第9話

「そんな…!」

 服の袖口で口元を覆いながら、燃える大木のもとにたどり着いたリイナ。周囲を見回して、ジードの小屋が目に入る。勝手に入るのは気が引けるが、非常事態ということで心の中で詫びを入れて中へ入った。テーブルの傍にあった木桶をひったくると、走って小川まで向かう。木桶いっぱいに水を入れ、大木のもとに走り、水をかける。

 片手で木桶を持てないため、煙を吸い込み、せき込むが関係なくもう一度同じ行為を繰り返す。


 火は勢いが収まることなく強くなるばかりで、無謀だということは、リイナが一番良く分かっていた。

「どうして!お願い!お願いだからっ」

 3度水をかけたリイナは、その場にへたり込む。

 変わらない。変えられない。守ることができない。心を覆う、そんな絶望に涙が一滴頬を伝った。


 幼き頃、目の前の光景と同じように、山火事で父を失った。大切な人を失う苦しみは、リイナは身をもって知っている。残された者の心の奥底に消えない悲しみが刻まれることを知っている。

 ジードたちが、どんなに悲しんだのか想像することしかできないけれど、きっとたくさん泣いたはずだ。

 彼らは、ずっと苦しんだ。人に被害が及ばないように何十年と森の中だけで過ごしてきたのだ。今日、ようやく自由に空を飛ぶ翼を得たのだ。


 これ以上、あの人たちから奪わないで。悲しませないで。

 神様どうか…。

 私の命でも、なんでも上げるから。

「お願い…」


 誰にも届くはずのない呟きが、燃える炎に飲み込まれたとき、リイナの頭が誰かに叩かれた。

『そうやすやすと、命をあげるなんて、思っちゃいけないよ』

 リイナの横に突然現れたのは、蛍のような光をいくつもまとう、優しそうな男性だった。細い目を閉じたまま、眉根を寄せてリイナを見つめている。

「あなた、は…」

『僕はバルド。あそこにいたんだけど、もう戻れそうにないから出てきちゃった』

 今の状況を忘れそうなほどおっとりとした声音と、バルドが指さしていたのは大木だった。

 何を言っているのか、リイナは頭が付いていかなかった。混乱するなか、一つ分かるのは、“生きている人”ではないことだった。


『森を、彼らを守るために、君に手伝って欲しいことがあるんだ。お願いできるかな』

 彼らと、森を守る?そんなことが可能なのだろうか。疑問は尽きないが、今は目の前に差し伸べられたもの以外に手段はない。

 リイナが力強く頷くと、バルドは優しく微笑んでその身から光を発してリイナを包み込んだ。その微笑みになぜか懐かしさを感じながら、リイナは意識を失ったのだった。


***


 「君は、ドラゴンをどう思う?」

「強くて、かっこいい!」

 山菜を取るリイナに、背後から誰かが問いかけてきた。振り返ることなく答えると、くすくすと笑う声がする。

 ドラゴンは強くて、かっこよくて、それを従わせるテイマーは、ヒーローなのだ。なんど、誰に笑われようと、リイナはいつもそう答えていた。


「おや。でも、ドラゴンは人間を食べてしまうかもしれないよ?怖くないのかい?」

 後ろに居るのは、大人の人だとリイナは質問で分かった。リイナの答えにいつも反対してくるのは大人だったのだ。

「こわいわ。でも、リイナたちだって牛さんや、にわとりさんを食べるじゃない。牛さんやにわとりさんだって、きっとにんげんがこわいわ。だから、リイナよく分からないの。ドラゴンさんがいきるためににんげんを食べても、おこることできないのに」

 リイナがそう言うと、皆、口をそろえて“それはそれ、これはこれ”と言う。それで納得など当然できないリイナはいつも不完全燃焼で、この問いに違う答えが返ってくることを求めている。

 この人は、何と言うだろう。山菜を取るふりをして、土をいじりながら答えを待つ。


「君は、賢い子だねぇ」

 ぴたりとリイナは動きを止めた。“賢い”とは、初めて言われた言葉だった。ついつい気になって振り向いたら、優しそうに微笑んで見下ろしている男性が立っていた。

 その人は、振り向いたリイナに視線を合わせるようにしゃがむ。 

「もし君が、大人になってもドラゴンを嫌いにならなかったら、ジュスタリアになって欲しい」

「じゅすたりあ?」

 聞いたことのない言葉に、首をかしげるリイナに、男性は手を顎においてうーんとうなる。


「導き手、分かりやすく言うと、こっちだよーって案内する人、かな?」

「リイナが、案内するの?」

「そう。一緒にきっとテイマーさんもいるだろうから、元気づけてあげて欲しい」

「リイナに、できるかなぁ」

「君なら、きっとできるさ」

 そう言って男性はリイナの頭を撫でると何処かへ行ってしまった。触られた頭に触れながら、リイナは男性が去っていった方を見つめる。

「変な人」

 それでも嫌な人ではなかったと思いながら、山菜の籠を背負い、リイナは父を探しに行くのだった。 



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