捻くれ奴隷の手懐け方

初柴シュリ

プロローグ

 それはやけに蒸し暑い、良く晴れたとある日の出来事だった。


 外の環境とは対照的に、光が一切閉ざされた真っ暗な怪しい工房。頼りとなる明かりはロウソクの明かり一つしか無いそんな中で、一人の男が辺りを気にすることなく作業をただひたすらに続けていた。


 伸ばしっぱなしの銀髪に、色素が抜けたように真っ白な肌。髭こそ生えていないが、くたびれた厚手のコートを着たその風貌からは若さなど到底見られない。実際はまだまだ若手と呼ばれる年齢だが、その雰囲気が全てを台無しにしていた。


 男の手には羽ペンが握られており、目の前に開かれた書物を読みながら羊皮紙へと何かを書き込んでいる。一見すれば『のたくったミミズの跡』と評されそうな文字だが、見る人が見れば価値の詰まった内容だと分かるだろう。


 やがてペンを走らせる音が止まり、男がようやく顔を上げる。唸り声を上げながら、大きく伸びを一つ。ポキポキと関節の鳴る小気味よい音を立てながら、彼はゆっくりと立ち上がった。


 光が一切遮断された空間では体内時間が狂ってしまう。現在が何時か確認しようと窓へと向かう男だったが、本棚に収まりきらずに床に転がっている書物の塊が彼の歩みを阻止する。少しでも空いている空間を見つけて足を運ぶが、無理な体勢をしたことで僅かにバランスを崩し、積んであった未読の書物に体をぶつけてしまった。


 それを皮切りに一斉に崩れていく本の山々。埃を舞上げ激しい音を立てながら倒れていくそれらを男は呆然と見つめる。日頃掃除を怠ったツケがここで回ってきたのだ。


 男は面倒くさそうに頭をガリガリと掻くと、部屋の空気を換気するために締め切っていたカーテンを開け窓を開く。遠くに聞こえる小鳥の鳴く声と人々の喧噪が、朝の訪れを如実に伝えていた。



「……もう朝かよ」



 彼が研究を始めたのは先日の昼。そこから飲まず食わずで研究を続けていた為、約一日の間彼は部屋に籠もりきりだったという事になる。


 とはいえ、彼にとって夜を徹するというのは珍しい事ではない。それどころか二日、三日寝ずに作業を続けるというのもざらにある。最もそれは彼の職業上、仕方の無い事ではあるのだが。


 何も考えずに外を眺めていると、彼の家のドアがノックされる。彼の家が立地しているのは、大通りを外れた裏路地の奥。滅多なことで人が来るような場所ではない。珍しいこともあるものだと男は首を傾げながら、突然の来客に応対する。


 バサバサと書物の波を掻き分け、やっとの思いでドアを開けると、天気には見合わない黒の上品なコートに身を包んだ中年の男が立っていた。



「お忙しいところ失礼致します。シャルル・ヴェルメールさんのお宅で間違いありませんね?」


「確かに俺がシャルルだが……あんたは?」


「ああ、自己紹介が遅れました。先日助けていただいた、ロマニ商会のタルバ・リンネと申します」



 被っていた帽子を脱ぎ、胸の前で構えるタルバ。男……シャルルは得心が行ったと言う風にああ、と声を上げる。確かにその名前には以前聞いた覚えがあった。



「この前魔獣に襲われてた馬車の持ち主だったか? その件ならただ仕事の帰りに偶々見つけただけだと説明した筈だが」


「ええ、確かにそう聞き及んでおります。しかしながら、命の恩人に何もお返しをしないとなっては我がロマニ商会の名折れ……是非とも受け取っていただきたいのです」


「商人ならば棚からぼた餅だと思って喜ぶべきだろうに」


「商人だからこそ、命を救われた事実になにがしかの対価を払わねばならないのですよ」



 折れる気配がないと察したシャルルは、ため息をつくと降参の合図に諦めて諸手を挙げる。そう言えば、助けたあの時にもしつこく礼を迫ってきて、面倒だから逃げたのだったと彼は思い出す。家まで探し当てて来たという事は、どうしても諦めるつもりは無いのだろう。



