二章 オンナの過去

 東雲の話を聞きながら、ゆっくりと瞼を閉じる。自分達の元いた場所を思い浮かべながら、河野は想像を強めていく。そして、ゆっくりと瞼を開いた時。自分のいる空間だけが、揺らぎを起こしていた。そして河野が驚きの声を上げる。

「な! 周りが歪んでる。うわぁ!」

 その声を聴いた高谷が、声を上げる河野を見ようとした一瞬で、河野の姿は、その場から影も形もなくなっていた。いきなりの出来事に動転し、高谷が東雲に詰め寄る。

「河野! おい! 河野はどこへ行った!」

 襟首をつかむ様な勢いの高谷に対し、東雲は冷静に答えた。

「よく見てください。そこに映し出されているものを」

 獅子目が真っ先に声を上げた。

「孝明様が! もしかして、お一人だけ戻られたのですか?」

「ええ。ここは彼の作る小説の世界と似ていますからね。彼は、言わば創造主。

ですから、簡単に戻れます。……ですが」

 言葉を続けようとした東雲。しかし、久野島の言葉が先だった。

「何? 周りの人に見えてないの? どうして?」

 黒い玉に映し出されている河野は、必死に周りの人々に声を掛ける。しかし、誰一人として、河野の言葉に耳を貸さない。それどころか、姿が見えていないようだった。

その映像を見ながら、東雲はゆっくりと説明する。

「全員が戻らなければ、あるべき時が戻りません。彼の試練。それは、待つことです」

「では! 私達も元の場所へ戻れるということですね?」

 その言葉を聞いた獅子目が、河野の安否を気づかいながら東雲に聞く。

「ええ。最終的には」

 余韻を持たせながら答える東雲。久野島が不安になって声を上げる。

「最終的にはって、……な、何かあるんですか?」

「試練です。個人が持つ、悩みや秘めごと等を解決する事。

それが戻るための条件となり、元の現世へ戻ることのできる唯一の方法です。

ああ、……それと。高谷高次さん。貴方には、少し厄介な試練が待っているようです。

この刀を持っていって下さい。自分が危ないと判断した時に抜いて頂ければ結構です」

 ぎょっとした表情をして、東雲を見る高谷。その顔には不安と焦りが入り混じっていた。

「な、何だよ? 厄介なことって……!」

「まあ、戻るためには仕方のないことです。

では、それぞれ思い浮かべてください。自分の居るべき場所を」

 残った三人が納得のいかないまま、東雲は言葉をつむぐ。

そして、高谷は仕方なしに瞼を閉じる。獅子目は河野を追うために瞼を閉じる。

久野島は、まだ何かわからずに瞼を閉じる。そして、三人の立っている空間が、ゆっくりと揺らぎ始めた。まず、獅子目が姿を消し、次に久野島。最後に高谷が姿を消した。

東雲はそれを見届けると、ゆっくりと瞼を閉じたのだった。


 そこは、見覚えのある場所だった。

「……。ここは? 前のご主人様の屋敷? なぜ……」

 しっかりとこの場を覚えている獅子目。ここで獅子目はある事を、前雇い主に強要されていた。それは、獅子目の体にゆっくりと触れる。

そして、ゆっくり口を開いた。過去の獅子目と主人の会話が始まる。

「獅子目」

 瞳に生気が感じられない獅子目を、主人は惚れ惚れとしながら見る。

そして、獅子目が返事をする。何の感情もこもっていない声で。

「はい」

 絶望に身を任せるかのように、獅子目の声はか弱く響いた。

主人は、さらに感情を紅潮させ、獅子目にいつもの言葉を言う。

「いつものを頼む」

「……はい」

 その言葉を聴くと、返事をしながら獅子目は、ゆっくりと自分の着ている服を脱ぎだした。

そして、主人と獅子目の体が絡みつく。それを見ていた、現在の獅子目が。顔を真っ青にして叫び始める。それは悲痛の声だった。

「やめて下さい! こんなの見たくない! 嫌!」

 懇願するように叫ぶ現在の獅子目の声をよそに、主人と過去の獅子目は、体を重ね合わせていた。そして、低い声で主人が嬉しそうに言う。

