三章 偽る真実

 真っ暗な空間。そこには何もなく。ただ闇が広がっていた。

「ど、どこ? ここ……」

 誰かの話し声が聴こえた。聞き覚えのあるような無いような。そんな声がした。

久野島の目の前に、いつか、どこかで観たような。二人の主婦とその後ろに流れる景色が浮かび上がった。その二人と周りの景色は、久野島が幼い頃に見たものだった。

「久野島さんの所の楓ちゃん。また、苛められてたんだって」

 主婦の一人の声がはっきりと聴こえてくる。そして、もう一人の声も。

「あらやだ。この前なんて、先生に嘘をついて怒られたらしいわよ?」

「本当? じゃあ、自業自得ねぇ。自分の事も嘘をつくなんて。

そんな事だったら、あの子うちの子と仲良くさせたくないわねぇ」

久野島は信じられないような顔をして呟く。

「……な、何で? どうしてこんな事……」

 景色と登場人物が一瞬で変わっていく。今度は久野島の高校生の頃の母校と、ある同級生の女学生の姿が映し出される。そして、その女学生は忌々しそうに言った。

「あいつマジ勘弁。自分の歳ごまかして、アタシの兄貴に告ってきたんだよ?

 マジでむかつくしぃ。楓の奴マジで死ねばいいのに」

 うろたえるように後ろへと下がる久野島。

「し、仕方ないじゃん! 先輩は年下嫌いって言うから、私……」

 身に覚えのある事ばかりが、久野島の目の前に人物や景色という形で、次々と出てきた。

変わる景色の中、久野島がかつて勤務していた会社の景色と、自分と同僚の男性社員の姿が映し出される。そして、男性社員はお見合いの写真を片手に持って、久野島の座るデスクへと近寄り、声を掛ける。その声には、うんざりした口調も混ざっていた。

「久野島さん」

「はい! 何ですか?」

 当時の久野島が、笑顔を出しながら答える。その笑顔を見て、呆れた顔をする男性社員。

「君との縁談の話なんだけどね。断っておいたよ」

 いきなりの事に困惑する久野島。縁談の話は、すでに結婚を前提にとまでになっていた。

訳が解らないまま、久野島は、男性社員に聞く。

「え? な、……何でですか?」

 男性社員は、「はぁ」と一息つくと、久野島の目を真っ直ぐ見て答える。

「歳を偽ってるそうじゃないか。僕はもっと若い人と結婚したいんだ」

 そう言って男性社員は、当時の久野島から去っていった。それを見ていた久野島の顔がだんだん苦渋と怒りの色へと変わってゆく。そして言葉を放つ。

「何で? 何で嘘ついちゃ駄目なの? 誰だって言えない事あるじゃん!

こんなの認めない! 私は認めない! 認めたくない!」

 そう叫ぶ久野島の声が、闇に響く。すると、今まで闇の中だったはずの景色が、久野島を中心にどこかで見た景色に変わっていった。そこは、地獄絵図の中の閻魔大王が、その人間が、天国行きの良い人間か、地獄行きの悪い人間かを判決する場所に似ていた。

訳が解らない久野島に、通常の人間の何倍もある大きさの人物が名前を呼ぶ。

「久野島楓」

 その声は威厳に満ちた声だった。場の雰囲気さえ掴めない久野島。

慌てふためいて上を見上げる。そこには黒髭を携え、豪勢な装飾に、閻魔と書かれた文字の冠を被った、大きな顔が見えた。

「お前は今まで、人に嘘をついて生きてきた。よって……」

 低く響くその声に、また、嘘という言葉を聞き、久野島はうんざりした声で言った。

「な、何? またその事なの?」

 幼い頃から、親の期待に答えるように育った久野島だったが、その重みに耐え切れなくなり、ある日嘘を一つついた。それは、幼稚園時代。習い事に通わせようとする親に対してだった。自分は、もう周りの同い年の子達よりも上手く出来るのだと。もう習い事に通う必要は無いのだと言った。すると、久野島の母親は、良く出来たね。と、久野島を褒めて喜んだのだった。しかし、その笑顔も、小学一年生に入ってから、習い事で習っていたはずの事が全く出来ていないことを担任の教師に言われ、久野島の母親は泣いて悲しんだ。

