第5話 

平五と伝次郎は義一邸へと赴いた。正面玄関から訪ねると、すでに準備が整っているようで、義一のいる部屋に案内された。部屋に入ると、義一と召使が一人いたので、平五らは儀式的に挨拶した。

「狭い部屋の方がよいだろう」

義一は言った。しかし平五は「人払いを願います」と、無視して言った。

「なぜその必要がある。そちらは2人もいるのだから、こちらも一人ぐらい共を置いても問題ないはずだ」

「では、日を改めましょう」

平五は席を立った。

「今度は、あなたからこちらにおいでなすってください。冗談じゃない。私が伝次郎を連れてきたのは、これで、貴殿の邸宅で面談を行うこととの均等がとれると思ったからだ。それなのに人数を合わせるとこられては、こちらとしては引かざるをを得ない。帰ろう、伝次郎」

平五らは部屋を出ようとした。そのすんでのところで、義一が止めた。

「早まるな。ただ理由を聞いてみただけだ。そこまでいうのなら仕方がない、いいだろう。しかし念のため持ち物を調べさせていただく。良いな」

平五は少し考え、「いいでしょう」と答えた。そして、懐から短刀を出してみせた。

「これがわたくしの持ち物です」

一瞬、場が静まり返った。

「おいお前、これで一体どうしようというのだ。なぜ持ってきた」

「驚かせてすみません」と平五は低頭した。

「しかし、これは、正宗の作のれっきとした名刀です。実用向けではありません」

「だから、それをどうしようというのだ!」

「はい。これを、義一様に差し上げたく、持ってまいりました」

「なに、俺にだと」

「はい。これで、人払いをしても問題ないはずです」

武器を持てば召使もいらないはずだ、という理屈である。義一の眉にしわが寄った。平五はちらっと、召使のほうを見てみた。すると召使も、ギラギラと平五のほうを睨んだ。義一は少し考えたのち、「良いだろう、信吾しんご(召使の名前)、引け」と言い、人払いを認めた。

信吾は一瞬口をとがらせて、固まった。しかし義一にもう一度「引け」とせかされて、「失礼しました」と出て行った。

――とりあえず、出だしは上々だな。

伝次郎は思った。

――話の主導権は握れたはずだ。あとは毅然とした態度で臨むだけだ。頑張れよ、平五。

「本題に入る前に、、、まず私が聞かなければならないことは、どうしてあなたが、私たち夫婦の事情を知っているのかということです」

「知っている、というより、分かりきっていた、という表現のほうが正しいかな」

「どういう意味ですか」

「俺がおみえに男の味を教えてあげたのだ」

義一は茶をすすり、挑発するように口角を上げて見せた。

「しかし悲しいかな、おみえはもともとそういうことが極度に苦手だったようで、俺がとどめを刺してしまったのだ」

後ろで黙って聞いていた伝次郎が、動き出した。彼は平五の耳元でこう囁いた。

「平五、決して怒ったりするなよ。分かるな、たったいま挑発を受けた。感情的になったら負けだ。こらえろ!平五」

しかし、それは平五には無理な話であった。

「分かるものですかね」

平五はそう言い、おでこの汗を和紙で拭った。

「たったそれだけで、一年間、何もできなかったと、分かるものなんですかね」

彼は突然、床を力いっぱい殴り、怒号を上げた。

「おみえに何をした!」

「平五、抑えろ」

伝次郎は平五の肩を握り、立ち上がろうとする彼を静止した。

「仕方ない、そこまで言うなら教えてやろう」

義一も面白そうに立ち上がった。

「てめーも言うな」

伝次郎は両方の間に入り、必死に説得を試みた。

「2人ともよく聞け!大事なことは、大事なことはな、おみえの過去ではなく、おみえのこれからだ!そうだろう!そのために今日われわれは、こうして時間を作ってきたのだ!無意味な喧嘩だけは、両方避けたいはずだ」

