第26話
保健室。
そこのベッドで横たわるシルアートを眺めながら、リュークは先程の出来事を思い返していた。
応接室を出てきた時のリーシャの瞳、そこには確かに涙が滲んでいた。そして今のシルアートの状態。いつもの悪態を吐く姿はまるで見受けられず、人が変わったように大人しく明後日の方向を眺めている。
何があったのかは聞いていないが何かあったことは明らかだ。
「くっそ……」
リュークは静かに舌打ちをした。
ここは国立の学園。いかに有力権力者の伯爵であろうがシルアートに直接の危害をもたらすのは不可能と考えての行動だったのだが、完全に裏目に出てしまった。
「だってまさか―――」
まさか『命令』まで用いてくるとは思いもよらなかった。
言いかけてリュークは下唇を強く噛んだ。そんなのは言い訳だ。想定外の出来事を想定するのが教師の役目だろうが!
無言で吠える。
リュークは元王国トップクラスの冒険者である。それ故に『
「く……どうすれば……」
『
何か方法はないものか、彼が頭を抱えて考え出すと、
「あ……」
視界の隅でシルアートが呻いたと思うと、室温が急激に下がり始めた。異常なほど気温が下がっている。
「ちぃッ!」
バッ。凍結を避けるため、慌てて『火』を纏うと距離をとった。瞬間、刺すような寒気がリュークを襲った。
「くっ……あの陰湿貴族野郎……やってくれるじゃねぇか!」
間違いない、待ちかねたウォンバスターが『命令』を下したのだ。すぐにこちらに来るようにと。
「ははッ。さすが俺が認めた英雄クラス様だな……冗談じゃねぇぜ。……あれから『火』はかなり特訓したんだけどなぁ」
瞬く間に、教室は白い氷に覆われていた。這い回るように霜が『火』を纏っているはずの体に浮かび始める。『火』の火力が『氷』の冷力に負けているのだ。
リュークは目を細めて乾いた笑みを浮かべると、平然と氷の上を歩き、ウォンバスターの所へ向かおうとしているシルアートに得物を構えて詰め寄った。
シルアートはこちらを向いていない。だから脳を軽く揺すって脳震盪を起こし動きを制限する予定だったのだが、
「痛ッ!?」
突如腕に痛みが迸り、動きを止めてしまった。視線は固定させたまま、眼球を少し動かして腕を見れば、腕にはいくつもの氷柱が突き刺さっており半分凍結していた。
氷柱が凍結を加速させているらしい。
即刻判断したリュークは、痛みで顔を歪めつつ氷柱を引き抜くと、過去
「そういや、あの頃は格上を相手に命知らずに特攻していたな……はは。俺もおかしくなっちまったものだ。まさか教え子が
シルアート相手に付け焼き刃の技術は通じない。
ならば、俺も守りを捨てて全力でいかせてもらう。
魔法は同時に二種類使えない。そのためリュークは凍結を抑えていた『火』魔法を消すと『風』魔法を展開させた。
ゴオッ。刹那『風』が……『嵐』が吹き荒れた。そしてそのまま教室を結界状に覆う。
触ると危険。そう判断したのか、今にも扉を出ようとしていたシルアートは、足を止めるとリュークの方をキッと睨み付けた。
「どうやら完全に敵と見なされたようだな。にしてもなんて魔力だよ。こりゃもう学生の域じゃねぇだろ。明らかに俺より格上じゃねぇか」
自分に向けて浮かぶ数千の氷柱と数万の雹をを見て、リュークは恐怖を通り越してただ呆れた。
人間は、実力の差がありすぎると抵抗する気がまるで無くなってしまう生物だ。無論、それはリュークも例外ではない。現に身体は動かず、精神は閉ざされていってる。
だが!
