一章 恋心

 あれからレストランを出て、二人で歩いている。

 何と言ったらいいだろうか? 陽子は、夏だけ帰ってくる予定だと聞いていたのだけれど、どうやら陽子だけがこの地元に戻るという話らしい。陽子の家でも何かあったのだろうか。僕は、少しの心配を陽子に言う。

「こっちの事は、葬式に来たから知ってるだろうけど、陽子の家何かあったのか?」

 すると、陽子はきょとんとした表情で僕を見た。

「知らないの?」

 何故か次に嫌な顔をされた。

「んー……親が別れちゃって」

「え、離婚?」

「うーん。お父さんとお母さん喧嘩しちゃってお母さんの実家に今住んでるんだぁ」

 家庭事情も大変だな。と僕が言うと、陽子は、そんな事はいいんですぅと言って、彼女持ちなんだから浮気しちゃ駄目だぞぉと言ってきた。

「浮気も何も。こんな綺麗な子が居るのに……あ」

 陽子は、えっへっへーと言いながら、僕の右側に寄ると、頬っぺたにキスをしてきた。僕は、頭が一瞬真っ白になった。こんな事をこの人通りのある場所で平気でするとは……。

「あれ? どしたの? 急に早歩きになって」

 僕は、顔を真っ赤にしてとにかく歩いた。陽子が照れなくてもいいじゃんと言いながら着いてくる。真面目に恥ずかしい。幸い人通りと言え、ここは結構目立たない場所の為、僕は直ぐに照れ隠しの早歩きを止めることが出来た。

 歩いていた先のコンビニの入り口から、見知った顔が出てきた。

「あれ? 勇人じゃん」

「わー! 酒井君じゃん!」

「え? 誰?」

 陽子は、えーと言うと、自分の名前を言った。

「え? あの陽子? マジで陽子?」

 酒井は、僕の悪友。陽子とも面識があるのは、よくこの三人でつるんでいたからだ。酒井は、陽子の変わり様に驚きを隠せなかった。

「やべーよ、マジで可愛いよ」

 酒井が猛烈に陽子を見るので、僕は咄嗟に言ってしまった。

「僕の彼女なんだ。そんなに近寄るな」

「え、何それ? 何その展開? マジでウケるんだけど!」

 酒井は、笑いながら陽子に話しかける。あれから、どうしていたのかとか色々。陽子は、明るく答える。前の陽子なら、酒井のテンションに着いて行けずに困っていたはずだが。時は、人を変わらせるんだな。と思っていた。

「で、陽子。そいつマジで彼氏なの?」

「マジだよー」

「うわー! マジなんだ!」

 酒井は残念そうな顔をする。そして僕の耳を急に引っ張る。

「おい、何するんだよ」

「いいから来いって」

 酒井は、真面目な顔で語りだす。何処まで進んでいるのかとか、初めては済ませたのかとか。とにかく鬱陶しくなったので、酒井を一発殴った。ぐえっと言ってよろめく酒井。

「そんな風だから、お前彼女出来ないんだよ」

「くっそ! 勇人の癖に生意気な! 覚えてろ! あ、じゃあねぇ陽子ー」

「え? 酒井君もう行っちゃうの?」

 僕は、行こうと言って、陽子の手を握った。陽子は、えっへっへーと満更じゃない声を出す。それから少し歩いて、陽子が他に用事があるからと言ったので、駅まで送って言った。

「今日の事忘れちゃだめだぞぉ?」

 僕は、照れ隠しに頭の後ろを掻きながら答えた。

「忘れる訳ないだろ」

「良い一言です」

 そう言うと、陽子は改札口を後にし、手を振って行ってしまった。

「ホント、綺麗になった」

 一言呟いて、僕は駅を後にした。


 ――眠い。

 今何時なのか。僕は、布団の枕元に置いてある時計を見る。

「四時って……」

 また随分半端な時間に起きてしまった。二度寝を決め込もうと布団に潜るが、どうにも寝付けない。一旦起きる事にし、そのまま結局置きっぱなしだった。

「ん?」

 ああ、そうか。駅に着くまでにメール交換してたいたんだ。陽子からのメールに気付く。普段、携帯をサイレントモードにしている僕は、今頃気づいたその内容を読む。

『明日、お母さんの家でパーティーがあります。勇人君は、強制参加ね! 陽子』

 マジかよ。と一言放つ。いやいや、絶対に怪しいだろ。別居中にパーティーとか。時間は朝八時。陽子にメールを返信する。とりあえず、パーティーは、遠慮すると送ったが、二秒も経たずに返信が来た。

