第8話

 腰を落として睨みを利かせるカディンの視線の先で、女性のからだが小刻みに震え始める。仰向けのまま手足の向きが逆さまに生え変わり、ひだのように全身が波打つと、急速に収縮し、盛り上がって、やがて金の髪に丸い耳を持つ白い衣服の幼子へと変貌を遂げた。

 幼子はまぶたを開き、カディンの目を見つめて、柔らかく微笑みかける。


「かわいい」

「……可愛い」


 様子を窺っていたポートとチトセが声を揃えて唖然とする。


「あれ反則……あんな姿になられちゃ、わたしは無理。戦えない」


 チトセが肩をすくめていると、カディンが剣を下ろし、構えを解くのが見えた。


「師匠?!」


 ポートが身を乗り出して叫び、動揺して飛び出そうとする。

 しかし、クラヴィウスが足を踏み込んでポートの行く手を遮った。


「待って。見ていて」


 クラヴィウスの指示に、ポートはやむなく腰を下ろして固唾を飲む。


 幼子となったそれは、拙い足取りでカディンの目の前までたどり着くと、カディンを見上げてもう一度微笑んだ。


 金色の毛並みがふわふわと動き、つぶらな瞳が真っ直ぐカディンを捉える。

 幼子の視線はカディンの視線と重なり合い、他のものは何一つ気に留めさせない。


 カディンは右手に剣を握ったまま、左手を幼子の額に添えて、生え際に沿って指先で撫でてみせる。柔らかく波打つ金の髪が彼の指に絡んでいく。


 笑みがこぼれる幼子のふっくらとした唇の両端が静かに裂け始め、あおぐろい喉元を大きく開いてつま先立つ。

 首を伸ばして鋭く並ぶ歯を剥き出し彼へ喰らい付こうとして。


 カディンが一言、掠れ声で呟いた。


「悪いな。俺にそれは効かないんだ」


 左手に力を込めて、幼子のあたまを金の髪ごと鷲掴みにすると、右手の剣を逆手に持ち、高く掲げて一寸もつかぬうちに、幼子が曝け出したあおぐろい喉元めがけて突き下ろした。

 切っ先が地面に到達し、幼子の口元から額にかけて割れ目が走る。

 次の瞬間、幼いからだが音もなく左右に分かれ、丸耳の男児と長耳の女児がカディンの足元に倒れ臥す。


 その刹那、大きな黒い光が素早い挙動でうごめき立ち、舌打ちしたカディンが剣を引き抜こうとするより早く上空へと立ち昇った。

 しかし、それは何かを形作ろうとして、上手く都合がつかない様子で宙を揺蕩い、まごついたように動きを止める。


 そのわずかな迷いが、黒い光にとって命取りとなった。


 短く弾く音とともに、研ぎ澄まされた蒼い一筋の閃光が空を裂き、黒い光の中心を一瞬にして貫いた。


「いいからあんたは消えなさい」


 クラヴィウスの持つ弓の弦が震え、放たれた矢はそのまま壁の高い位置へ突き刺さり、矢羽が短く音を刻む。


 射抜かれた黒い光は動きも瞬きもしなくなると、大気に溶け込むように霧散して、音も跡形も無く姿を消した。


「大丈夫、もう居ないわ」


 虚空をしばらく見つめていたクラヴィウスが弓を収めてそう告げる。

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