伝次郎の言葉で、場が静まり返った。意外にも先に興奮が収まったのは平五のほうで、次いで義一も、面白くなさそうに座りだした。

――そうだ。大事なのはおみえの未来だ。

平五は首の汗を拭った。その時伝次郎が彼の背中をポンポンとやさしくたたいた。平五はなぜか涙が出そうになった。

「どうも取り乱してすみません」

平五は低頭した。

「そうだな、そろそろ本題に入るべきだ」

義一はうまそうに茶を啜った。本当は俺たちが言う言葉だった、と伝次郎は思った。

「まず、二つだけ、俺からも言っておきたいことがある。これをどう受け止めるかはお前たち次第だし、何かを強制するものではないことを先に断わっておく」

義一は茶碗を置き、こう続けた。

「一つ、我ら逸見屋いつみや呉服店(店名)は有り余る金を、幕府に資金として提供している。つまり、お上と繋がりのある立場というわけなんだ」

平五は反射的に目を伏せた。

――噂通り臆病な奴、威勢がいいのは始めだけか

義一は嘲弄的な目で平五を見た。

「おまえは、浪人たちの刀を買い取っているという。言うまでもなく、太刀と脇差は武士の魂ともいうべき物で、幕府としては、あってはならぬことだと思うであろう」

「売ることを決めるのはあくまでもお客さんです」

「そうか、そうかもしれぬ。しかし、私としては、誰が悪いにしろ、黙認しておくわけにはいかないことなのだ。お上に報告しなければならない。分かるだろう」

平五は黙った。伝次郎は目をつぶった。

「しかし、もしおみえさんを妾に下さるのなら、まあ、あなたとも縁ができたことですし、考え直すことも可能なんですよ」

義一は正宗を持ち、ぽんぽんと手のひらに軽く叩いてみせた。

「あともう一つは、実はな、おみえさん側の親族とは話がついていて、もう謝礼も渡してしまったのだ」

「それは知っています」

「そうか。であるからして、これをなかったことにするとなると、いろいろ不都合があるわけだ」

「ごもっともです」

ここで伝次郎が話の腰を折りにかかる。彼はこう続ける。

「それは身内の私が何とかしましょう。やはりこういうことは、誰かが取り次いで行わないと」

伝次郎は言った。彼は平五の背中をつついて、「今だ」とサインを送った。

「言いたいことはよく分かりました」

平五は咳込みながら言った。

「しかし何が起ころうとも、私がおみえを手放すことは決してないでしょう。今日、私はこれだけが言いたかった。私の両親も、私の意思を尊重してくれるようですし、だから、えーと、その・・・」

平五がぐずぐず言葉を探しているのを見て、伝次郎が口を開けた。

「なんてこと!交渉決裂だあ。今すぐおみえさんの親族宅に行って知らせにいかなきゃ」

「待った」

義一は鋭く伝次郎の動きを止めた。「う」と伝次郎は声を出したが、片膝を立てた状態から、体を起こすのに一瞬戸惑い、その隙に義一が話をしだした。

「今思い出したが、もうひとつ言うことがあった」

――もう一つ残しておいたのか。そうか。

伝次郎は観念したように座りなおした。

――もう話の主導権とかどうでもいい。平五、耐えるより仕方がないよ。

「交渉が決裂となると、俺としても、大小堂に通いづらくなる。家計のことを考えたら、厳しいんじゃないのか」

これは確かにそうであった。これまで義一が収益のおよそ3割を恵んでくれた。それがなくなるとなると、平五は骨董全般に手を広げなくてはならなくなる。しかし刀しか触れてこなかった平五にとって、それは、一から勉強しなおすようなものだった。

義一は満足した様子で、平五の言葉を待った。しかし彼は黙ったままだった。

――でも、今さら金の話をされてもって感じはするな。

伝次郎は思った。彼はいま平五が何を考えているのかまるで分らなかった。もし平五が伝次郎なら、まよわず拒否する。少なくとも、自分なら、人足をするなり、何とかやりくりできる自信があった。

