一章 館と主
迫り来る百目童子。全身に目が付いているその妖怪は、その目玉を体中右往左往に動かしながら走ってきた。その余りの異様な姿に、河野達一行は縮み上がる思いで逃げる。
暫くして、鬼火が徐々に消えていく。すると、明かりを失った百目童子は、追いかける事が出来なくなり、その場から去っていった。
「ハァハァ! おい、もう追ってこないぞ。……助かった!」
必死で走った高谷は、肩を大きく動かしながら息を吸っていた。一行が全員息を整え終えると、獅子目が走ってきた間、見えていた建物を見て言った。
「館、ですね」
「そのようだね。誰かいるのかな?」
河野が館の開いた門を見ていると、人影が見える。そして、その人影は、一行に姿が見える位置まで移動し、片手に持つ灯りの点いたロウソクたてを、一行の一番前に居る久野島の顔の正面まで移動させ、挨拶をする。
「ようこそ」
「きゃっ! ひ、人よね? あ、あの、ここの家主さんですか?」
いきなりの声と灯りに驚く久野島だったが、人であると確認すると、落ち着きを取り戻して、目の前の人物に話しかける。すると、その人影は、丁寧に、感情のこもっていないような声で答えてくる。
「はい。ここは私の館です。皆さんお困りのようですね」
その人物は、とても端整な顔をして、長い黒髪を首の付け根から、少し上の場所で結っている。
そして、黒っぽい服装をしていて、丸眼鏡をかけた男性だった。その姿を見て、瞬時に自分の小説に出てくる主人公と同じ人物ではないかと、河野が言う。
「もしかして、僕の小説に出てくる……」
「安曇真司(あずみしんじ)ではありません」
そう即答する人物の言葉を聴いて、高谷が言った。
「あんた、こいつの小説知ってるのか?」
「まあ、少々。それより、中にお入りください。外は今、危険です」
外は危険だという人物の言葉を聴き、久野島は、早く安全な場所に行きたいという思いから、その人物の行為に甘えようと、一行全員に声を掛ける。
「お言葉に甘えましょう!
また、さっきみたいな奴に追いかけられるのは嫌よ、私!」
必死に主張する久野島を見て、獅子目が河野にどうするかを聞く。
「どうされますか? 孝明様」
少し間を置いて、河野は答える。
「信用していいかどうか解らないけど、僕はここが安全かも知れないって思う」
河野が考えるこの館は、自分の小説に出てくる所とそっくりなのであれば、結界を張られた館だろうと推測していた。そして、確かに門を見れば、特殊な装飾が見えた。そこから察するに、ここは河野の小説に出てくる、退魔の館と同等であると思ったからだった。
そして、河野の言葉に少し安堵したのか、高谷が口を開く。
「お、お前がそういうならいいが、なぁ、あんた。名前は何て言うんだ?」
館の主は少々の間を置いて答える。
「東雲誠一。時界牢園の主です」
東雲誠一と名乗った、その男性の言葉を聞き、河野はブツブツと呟きながら、確信を得たように声を上げて、その名を言った。
「じかいろうえん……時界牢園! じゃあ、ここは!」
「この世の終わりと、生まれの始まりの場所。とでも言えばいいですか?」
時が永遠に止まった場所。それが、時界牢園という場所であり、魂が彷徨い、再び生まれる場所というのが、河野の見解ではあるが、詳細はやはり解らなかった。
東雲も細かいことは話そうとしないだろう。と、河野は思った。
余りにも河野の小説に似ているこの場所に違和感を感じる高谷は、それを口にする。
「河野の小説にほとんど似てるな……。本当に信用できるのか?」
その言葉を聴くか聴かないかで、東雲は言う。
「急ぎましょう。また、何かが来ます。扉を開けている今の内に」
感情が全く感じられない言葉に、一行はやはり、躊躇していたが、その中で久野島だけは、すぐに中に入ろうとしていた。
「わ、私、行くから! お先!」
「おい、久野島! 待てよ!」
久野島が館の中へ入っていくのを制止しながら、高谷も入っていった。そして、最後に残る二人も、決断をしようとしていた。
「孝明様」
「ああ。行こう」
館に入ると、そこは実に何も無い空間だった。部屋の中は片付けられてはいるが、生活感が無い。そんな館の中を東雲と一行は歩いていた。そして、東雲が言う。
「よく、いるんですよ。あなた方のように時に取り残される人々が」
おかしな事を言うと思い、高谷が答える。
「は? 止まってたのは、周りのほうだぜ? 動いてるあんただって俺達には不思議だよ」
