第4話
とうとうその時が来た。あと一刻(二時間)ほどで義一と会う約束の時間だ。しかしその前に、平五と伝次郎は行かなければならないところがあった。実家である。彼らはそこで、親たちに平五の考えを話した。すなわち、これからも自分は、おみえと共に暮らしていきたい旨を伝えたのだ。
「後継ぎが欲しいという父上、母上の願いもわかります」
平五は噴き出す汗を和紙で拭いながら、淡々としゃべった。
「でも俺は、おみえさんとこれからも一緒でいたい」
父である
「平五、俺はな、お前たち夫婦が初めて顔を合わせたとき、お前たちの顔を見て、本当にお似合いだなあと思ったんだよ。だから入籍が決まった時は、本当にうれしかった。でもな、子供が産めないとなれば、話は別だ」
「産めないわけではありません」
「同じことだ」
平五の反論を、官兵衛は鋭く切り返していく。
「おみえさんがどうして抱かれるのを拒むのか、理由はどうでもいい。大事なのは、『事実』だ。お前たち夫婦が、子作りを始めようともしていないという事実は、否定できない。そうだろう」
平五は黙ってうなずいた。
「俺たち家族にはこの家を盛り立てていかなければならない使命がある。ご先祖様がそうしてきたように、俺達もそうしていかなければならないのだ。お前はその歴史が潰れてもいいのか」
「申し訳ありません」
平五は謝った。
「それでも、いつかおみえがその気になってくれるかもわかりませんし、最悪、養子をもらって跡を継いでもらえば・・・」
「この親不孝者が!」
官兵衛は自分の膝をたたいた。
「血の繋がっていない人間を、後に継がせられるわけがないだろう。しかもだ、平五、すでにおみえさん側の親族は離婚を了承しているのだぞ。そこまで進んでおいて、後戻りできると思うか、平五」
「それはちょっと違います」
伝次郎が割って入ってきた。
「彼らとしては、家に出戻りの女がいることが許せないのでしょう(出戻りとは嫁いだ女性が生家に戻ること。現代では差別用語)。だから、さっさと事を進めて、おみえさんを妾にさせてしまいたいのです。つまり、平五が離婚を拒みさえすれば、彼らも考え直してくれるはずです。現におみえさんにはまだ何も伝えず、私たちに委ねていることが良い証拠です」
「だめだ。それでも、だめだ」
「あなた、ちょっと」
平五の母であるおつねが、話を止めた。
「もういいじゃありませんか、そんなに拘らなくても。平五さんも平五さんなりに考えていますし、もう親元を離れたのですよ。平五さんのこれからぐらい、自分で決めさせてやりましょうよ」
「うるさい、おつね。お前なんかにこの家のしきたりなんてわかるわけが、」
ゴッ、と急に鈍い音がした。おつねが官兵衛の頭を殴ったのだ。伝次郎は、片手で両目を覆った。
「あんた、いつまでそんな古臭い考え方してるのよ!だいたい私たちが決めた縁談を、私たちの都合で離婚させるなんて身勝手でしょ!あんたなんか○○で○○○のいくじなしのくせに」
「お・・・おつね、息子の前でそれだけは」
「うるさい!そうやって息子の前だけは威厳を保とうとして、かっこ悪いったらありゃしない!恥ずかしいとは思わないわけ」
「ううっ、あんまりだ」
官兵衛は泣いた。
・・・「まあ、あの様子なら大丈夫だろう」
伝次郎は言った。おつねの怒号がヒートアップしたのを見て、伝次郎と平五の二人は別の部屋へ退散した。官兵衛は息子達の前では威厳のある父親を演じているが、実はおつねの尻に敷かれていることは二人とも知っていた。
「義一邸では、もっとひどい言い争いが繰り広げられるかもしれない」
平五はそういった。親に認められた(形はどうであれ)平五は、後は義一との勝負次第となった。その重圧が、
「平五、大丈夫だ。
「ありがとう、そうだな」
平五はうなずいた。確かにその通りだと思った。まさか義一も拒んでいるものを無理やり押し通すほど執着していないだろう、そう思った。
時間が迫ったので、伝次郎と平五は家を出る支度をした。すると、官兵衛が後ろ向きでやってきて、「平五」と呼んだ。
「まあなんだ、男なら、女を泣かせるような奴にはなるな」
官兵衛は言った。後ろ向きなのは、明らかに涙目を隠すためであり、何だか締まらなかったが、平五はその言葉で十分だった。「ありがとうございます」と彼は敬礼し、感謝した。しかし伝次郎が余計なことを言った。
「父上は女に泣かされているようですね」
その言葉に平五も思わず「ふ」と吹き出してしまった。
「なんだと、伝次郎。貴様は女たらしの恥かかせ野郎のくせに、俺には一丁前に文句言いやがってこの」
「まずい。平五逃げるぞ」
伝次郎に手を引かれて、平五も家を出た。しかし、心残りがあるようで、最後にこう言った。
「父上、母上、ありがとうございました。必ず、義一の好きにはさせません」
すると家から声がした。
「お前はできた子だぞ平五!」
息子にとって、親の後押しほど心強いものはない。平五にじわりと自信が生まれるようになった。
・・・義一亭にて
「義一様、平五どのと伝次郎様がいらっしゃいました」
召使は言った。
「きたか・・・」
義一は召使のほうへ振り向いた。
「勝算は、あるのですか」
「・・・ある。少なくとも平五は、三つの壁を乗り越えなければならない。そして、それを攻略するには、奴は人生をあきらめなければならないはずだ」
「三つの壁、とは」
「すぐわかるさ」
義一は不敵な笑みを浮かべた。
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