス様の呼吸だけが妙に耳につく。
ロータムは何を語るでも、問われるのを待つでもなく、扉に背中を預けて片膝を立てた姿勢で座っている。視線は誰に合わされるでもなく、目の前にある空虚を曖昧に捉えているだけだった。
「ここの話、聞かせて貰えませんか?」
エリス様の呼吸が落ちつき、寝息へと変わった頃。
私は意を決して、囁くほどの小さな声で尋ねた。
彼は僅かに肩を跳ね上げ、そして小さく苦笑いを作る。
「話す事なんて、特にないよ」
「ご両親は、ここにはいないんですか?」
煮え切らない彼の態度に、私は質問を重ねる。
すると、頬に滲む苦渋の色が僅かに増した。
「うん、今はもういない。死んだんだ」
「ごめんなさい。……例の災害で、ですか?」
「違うよ。ここで死んだんだ」
淡々と事実だけを並べ立てる、感情の籠らない口調。ここで死んだ、という言葉が引っ掛かったが、彼は問われた以上の事を語ろうとはしなかった。
このシェルターに辿りついた時の違和感の原因がそこにあるのかもしれない。
しかし、問いただす事は彼の心の傷を抉る事に繋がる。
故に私は
無暗に立ち入って、部屋を追い出されてしまったら。あるいはシェルターを追い出されてしまったらと考えると、聞ける筈が無かった。
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