『拒否権はありません! 駅で待ってるね☆』

「参ったなぁ……」

 ともかく参加は決定事項らしい。着ていく服を選んで、僕は駅へ向かった。

 駅へ着くと、陽子が発見否や右腕に腕を通してきた。

「えっへっへー」

 相変わらず人前でこういうスキンシップ。前は人が居なかったが、今回ばかりは、周りに見られていた。みな細々に僕らの事を言うが、構わず僕は、切符を買って陽子のお母さんの実家のある方向の駅のホームへと向かった。三十分程で電車が来たので、直ぐに乗る。

「ソワソワしなくても、ただのパーティーだよ?」

 気付いていたのか、陽子は僕の手を握る。そして笑いかける。

「昔の勇人君に有るまじき事だね」

 人は変わるもんだよ、と僕は言うが、陽子は、そうなんだぁと笑う。暫く時間が経って、陽子のお母さんの実家の前に居る訳だが、パーティーと言う名目がどうにも気になっていた。確か、陽子のお母さんに最後に会ったのは、中学を卒業してから、姉の葬式以来だ。緊張している僕に、陽子は耳元で囁いた。

「お母さん結構勇人君の事気に入ってるんだよ?」

 そう言って、玄関を開ける陽子。その向こうには、知った顔が居た。陽子のお母さん。清美さんだ。まさか、待っていたとは……。

「勇人君久しぶりねぇ。上がって頂戴」

 そう一言交わすと、清美さんの後に陽子が続き、ほら早くと言いながら家に入れられた。

「お姉さんの事は、残念だったねぇ」

 時間も経ってるし、もう大丈夫だと告げると、清美さんは、強いねと言って、僕の頭を撫でた。子供じゃないんだから。と、陽子が言うと、清美さんは、つい懐かしくなってと言った。

 姉の涼子とは、結構面識のある人だった。姉の死に顔を見て泣き崩れ、会場を出た後。僕にずっと、強く生きるんだよと言ってくれた人だ。姉とは年が離れていて、大体七年位の差がある。姉は、二十歳で婚約相手を見つけて、幸せそうだったのを今でも思い返す。

「涼子ちゃん。今頃何してるかねぇ」

 姉と仲が良かった人だ。思い出しても仕方ないかな。と思った。

「さて、それじゃパーティー始めようか」

 感傷に耽っていたと思った清美さんが、いきなりパーティーと口に出す。

「わーい」

 陽子が嬉しそうに答える。今いる所は、居間だ。そういえば、ここは清美さんの実家だ。パーティーと聞いて入ってきたご老人が一人居た。清美さんのお母さんだそうだ。

「あら、カッコいい子やないの。陽子ちゃんも隅に置けんねぇ」

 この家族は、口が達者な家族なんだなと思った。それと話がとんとん拍子で進むので、若干着いて行けそうになくなる。ともかく、姉の事から自分の事へと話が変わる。

「今、勇人君学校休みなの?」

 清美さんに聞かれて僕は答える。実は、学校は既に辞めていた。今は、都合のいいバイトを探して、そこで働いていて実家暮らし。そう答えておいた。嘘は言っていない。それが例えチラシ配りのバイトだとしても、別に非難される訳でもないだろうし。

「まあまあ、そんな事いいから、早く持ってきな」

 そう促し、清美さんのお母さんは、清美さんに料理を運んでくるように言った。

 どれも美味しい一品ばかりで、流石に食べ過ぎた僕は、少し休ませてもらう。

「勇人君食欲は変わってないねぇ」

 横で陽子が微笑んでいる。まあ、悪くない。

「何か大事なパーティーかと思ってたよ」

「んー、そうだねぇ。大事って言ったらそうだねぇ」

 少し意味深な表情になった陽子。そして、こう言われる。

「お父さんが帰ってこいって言ってるんだぁ」

「そうなんだ」

「うん」

 帰ってこい……帰ってこい? それって引っ越した所にまた戻るって事だろうか。

「もうね、お父さんとは上手くいかないの知ってるから、お母さん必死なんだよ。親権は、お父さんにあるから、自分が今働いてる給料じゃ親権も取れないって」

 結構気まずい。僕は、暫くするとバイトの為に帰ると言った。陽子は、見送りで最寄駅まで着いてきて、そのままそこで別れた。心なしか、陽子の顔が寂しそうだった。


 ――ああ、もうこんな時間か。

 バイトも終わり、実家でゆっくりしていると、メールが来た。酒井からだ。

『よう! 上手くいってるか? お前とりあえず、一発くらいは……』

 途中で見るのを放棄し消した。すると、玄関のインターホンが鳴った。

「あいつか」

 きっと酒井だろう。そう思って玄関を開けると、そこに居たのは、姉の同級生だった。歳は、僕の先輩にあたるが、何故ここに来たのだろう? 酒臭い。酔ってるのか?