リュークはニッと笑う。
頼まれた以上これは依頼なのだ。敵が強すぎるからと、その程度な理由で依頼を放棄する冒険者がどこにいる。命がある限りその依頼を全力でこなす。それが冒険者だ。依頼を放棄する奴は冒険者じゃない。ただの腑抜けだ。
バサッ。ズボンにポケットに入れておいた包帯型の『魔力増強布』を取り出すと、慣れた手つきでそれをグルグルと顔に巻き付け、合間見えた。
「悪いなリーシャ。俺に出来るのはせいぜい足止めぐらいだ。ま、後は任せるからよろしくな」
―――ズガァァァァアアアアアアアアアアアアァァァァァ―――
その言葉を最後に、教室から耳鳴りが残るような轟音が奏でられた。
◇
「……ッ!?」
リーシャに案内されながら応接室に向かっていたレグルス、ソフィヤ、ヴィリックの三人は、不意に鳴り響いた轟音にバッと頭を上げた。
「な、なに!?」
「足を止めるな!急げ!」
なにか嫌な予感がする。
レグルスがそう指示を出すと同時に、凄まじい寒気が一同を襲った。見る見るうちに身体が凍らせれていく。
「リーシャ!」
「分かってるわよ!」
レグルスが叫ぶと、即座にリーシャが『炎』を自分達を覆う結界状に展開させた。
ジュウウウウウウウウ―――。
そんな解凍音が自ららの凍結を解凍した今でも途絶えなく響くことから結界の外の冷気が余程寒いことを簡易に想像させる。
「これは……シルアの魔法よね」
ようやく少し余裕を取り戻したのか、リーシャが呟いた。
「どう考えてもシルアートの魔法だ。『氷』はあいつしか使えないしな」
「なっ!レグルスお前!シルアが俺達を攻撃してきたって言うのかよ!」
ふむ、実に単調的な奴だ。俺はただ事実を淡々と述べただけなのだが。
いきり吠え出すヴィリックにレグルスはそんな感想を抱いていると、リーシャがそわそわしだした。
「ねぇ、レグルス」
「ダメだ」
「……うぅ」
どうせリーシャのことだ。シルアートの所へ向かっていいか訪ねようとしたのだろう。
レグルスが即答すると、ヴィリックがガシッと胸ぐらを掴み掛かってきた。
「お前、シルアートが心配じゃねぇのかよ!」
「お前は馬鹿か?」
瞬間、右頬に痛みが走った。殴られたのだと悟る。痛みはかなり強い。腰が入ってなきゃ成せない威力の拳にヴィリックが本気で怒っていることを知った。
「ヴィル、やめなさい!」
「離せリーシャ!俺はこいつを叩きのめさないと気がすまねぇ!」
ヴィリックは憤り再び殴ってこようとし、リーシャはそれを押さえようとヴィリックを羽交い締めにし、ソフィヤはそれをおろおろと傍観している。
実にまとまりがない。彼らはSクラス。通常時ならこんな取り乱した姿は想像が付かないほど凛としているのだが、よほどシルアートのことが心配なようだ。
だが、それとこれは別だ。
レグルスは殴られた頬を右手で押さえ、立ち上がると羽交い締めされているヴィリックの頬に向かって思いっきり拳を叩き込んだ。ヴィリックが吹き飛ぶ。
「ぐっ!?」
「レグルス何を!?」
「これはさっきの借りだ。これでチャラにしてやる」
やられたらやり返す。当たり前のことだ。
なのにも関わらず、ヴィリックは更に憤った。
「レグルスてめぇ!」
普段の彼からはとても考えられない鬼のような形相である。
人間ここまで変わるものかと感心してしまうほどだ。
だが、二度も
「リーシャがいないと誰が応接室まで案内するんだ。少しは頭を冷やせ」
「あっ……」
「……わるいレグルス」
頭が冷えたのか、少し間を置いて謝罪するヴィリックに俺は良いと手のひらを差し向けると続けた。
「だからシルアートを止めに行くのは案内し終えてからにしろ」
「「えっ」」
レグルスの指摘に下を向いていた二人が顔を上げた。その表情には嬉しさが込み上げてあった。
「ウォンバスターの方は俺とソフィヤが何とかする。手伝ってくれるなソフィヤ?」
「はい。わたくしが力になれるというなら、もちろんです」
「ってことだ。お前らにシルアートは任せるぞ。できるよな?」
レグルスがニヤリと微笑みながら問うと、二人は深く頷いた。
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