第5話

 そして二日後、出発の日の朝。

 俺は見送りに来た母親と複数の使用人に見守られながら馬車に荷物を積んでいた。ちなみに乗るのは多くの人が一度に乗る乗合馬車ではなく家庭用、所謂いわゆる自家用馬車だ。当然の如く自家用馭者までもがいることから前世との生活の違いを圧倒される。


 ウォンバスターは……やっぱりいないな。ま、来るとは思ってなかったが……逆に来なくてラッキーなんだが……それでもなぁ。……奴には親心というものが無いのか。


 荷物を積み終え、サッと周囲を見渡し深く嘆息する。


「シルアート、不安だったら行かなくてもいいのよ?」


 そんな俺の態度を勘違いしたのだろう。母親がそんなことを言ってきたので慌てて首を横に振る。


「大丈夫、大丈夫だからっ! むしろ楽しみっていうか……とにかく心配は要らないですお母様!」

「そう? なら良いんだけど……。 寂しかったらいつでも帰ってきていいのよ? 地位を返上するからって家族の縁が消えるわけじゃないからね?」


 ……どうやら母親はレアクトル学園のことを知っていたようだ。

 しかし、それでも娘を送り出す優しさに心を打たれた。


「うん、その時は遠慮なく帰させてもらうよ! おっと、そろそろ出発するみたい。 じゃあ、わ、私はもう行くね! 健康には気をつけて!」


 母親はウォンバスターとは違い一月と少しであったが優しく接してくれたので、まだ何か言いたそうにしている母親に罪悪感を感じながらも別れを告げ伯爵領から逃げるように出ていった。

 ……少し泣いた。


 王都にはほんの数時間ほどで着いた。

 試験の四日前から出発すると言ってたので大分遠いんだろうな、と考えていたのに数時間で着くなんて………。

 おかげで馬車が止まったとき、馭者に「お手洗いの時間ですか!?」なんてはしたないことを聞いてしまった。羞恥極まりない。


「……」

「お、お嬢様。 いい加減に機嫌を直してください。 お手洗いにはもうすぐ行けますから……」


 馭者が優しい言葉をかけてくる。……だけどな別に俺はお手洗いに行きたい訳じゃないんだよ……ただ、ほら遠出の際は途中パーキングエリアによって用を足すって言う前世の常識が出ちゃっただけなんだ。


「……」

「あっ、ほら。見てくださいお嬢様。 もうすぐ僕達の番ですよ」


 言われて見てみると、丁度前の人たちの検問が終わったようで兵士達がこちらへ歩いて来ていた。


「身分を証明できる物はありますでしょうか?」

 

 入国を管理してるゴツい鎧を着た兵士が尋ねて来る。


「これを」


 馭者がすかさず何かを提出すると、それを見た兵士が目を見開いて固まった。


「じゃあ通って良いかい?」

「も、もちろんです」

「だそうですお嬢様。 これでお手洗いに行けますね」

「……………」


 これほどまで人を殴りたいと思ったのはこの世界で初めてだった。


「お待たせしました、お嬢様。 では、予定通りこれから試験までの間滞在する宿に向かいます。 人が多いですが離れず着いてきてくださいね」


 王都に入って少し経った後、馬繋場に馬車を置きに行っていた馭者は荷物を片手に戻って来てすぐにそう言った。


「分かりました」


 頷き、荷物を片手に先に進む馭者の後を付いていく。どうやら荷物は彼が持ってくれるらしかった。


 赤いレンガ、青いレンガ、黄色いレンガ………この世界にはレンガ造りの家しかないのか。


 歩きながら町並みを観察していたが、感想は「レンガ」しか浮かばなかった。


 王都だから発展してるのかなと思ったがこれなら伯爵領と大して変わらないな。


 流石に王都なだけあって、人は伯爵領より断然多いがそれだけだ。造りは変わらないし、人々の服装も変わらない。

 しかも人が多いと言っても人工密集国の日本で生活してきた俺にとっては、まだ余裕の範囲であり苦難ではなかったため、馭者から離れ迷子になることなく無事宿屋に辿り着くことができた。