――平五は生まれつきの弱虫だ。もしかして、揺らいでいるのか。

しかし間もなく平五は口を開ける。彼は、全く別のことを考えていた。

「ひとつ、よろしいですか」

平五は言った。「うん?」と義一は答えた。

「正直言うと、浪人のお腰につけているものを買い取るというのは、初めは気が引けました」

彼は一度深呼吸し、こう続ける。

「しかし、所帯を持ち、夫婦の生活というものを続けるうちに、考え方が変わったんです」

「確かに、武士とって刀を売りに出すということは、大変不名誉で非常識なことでしょう。しかし、私のお客さん方は、その誇りを捨て、家族を守った」

義一の眉が動いた。

「俺は、それがとても、立派なことだと思った。自身の誇りと、家族への情を天秤にかけて、刀を売る道を選んだ彼らは、間違いなく強い。だから、ありがたく彼らの魂を買い取らせていただいてる。責任を持って、取引してるんです」

「・・・つまり、なにがいいたいのだ」

義一は聞いた。若干苛立っているようであった。

「あなたには、分からないでしょう」

平五は伏せ目で義一を見た。

「正直に言うと、わたしは、二度あなたをぶっ殺してやりたいと思いました。一度目は、伝次郎からあなたのことを初めて聞かされたとき、二度目は先ほど、あなたがおみえの過去について話されたときです」

「この義一を敵に回すと、後悔するぞ」

「しかし、なぜ私が二度も心を鎮めることに成功したか、分かりますか」

「意味が分からないな。おい、伝次郎、こいつは気が狂ったようだ。何とかしてやれ」

伝次郎は黙って聞いていた。正直彼も戸惑っていた。いま義一を挑発しても、どう考えても悪い結果しかもたらさない。しかし、平五にも考えがあるのだろうと信じて、好きに言わせていたのだ。

「まあまあ、とりあえず、最後まで聞いてやりましょう。正直私も、何が何だかよく分からないのです」

「ふん、平五の暴走を止めるのがお前の役割ではなかったのか」

義一は皮肉気に行った。伝次郎は無視して、「さあ、平五、好きなだけ言え」と声をかけた、まるで頑張る息子を応援するように。

「私が心を鎮めるのに2度成功できたのは、ひとえに、おみえのことを思ったからです」

平五は静かにつづけた。

「あなたをぶっ殺せば、私の心は晴れ晴れする。しかし、私の手に縄がかかれば、おみえが悲しむに違いない。私には、その姿を鮮明に想像することができる。だから私は、おみえのために、耐えなければならない。つまり、家族のために、おのれを殺すという意味では、私も、浪人のお客さんも同じだ」

「だから、なんだというのだ」

「あなたにはわからないでしょう」

その言葉に、再び義一の眉間にしわが寄った。二度同じことを言われて、彼は確実に苛立っていた。

「なんでも金で丸めようとする癖がついたあなたにはわかるまい。私は、そんなあなたが、哀れでならない。そう思うと、なんだか、やるせなくて・・・最もあなたには、私の言っていることなど何一つ分からないでしょうが」

平五は諦めたようにため息をついた。そして当然、義一のほうは激高し、立ち上がった。彼は目をぎらぎらさせながら、こう言う。

「貴様、そこまで言われたら、俺も黙っているわけにはいかないぞ。俺達逸見屋はいろいろな商人・商店とつながっている。一つのしょぼい店をつぶすぐらい、幕府の力を借りなくてもできるんだぞ」

義一は言った。

――それ見ろ平五、やっぱりこうなるじゃないか。やはりあの時止めるべきだったか。

伝次郎は思った。しかし、平五が出した返事は、ひどく痛快で、すがすがしいものだった。

「それでは、そのようになすってください」

平五は低頭した。「え」と義一も拍子抜けした様に口を開けた。「本当にいいのか」と思わず聞き返したくなった。しかし平五の目に揺らぎはなかった。少なくともハッタリをかましたようではなさそうだ。『おみえのために、耐える』という平五の言葉は、義一に、二人の関係に加入する余地がないことを示す結果となった。