「そうだ。いい子だ。お前はずっと私の物だ」

 絶頂まで行っても、さらに犯され続ける過去の獅子目を、現在の獅子目が目をそむけながら、泣いて否定をする。後悔の気持ちがこもった声で。

「こんな事! こんな事私のすべき事ではなかったのに……!」

 すると、過去の獅子目を犯しつくした主人が、現在の獅子目の方を向く。

そして不気味に名前を呼ぶ。その呼び声は、快楽の心に染まっていた。

「獅子目」

「ひっ! 近寄らないで下さい!」

 寒気が獅子目を襲う。獅子目は、この主人の屋敷に雇われてから、夜ごと主人に詰め寄られ、自分のいうことを聞き入れなければ、屋敷から追い出す。とまで言われる。そこまでは別に出て行ってしまえば問題の無い話だった。しかし、この主人は、獅子目の飲む水に、媚薬を混ぜて飲ませ、気づけば獅子目は、主人の言いなりとなっていた。しかし、ある日主人の体調が崩れ、気づけばこの世から去っていたのである。その不幸があった後、獅子目は逃げるように、河野の屋敷に雇い入れてもらったのであった。

「可愛い獅子目。また、抱いてやる。お前は私のものだ」

 亡霊の主人が獅子目に手を伸ばす。しかし、獅子目は必死に言い放つ。

「わ、私は貴方の道具ではありません! あなたの捌け口ではありません!

私はもう、前の私とは違うんです! 孝明様の元へ……!

私は孝明様を……、愛しているんです!」

 その言葉が、亡霊の主人の姿を歪めてゆく。

そして、この世から消え入るように、その姿が無くなってゆく。

「獅子目……、獅子目……、し、し、めぇ……。」

 口惜しいとばかりに、声が響く。獅子目は河野の名前を必死で叫んでいた。

「孝明様! 孝明様! 孝明様ぁあっ!」

 錯乱した獅子目に、河野の声が聴こえた。

「獅子目! しっかりしろ! 獅子目!」

 獅子目の周りの空間が、どんどん獅子目を残して離れていった。そして、気がついた時。

そこには、河野の心配する姿が映っていた。

「た、孝明様? 孝明様!」

「わっ! どうしたんだ。何があった? もう大丈夫だよ! 大丈夫だから。

落ち着いて。高谷は? 久野島さんは?」

 愛しい人を見つけて、その胸へ飛び込み、抱きつく獅子目。その様子に驚き、困りながら、落ち着かせるように、河野は、獅子目に確認する。すると、獅子目は顔を真っ赤にして、いそいそと河野から離れた。そして、説明する。

「……! すみません! 私としたことが、抱きつくなんて!

高谷様と陽子さんは、私と同様の試練というものを受けているはずです」

「試練?」

 何の事かと思いながら、河野は獅子目の話を聞く。

「はい。その試練の中で、最終的に、この場所へ辿り着けると東雲様が」

 河野は、獅子目が受けていた試練が、どんなものだったのかと心を痛めながら。

少し解ったように言う。そして、自分の試練を確認する。

「……なるほど。だとしたら、僕の試練はまだ続いてるんだね」

 周りの人達への呼びかけが、全く無意味だと思って絶望していた河野だったが、獅子目が戻って来たことで、その心は少し救われていた。そして、獅子目が言う。

「はい。でも、もう大丈夫です。私も一緒に待ちますから」

「そうだね。一緒に待とう、獅子目」

「はい!」 

 獅子目の言葉に河野は元気付けられた。

そして、二人は、共に残りの高谷、久野島を待つのだった。


 時界牢園では、東雲が、古い椅子に座りながら。

肘掛にゆっくりともたれ、瞼を少し上げながら、一言呟く。

「……おや、獅子目陽子さんは、無事に辿り着けたようですね。

貴女の本当の想い、大切にして下さい。さて、次は……」

 東雲の声が、ゆっくりと館の中心部に響く。

次の試練を受けるものを、思い浮かべ、東雲は再びゆっくりと瞼を閉じるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る