「す、すごいですねお嬢様」

「え? 何が?」

「普通、初めて王都に来た人はそんなにスラスラ歩けないんですが」

「へぇ」


 会話終了。悪いが年上とのコミュニケーションは苦手なんだ。


「いらっしゃい、っと、ベイルさんか。 どうだ? 今夜一杯飲んでいかないか?」


 宿に入ると威勢の良い声と共にいかにも女将って感じの中年女性が現れた。

 そうか。この馭者はベイルというのか。もう会うことは無いだろうが一応覚えておこう。一応世話になったし……。


「やぁ、ルーベ。 せっかくのお誘いだが今日は仕事なんだ。 また今度付き合わせてもらうよ」


 にしてもこの親密な会話。明らかに単なる客と店員という感じではなさそうだ。二人は知り合いなのだろうか。

 ベイルは外見からして二十歳くらい。対するルーベは四十歳くらいに見える。だから歳の差を考えても元恋人ってことは無さそうだが。


「仕事? ……ってことはそこのお嬢さんがシルアートちゃんだね? 私はここの女将のルーベだ。 ちなみにそこのベイルとは元冒険者仲間なんだよ。 これから少しの間だがよろしくね!」

「え? あ、はい! よろしくお願いします!」


 考え事をしてたからか少し反応が遅れてしまったがきちんと礼儀正しく挨拶をすることが出来た。前世の面接指導の成果だろう。結局前世では役に立つことはなかったが。


 しかし、冒険者仲間か。そんな縁があったとは、まさに異世界って感じだな。

 

「じゃあルーベ。 僕はもう伯爵領に戻るからお嬢様を頼んだぞ」

「えっ? いくら何でも早くないかい? もう少し滞在しても良いんじゃ?」

「いや、これでも大分遅れてるんだよ。 行きの道に魔物が出たせいで少し遠回りしてきてね。 王都に着くまでかなりかかってしまったんだ。 っと、もう行かなきゃ。 じゃあまた」


 そう言ってベイルは駆け出して宿を後にした。本当にギリギリなのだろう。心眼を使わずとも彼の背中がそう物語っている。


 って、魔物出てたのか。ぼうっとしてたから全然気がつかなかった。ベイルも言ってくれればよかったのに。


 まだ見ぬ魔物を拝めるチャンスを逃したことを知った俺は深く落ち込む。

 そんな姿を見てルーベは目を細めて朗らかに笑った。


「ふふ、ベイルのやつよっぽどなつかれてるんだね」

「? 何のことですか?」

「いやいや独り言さ。 さぁ付いておいで。 普通なら鍵渡して終わりなんだがね、ベイルの主人様の可愛いお嬢さんには特別に部屋まで案内してあげよう。 荷物は、ベイルが持ってきた物とだけかい?」

「は、はい。 そうです」

「何だか小さい気がするけど」

「替えの衣類と洗面具だけですから」


 嘘を付いても仕方ないので淡々と真実を答えると、ルーべは驚いたように目を見開いた。


「シルアートちゃん。 別に遠慮しないで、化粧品とか山ほど持ってきても良かったのよ?」

「化粧品なんて必要ないですッ!!!」


 何が悲しくて化粧なんてしなくちゃいけないんだ。転生してから一週間と少し経つが、未だに身体洗うとき自分の身体を直視できず目を瞑ってるというのに!もう自分の身体だって分かってても聖書と実物だと全然違くて恥ずかしいんだよ!俺はピュアなんだよ!


 すると、ルーべは予想外の反応だったのか手で口を押さえて震えだした。


 えっ、何か不味いこと言ったか?


 その姿に思わずそう考えるが、その考えはすぐ消えた。

 ルーべがお腹を抱えて笑い出したのだ。


「ふふふ、面白いわね! ベイルが仕えてる理由がよく分かったわ」

「え、あのその……」


 どうしよう。ベイルとは今日が初対面ですって言った方がいいのか、これ。

 何て考えてるうちに、弁解する間もなく上機嫌のルーべが荷物を持って先に進んで行く。俺は慌ててそれに付いていった。


「ここがあなたの部屋よ。 鍵はこれね。 もし困ったことがあったら何でも言いなさい! 何でも協力してあげるわ!」


 109。そう書かれた扉の前に立ったルーベから鍵を受けとると俺は頭を下げた。


「あ、ありがとうございます」

「飯は一日三食、食堂でとってもらう。 といっても、シルアートちゃんは食堂の場所知らないだろうから、夕飯時に呼びに来るわね」


 そう言うとルーべは微笑み、来た道を戻っていった。


 この人は良い人だな。もしかすると腹を割って話したことはないがベイルも良い人なのかもしれない。もし万が一、次会うことがあったら立場関係なくじっくり話してみたいものだ。

 そんなことを思いながら、遠さがっていくルーべにペコリと再度頭を下げ、貸してもらった自分の部屋に入った。

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