 そんな事が、何回も続いた頃、久野島は学校でも「嘘つき楓」と周りの同級生達に嫌われるようになった。一つついた嘘が、次第に広がって行き、久野島自身を一人にさせてしまう。母親は久野島が大学生になった頃、他の男と家を出て行ってしまう。出て行く前に散々娘の事で泣いていた久野島の母は、その事をなんとも思わない、自分の夫に嫌気が指し、離婚届を置いて行ったが、久野島の父はそれを破り捨て、自分の妻を待ち続けたのだった。そして、今。久野島に判決が下される。

「地獄行き!」

 その一言に久野島は、絶望の表情を浮かべて後ずさりし、その瞬間、履いていた靴のヒールが折れ、バランスを崩してしゃがみ込む。そして涙を流しながら叫んだ。

「え! そんな、嫌だ! そんなの嫌! 嫌ぁあっ!」

「灼熱地獄へ落ちるがいい!」

 しゃがんでいた場所に穴が開き、久野島は地の底へと落ちてゆく。

「いやぁぁあああっ!」

 絶叫を放つ久野島。そして、もうすぐ灼熱地獄へと落ちようという時、誰かの声が聴こえた。今までの景色が久野島から離れてゆく。そして、元居た場所へと景色が変わって行った。目の前では獅子目が、久野島の両肩を掴んで懸命に名前を呼んでいた。

「楓さん! 楓さん! 楓さん! しっかりして下さい!」

 唖然とした表情をしながら、久野島は獅子目の顔を見る。

「……え? 私、灼熱地獄に落ちたんじゃないの?」

 状況が掴めない久野島に獅子目は言う。

「ちゃんと、ここに孝明様も居ますよ」

「本当に! よかった……」

 河野の後姿を確認しながら、落ち着きを取り戻す久野島。

「はい。とにかく休んでください」

 獅子目にそう言われて、休もうとしたが、自分が嘘ばかりついていた事を振り返り、久野島は、獅子目に本当のことを話そうとする。

「……あのね、私ね。今だから言うんだけど、陽子ちゃんと同い年ってね?」

 獅子目は最後まで聞かずに、久野島に言う。

「嘘、なんですよね?」

 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、獅子目の問いに久野島は答える。

「え? 知ってたの?」

「はい。随分前から、皆知ってましたよ?」

 久野島は、宴会がある度に自分が酒に酔って、正確な歳を何回も連呼する事があったのだという事を聞く。それを聞いて恥ずかしくなった久野島だったが、自分の言った嘘に対して、謝ろうという気持ちになっていた。そして、気持ちを言葉にする。

「そうなんだ。……えっと、ごめんね。嘘ついて」

「はい。気をつけましょうね」

「……うん」

 獅子目に確認されながら、久野島は、二度と嘘をつかない自分になろうと思うのだった。

久野島が帰ってきた時。獅子目もそうだったが、急に姿を現した。何回声を掛けてもボーっとしていて、瞳の焦点が合っていない。何も答えないかと思ったら、急に叫びだす。

そして、その叫びと共に、意識をはっきりと持つ。その全てを見ていた河野は、一人呟く。

「後は、高谷だけか。大丈夫かな……」

 時界牢園では、東雲が瞼を少し開いて、黒い玉に映し出される久野島に語りかける。

「ほお。ちゃんと本当の事が言えたんですね。

その心、大切にして下さい。さあ、後は貴方一人ですよ。高谷高次さん」

 最後に残った試練を受ける者は高谷一人のみとなった。

 東雲は、またゆっくりと瞼を閉じるのだった。

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