「どうぞ、そうなすってください。私は、何よりおみえが大事なんだ」

「我慢しおって、それだけではないぞ、俺は用心棒を持っている。血気の盛んな奴らだ。うっかりお前を、ミンチにしてしまうかもな」

「では、そのようになすってください」

「地獄の果てまで追いかけて、無理やりおみえを奪ってやろう」

「では私が命がけで守りましょう。どうぞ、そうなすってください」

「お前に非があるかどうか関係なく、その気になれば、金さえ出せば、私なら、幕府にお前をつぶすよう命令できるんだぞ」

「おみえを守れるなら、それもいい。そのように、なすってください」

平五は淡々と答えた。不思議な空間が生まれた、と伝次郎は思った。

――明らかに、平五は追い詰められている。しかし同時に、義一も精神的に追い詰められている!不思議だ。義一が何か言えば言うほど、奴はおみえに近づけない。そういう雰囲気を、平五は作ったのか。

「貴様!すかしおって、考えても見ろ!幕府の圧力、商人の圧力、金銭的な圧迫!この三つの壁を、お前は本当に乗り越えられると思うか、向かうのは自滅だとは思ないのか。おみえも本当に、それを望んでいると思っているのか!」

「やはりあなたには分からなかった」

平五は立ち上がった。

「俺は元来多くのことを望んだことはない。ただおみえと一緒にいられるだけで、俺は十分に幸せだ。しかし義一さん、金を挟んででしか、女と付き合ったことのないあなたには、俺の言うことなど、一生分かるまい」

その言葉に、義一はかつてないほどの屈辱を味わう。なぜこんなにも強く出られるのだ、と伝次郎は疑問に思った。

――まるで人が変わったようだ。なぜだ。何が平五を強くしたのか、俺にはまったく分らない・・・

・・・ひとえに『愛の情』である。実際平五は、何度も義一に屈服しそうになった。しかし、そんな時はいつも、おみえの悲しむ顔を、彼は思い出す。

――おみえ、そんなに泣いてどうした

おみえが、暗闇の中で泣いている。平五にはわからない、おみえの過去。心の中のおみえは、いつも泣いていた。自分はどうすればいい。何もできない。ただ眺めるしかなかった。

――でも、おみえ。あともう少しの辛抱のようだ。俺、頑張るよ。

平五は、ふうと息を吐いた。そして「決まりましたな」と言って、部屋を出ようとした。しかし義一も、このまま黙っているわけにはいかない。

「動くな平五!」

義一は正宗の短刀を持っていた。その切っ先は平五のほうを向いている。

「謝れ、謝らないと殺してしまう」

確かにそう言ったが、その手は震えており、情緒不安定なさまが伺える。

――よほど自尊心が傷つけられたと見えるな

伝次郎は思った。そして彼は、あることに気づく。

――そうだ、平五が本気で怒るのは、いつもおみえのことでだった。思い返せばあいつは、自分のことで怒ったりはしない。平五、お前は、俺が思っている以上に、強い男なのかもしれないな。

その時、「きえー」という雄叫びと共に、義一が平五に向かって一直線に刺しに行こうとした。しかしそれを伝次郎が足蹴りで止めた。義一はぶっ飛び、腹を押さえた。

「お前の負けだ、義一。認めろ。これ以上何かするのなら、この伝次郎が黙ってはいないぞ」

これは、今の義一には、何を言っても有効だと、分かったうえでの言葉だった。義一は完全に自尊心が崩壊したようで、父上に言いつけてやる、と叫び部屋を出て行ってしまった。

あ、と伝次郎は気づいた。

――勢いで『この伝次郎が黙ってはない』とか恥ずかしいことを言っちゃった・・・

彼は赤面した。女たらしで(官兵衛の評)、職にも手を付けてはいない自分が言うとひどく滑稽に見える、そう思い、平五の顔色を伺ったが、平五のほうは顔をふるふる震えさせながら、涙目で一言こういった。

「伝次郎、ありがとう」


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