「分かった分かった。そこまで言うなら受け取ってやるよ」


「ありがとうございます。では、こちらをどうぞ」



 タルバは一歩下がると、後ろに立っていた少女・・を差し出してくる。


 この国では珍しい、肩の辺りで切り揃えられた黒髪に、成長しきっていない小さな体躯。薄いピンク色の唇に化粧っ気のない肌が彼女の無垢さを演出している。


そして何より特徴的なのが、そんな無垢さとは対照的にまるで世界全てを恨んでいるかの如く腐りきったその目である。子供にはふさわしくない、全てを諦観しきった瞳。


 シャルルは彼女を一瞥すると、タルバへと呆れた表情を向ける。



「……あー、一応聞くがこの子は?」


「我が社で取り扱っている『商品』でございます。如何でしょうか?」



 ――ロマニ商会とは、巷では有名な『奴隷商会』である。この国では奴隷を所持しているいうのが金持ちに取っての一つのステータスであり、それ故に彼らへ奴隷を供給する場所が必然として現れる。そんな一大市場にいち早く目を付けたのが、それまで雑貨などを取り扱っていたロマニ商会なのだ。


 そんな所の『商品』という事は、目の前の彼女は奴隷なのだろう。これだから彼らから礼を受け取るのは面倒なんだ、とシャルルは頭を抱える。



「こんな見た目ではありますが、家事全般は完璧にこなせるようしっかりと教育済みです。見たところ貴方は魔術師……失礼ですが、ならば研究で日々の生活がおろそかになっているのではございませんか?」


「余計なお世話だ」



 軽く反論して見せたものの、確かにタルバの言った通りだ。いくら言葉を並べようと、彼の風貌の前では説得力が無い。事実に反論するのは非常に難しい事である。


自身の状況を見透かされたことで不愉快になったシャルルの雰囲気を感じ取ったのか、タルバは軽く手を振って謝罪する。



「おっと、これは失礼。ですが、奴隷ならばそんな日々の雑事も任せられます。毎日が非常に暮らしやすくなる事でしょう。お望みならば夜の方も……」


「オーケー、それ以上は言わなくて結構だ」



 手を掲げて続く言葉を制止するシャルル。生憎と彼は幼女趣味を持ち合わせていない。確かに外見こそ(瞳を除いて)美しい少女だが、それでも男としての情欲を掻き立てられるほどの魅力は感じていなかった。


 とはいえ、そういった・・・・・目的で奴隷を買う者が居るのも事実。需要に応えた結果として、その点が奴隷のアピールポイントとなることも多いのだろう。聞いていてあまり気分の良い話ではない。


 タルバはクツクツとくぐもった笑い声を上げると、懐から丸めた羊皮紙を取り出す。シャルルはそれを受け取ると、紐を解き中身を確認する。



「……代理契約用紙オルトギアスロールか。随分とあくどいモンを使うんだな?」


「商売でございますので……万が一にも奴隷に逃げられてしまえば、私達の面子も丸潰れなのですよ」



オルト・ギアス・ロール。魔術による隷属関係にある限り、その奴隷の契約を本人の意思抜きで行うことが出来る契約書ロールだ。強制力が強い分、契約に使われる魔力の量も多く、必然的に高価な物として取引されている。それを利用した奴隷が上級市民の特権と言われるのも、価格が平民如きには届きようのない領域だからだ。


ロールに書かれた契約は絶対であり、破棄されない限り契約者を縛りつける鎖となる。それに逆らった時、契約者は原因不明の苦しみに苛まれ、場合によっては死に至る。


ここまで言えばもう分かるだろうが、有り体に言えば、これは奴隷を繋ぎとめておく為の首輪であり、主人への反抗心を捥ぎ取る為のムチであるのだ。そんなものが当人の承諾無しに決められるとなれば、そのあくどさが伝わるだろうか。



「最も、高名な魔術師であるシャルル様であれば自らでロールを生み出すことも難しくはないでしょうが……おっと、今では一介の研究者兼、冒険者ギルドの非常勤職員でしたか」



戯けたように言ってみせるタルバだが、その飄々とした雰囲気は正に食えない。ただの商人ではない、闇の世界に肩までどっぷりと浸かった者が良く漂わせる雰囲気だ。


そもそも、その情報をどこで知ったのか。シャルルが元々高名な魔術師だったという話は伝わっていない筈だ。それを知っているという時点で、知られてはマズイ領域まで彼のことが知られているというのは確かな事である。



「クク……お気に触れましたか? あまり長居するのも何ですから、私はこれでお暇しましょう」



シャルルの微かな苛立ちを感じ取ったのか、頭を下げると足早にその場を立ち去るタルバ。シャルルの元に残されたのは、一枚の羊皮紙と一人の少女のみ。


じっとこちらを見つめてくる澱んだ瞳に、シャルルは厄介事の気配を感じずにはいられなかった。

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捻くれ奴隷の手懐け方 初柴シュリ @Syuri1484

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