第36話

 全身に雷が落ちたような衝撃だった。


 ウォンバスターの『命令』、リュークへの暴行、そしてレグルスの退学。私の婚姻。


 リーシャの口から紡がれた経緯はどれも等しく私を混乱させた。


「まぁ、あれだ。お前は操られていたから仕方がない。気を病むな」


 リュークがそんなことを言ってくるが、私にとって仕方ないで済む問題ではない。

 どんな事情があろうとも私が、リュークを死ぬ寸前まで傷付けたのは事実なのだ。

 リュークの痛々しい包帯姿がグサリと私の精神を削っていく。


「大丈夫か?シルア……顔色が悪いぞ」


 ヴィリックが顔を覗き込むようにして言うが、その体にはいくつもの傷があり……。

 チラと横目に映るリーシャもまたいくつかの傷を負っており……。

 ふいにここにいないレグルスの存在が脳裏に過り……。


「う……うぅ……」


 心の中で罪悪感がグルグルと渦巻き吐きそうになる。


「し、シルアートちゃん!ホントに大丈夫!?」

「まだ体調が優れてなかったのかっ!?まぁ、目覚めてすぐだったからなぁ。悪いオレ達の配慮が足りなかった!」


 やめて、これ以上優しくしないでくれ。

 クラスメイト達の優しい言葉が、私には何よりも鋭く尖ったナイフのように突き刺さっていく。

 このまま何事も無かったかのように、事情を知らなかった時のように無邪気に笑い返せればいいのかもしれないが、事実を知ってしまった以上そんなことは私には出来なかった。

 ただただ嗚咽がこぼれていく。

 嗚咽をこぼす度に周囲は優しい言葉を投げ掛けてくる。それが嗚咽の原因となり、その度に優しい言葉が投げられる。


 終わらない負の連鎖。



 ダメだ。これ以上、……これ以上、私に優しい言葉をかけないでくれ!!


「ちょっ!?シルア!?」

「どこ行くんだシルア!?」


 気付いたときには私は保健室を飛び出していた。

 背後から声をかけられるが、足音が聞こえるが振り返らない。

 私は、どこか私を、私のことを知らない人がいるところへひたすらに行きたかった。

 そんなことを考え、走りに走り抜き、辿り着いたのは、闘技場Бだった。


 と言うのも校外には卒業、退学以外の方法では出られないように魔方陣が張られているためだった。


 闘技場に来たのは、特別な時以外普段は決して開かず、ここなら誰にも会わずにすむと考えたからだが、Бに来たのは全くの偶然だった。


 立ち入り禁止と書かれた張り紙を無視して中に入り込む。中は鋭い冷気で満たされていた。

 何事かと周りを見ると所々に氷柱が連なっており、それを見て、そう言えばここはユリウスと戦った場所なのだと気づいた。


 リュークは確か絶賛修復中と言っていたが、あれから半年以上過ぎた今でも修復は滞っているらしい。


 ―――ホント……私がやること全て害にしかならない。


 ここには一人しかいない。そう思ったら自然と涙が溢れてきた。闘技場の隅で膝を抱えて泣きぐずる。


 ―――何がSクラスだ。何が英雄候補だ。

 強い力を持っているからと言って、それを無闇に振りかざし、建物を壊し人を傷つける。

 そんな者は英雄候補でもなんでもない。ただの暴君だ。


「おやおや……これは美しいお嬢さんだ」

「ッ!?」


 声がして顔を上げると見たこともない男が立っていた。


「誰……ですか。あなたは……」

「名前は忘れました。他の方には『独裁者ディクティター』と呼ばれています」

「ディクティター?」


 聞いたことのない名前だ。


「ディクティターさんですか。あなたはどうしてここにいるんですか?教師じゃ……ありませんよね?」

「えぇ、その通りですよ。私は教師ではありません。それどころかこの国の住人ですらありません。この国に来たのも今朝ですからね」

「……この学校の警備は中々にハイレベルのはずですが。どうやってここまで入り込んだのですか」


 このような怪しい男を魔方陣が、警備員が、教師がミスミス通すとは思えない。


「実は私の仲間にこのような者がいましてね」


 そう呟くと、男は指を鳴らした。


 瞬間、目の前の空間が歪み、


「……!?」


 私は立ち上がり警戒体勢になる。


 歪んだ空間から現れたのは数人の黒いフードを被った者達だった。深く被っているから性別は分からないが、一人一人ただならない力を持っていることは分かる。


「あぁ。驚かせてしまいましたか。安心してください。彼らは私の仲間です」


 男はそう言うが、安心など出来るわけがない。


 ―――最大火力で魔法を使えば……倒せないでも逃げる隙ぐらいは付けるか。

 そう考え、地面に手を付き、魔力を流そうと―――。


「あなた、今苦しんでますよね」

「……」

「力が違いすぎて周囲に溶け込むことができない。だからこの学校―――いえ、国から逃げ出したいが魔方陣の所為で逃げ出すこともできない」

「……何が言いたいんですか……」

「私たちはあなたに自由を与えることができます」


 その言葉に、私は息を呑んだ。

 魔方陣が張られている以上この学校から出ることはできない。が、それは入ることも同じ。

 しかし、目の前にいる男とその仲間は何らかの方法で、今私の目の前に立っている。


「本当に……ここから逃げ出せるの?」

「えぇ、勿論です。無論条件はありますが」

「条件?」

「簡単です。出たら最後二度とこの国に戻ってこないと誓ってください。それだけです」


 に、二度と……!?いや、別にそのくらいならいいか。私がいると皆を傷つける。だったら……二度と会わない方がいい。それが皆のためになるのだから。


 ―――本当にそう思っているのか!?何のために戻ってくる決断をしたんだ!?


 ―――だ、れ?何も知らないくせに!私のことを知ったような口を聞かないでよ!


 突如心に響いた、どこか懐かしさを感じる男の声に驚きながらも叫び返すと、私は私を覆っていた魔力を解散させ、男の手をとって頭を下げた。


「……よろしく、お願いします」

「よろしい。契約成立ですね」


 何かが自分の中に流れ込んでくる感覚。

 誓いを守らせるための男の魔法なのだと理解する。


 その後はすぐだった。黒いフードを被った者が現れたときと同じように、誰かが歪ませた空間に私も入っただけ。それだけで気付いたときには、私は広い草原の上に立っていた。

 周りに男も黒いフードを被った者達もいない。

 遠くにぼんやり見えるのは巨大な門。先ほどまで私がいた国の国旗が飾られていた。


 ―――やってしまった。


「い、いや。うん。私がいたら皆が傷つくもん……皆を守るにはこれしかなかったんだよ。うん…………」


 すぐに後悔が訪れるが、ブルブルと顔を横に振って誤魔化すように呟く。

 一人、国に背を向けて歩き出す少女の瞳は大粒の涙で溢れかえっていた。

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