高谷の言うことも一理あると思いながら、河野が続く。
「逆だったと?」
「ええ、そうです。ここは、迷い込んだ人達を、現世へ帰すのが役目の場所ですから」
感情のこもりきっていない東雲の言葉を聴きつつも、やはり特別な何かの出来事に自分達が飲み込まれてしまったのだろうと思う河野。
すると、緊張に耐えかねた久野島が、東雲に質問した。
「あ、あの。東雲さんは、なんでこんな不気味な所に住んでるんですか?」
東雲は薄い笑みを浮かべると、ゆっくりと答える。
「不思議ですよね。
あなた達と変わりない人間なのですが、私もいつの間にかここに居まして。気がつけば、居つくようになりましてね。不気味でしょうが、静かでいいところです」
やはり、聞かない方が良かったと思いつつ、久野島は言う。
「あ、あはは。そうですか。……確かに静かだわ」
ずっと考えながら、河野は東雲に質問した。
「あの、東雲さんは僕達のような者を、現世に帰すのが役目と言われましたが。
本当に、こんな所から帰ることができるんですか?」
すると、東雲は即座に問いに答える。
それが毎日の日課のような、当たり前の事のように。
「ええ、必ず帰します。ですから、少し私の用事に付き合って貰えますか?」
用事と聞いて、高谷は慌てふためき言った。
「用事って、まさかここから使いに出されるんじゃないだろうな?」
東雲は少し高谷のいる方へ顔を向け、答える。
「まあ、そんなところです」
それを聞くと、高谷は嘘だという気持ちを前面に押し出して言った。
「おい! 冗談だろ?」
「冗談ですよ」
冗談という言葉に頭にきた高谷は、馬鹿にされていると思いながら拳を上げようとする。
「……この! ふざけやがって!」
「落ち着いて、高谷。悪気はないと思うからさ。ですよね?」
しかし、高谷の性格を一番良く知る河野が、それを制止した。そして、東雲に聞く。
東雲が間を置いて答える。
「ええ。まあ、少々、本当の事もありますけどね」
その言葉を聞き、一瞬にして高谷の覇気が無くなる。
「……ま、マジかよ」
気落ちする高谷を見ながら、獅子目は東雲に聞く。
「あの、そうなれば何をすれば宜しいのでしょうか? わたくし、多少の武芸なら心得ています。孝明様は、御家の跡取りですので、そうなれば私が代わって……」
最後の言葉を遮るように東雲が答える。
「本人でなければ、意味がないのですよ。
ここでの引き換えごとは、本人の意思も重なり合わなければ意味がありません。
ですから、獅子目陽子さん。あなたのお役目は、あなた自身にあります」
自分の名前を言われた獅子目が、驚いて聞く。
「! なぜ、私の名前を?」
やはり当然の事を答えるように、東雲は言う。
「私には、あなた方全員の因果が見えますからね。
名前くらいは、すぐに解るんです。まあ、占いのような物だと思って下さい」
単純に凄いと思って、久野島は言う。
「そ、それは凄いですね! 例えば、私達の歳も。あ、……やっぱりいいです」
最後にばつが悪そうな顔をしながら、久野島は言葉を中断した。
「そうですね。言わないほうがいいでしょう」
何もかも見透かしているような声で東雲は言った。久野島は、慌てて答える。
「あ、ありがとう御座います……」
「着きました」
東雲の声が響く。知らない内に、一行は館の内部まで足を運んでいた。河野が聞く。
「ここは?」
反響するのか、河野の声も響いて聴こえた。
「時界牢園。この館の中心部です」
不思議なものを発見した久野島は、声を上げる。
「な、何あれ? なんか黒い玉みたいの……」
そこには黒く渦巻いた、何かを映し出している、玉のようなものがあった。
獅子目が、その映し出されている物が何かに気づく。
「あれは、私達の居た広場ですね」
そして、その映像の中に自分達を発見した高谷が驚いたように言う。
「おい、見ろあれ! 俺達だ。なんでだ? ここに俺達は居るのに」
「時間がずれていましてね。今の時間ではありません。
ここに映っているのは、あなた方が、時に取り残される前の映像です。
よく見てください。そして、そこに自分が居るのだと想像して下さい。
そうして、目が覚めた時、あなた達は居るべき場所へ居ますから」
東雲の言う事に、全員、暫く唖然とするばかりだった。
そして、異変が起ころうとしていた。
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