「やぁほー、つぐみだよー」

「見りゃ分かりますよ」

「んとねー、一晩泊めてくんなーい?」

「いやいや、つぐみさん実家暮らしでしょ」

「それがさぁ、今日も婚活がどうのとか親に言われて……うあぁー!」

 ……駄目だ。僕は諦め、両親に説明して、つぐみさんに姉の部屋で泊まって貰う事にした。両親はつぐみさんの事をよく知っていた。水を飲ませてから、足の縺れたつぐみさんを部屋まで運び、そのまま出ようとすると、つぐみさんの腕が僕の左腕を掴んでいた。

「ねぇ、ちょっと話さない?」

酔っていたのは、建前だったのか。冷静な口調だった。

「実はさ。今日、あんたに会いに来たのは、陽子ちゃんの事なんだよ」

僕は、どういう事ですか? と聞くと続けてつぐみさんは言う。

「あの子ね。もう彼氏居るんだよ」

「え」

僕は凍りついた。つぐみさんは続ける。

「詳しくは、自殺されたって言った方がいいかな」

 次々と出てくる話に信じられずに応対する。

「自殺って……陽子、何かしたんですか?」

やっぱ何も知らないんだね。と言いながら、つぐみさんは、横になったまま話す。そもそもつぐみさんと陽子は、メール友達で、よく会話していたほうらしい。話によれば、前の彼氏は自殺願望の強い人で、何度も身内に入院を迫られたのを陽子が断っていたらしい。

「この人は、正常です。そう言いながら、あの子が迎えた一年前。自宅に入った彼氏がそのまま首吊って死んでたって話ね。いい話じゃないよね。散々守ったのに、死なれちゃさ」

黙って聞く事しか出来なかった。そんな僕に、つぐみさんは言った。

「大丈夫。まだ初めては奪われないからね」

「いや、そういう事じゃないでしょ」

 思わず小声で突っ込んだ。

「まあ、そういう事だからさ。結構今でも引き摺ってるみたいだから力になってやりな」

そう言うと、つぐみさんは眠ってしまった。

静かになった姉の部屋を後にし、僕は自室で考えていた。どうして、そんな事を言ってくれなかったのか。いや、そもそも言えた内容じゃない。下手したら、一年間所か陽子は、訴え続けられているのかもしれない。そう思い、次の日。陽子に会おうとメールを送った。


『少し遅れます。 陽子』

そのメールを送ってきた後。確かに遅れて陽子はやってきた。僕は、ここじゃなんだからと場所を移した。こっちが送ったメールは、『話がある。』ただそれだけだ。余所余所しい態度の陽子を見て僕は言った。全部知ってるんだ、と。陽子の表情が曇る。駅近くの喫茶店で、僕らは話していた。内容は、陽子が守ったせいで死んだ人の話。お互い気分は悪くなる。

「ごめんなさい」

そう言う陽子に、どうして謝るんだ? と僕は言った。

「自分が正しいと思って守ってたんだろ?」

「そうだけど……流石にそれ、言えなくて……」

 陽子は半泣き状態になる。そこで僕は言った。

「僕は、前の人の代わりなのか?」

陽子は、それは違うと言った。それでも体裁を繕っている様に見える。

「僕はさ。陽子の本音を聞くよ」

その言葉に、陽子は救われたのか。安心した顔で語りだした。

一年前、ネットで知り合った彼氏が居た事。その家族は、陽子にお礼を言った事。

「楽になった。ありがとうって……自分の息子が死んだのに。酷いよあの人達」

 泣き崩れる陽子。僕は、そんな陽子の傷を広げているのか。そんな気持ちになったが、それでも聞いた。楽しかった事も苦しかった事も。全て聞いた。そして、どうして僕を思い出したのかも言ってくれた。それは、陽子の心からの救いだったそうだ。

「中学の時、嫁にしてやるって言われた時。守って貰えるんだって思った。だから、私が守った人は、死んじゃったから……もう守るのは辞めようって」

 辛い心境を話した陽子に、僕は言った。

「大丈夫。陽子は、ちゃんと守ってる。生きてるだろ? 忘れない為に」

「勇人君……!」

 陽子は、泣いた。重荷が取れたように泣いた。泣くだけ泣いて、その日は、陽子と一緒に。出来るだけ一緒に居てやろう。そう思い、バイトの時間ギリギリまで、二人で町を歩いた。

 時間になってから、仕事へ向かう僕に陽子は、笑顔で手を振っていた。

 誰しも、人の死は忘れられない。忘れて思い出にもしなかったら、その生きていた日々が無意味になる。僕は、陽子が強く生きているんだと思った。一人で一年間苦しんで、僕を頼ってくれた。それでいいじゃないか。そう思いながら、手を振る陽子に笑顔で手を振った。

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