小谷 進 村の御神木

「やぁ、小谷君。久しぶりだな。どうだい?学校生活、少しは慣れたのか?」

「はい、おかげ様で。」


ある日の帰り道、村役所の前を通りがかると浅野に呼び止められた。自転車を手にしている姿をみると、今から村のパトロールに出かけるのだろう。相変わらず作業服を着ている。作業服しか持ち合わせがないのかと少し心配をしてみた。途中まで一緒に行こうと誘われたので、合わせることに。丁度、聞きたいこともあったのだ。


「浅野さん、一つ聞いてもいいですか?」

「なんだい?」

「この村で昔起こった迷宮入りの事件のこと…浅野さんはご存じですか?」

「探偵ごっこかな。君はどこでその話を聞いたのか知らないが、まぁ知ってしまったのなら。あれは僕がこの村にやって来たばかりの時に、起こってしまった悲惨な事件だったよ。被害家族にも挨拶には行ったことがあって、ご両親には一度だけ会ったことがある。穏やかで優しそうな方々だった。娘さんと息子さんが一人ずつ居ると聞いていたが、面識はなかった。まさかあんな事が起こるなんてね…。」


心のどこかで嘘であってほしいと願っていたが、どうやら本当に起こった話のようだ。


「村の人達も酷くショックを受けてね…あれ以来、その事件の事は口に出さなくなった。実際にはなかったかのようにね。」

「事件の捜査が打ちきりになったのはどうしてですか?」

「僕も詳しくは知らないんだけど…調べようと刑事さん達がこの村にやって来る時に限って、いろいろと不可解な災難が起きるようになったんだ。」

「不可解な災難?」

「村の中央に川が流れているだろう。あの川は御魂川と言ってね…今までは一度もなかったのに御魂川が氾濫を起こしたり、また、ある時は地震に見舞われたり…。まるでこの村に誰も近寄らせないように災害が起こったんだ。被害家族の怨恨だって急に騒ぎだして、いつの日かあの事件はそれ以上、捜索はしなくなった。」

「そんなことがあったんですね。」

「まぁ君も好奇心からかも知れないが、あまり深く知らないほうがいい。触らぬ神に祟りなしだよ。」

「…あと、一つ教えて下さい。この前、村の地図を見せてくれましたよね。学校から下った所にある山道。あそこには何があるんですか?入るなと言っていましたが…。」

「あぁ。あの階段を上って行くと、村の守り神として、大きな桜の木があるんだ。600年以上も生き続けているらしい。僕も行ったことはないんだけど、大切な村の宝物みたいなものだからね。不意に悪戯をされないように、近寄らないように伝えることになっているんだ。って君にそれを言ってしまったら意味がないよな。」


浅野は頭をポリポリかきながら、笑っていた。近寄らないようにと再度念を押しながら「また会おう、探偵君。」と言い残すと、分かれ道に来たところで、別々の道を進んだ。その時すでに決めていた。村の守り神…一度見てみたいと。


辺りは背の高い雑草や木々に囲まれ、空からの光は全く入ってこない。外は明るいはずなのに先のほうが暗くて見えなかった。湿気を帯びた空気が流れ、階段の至るところにこけが生えている。恐る恐る一歩を踏み出した。今にも草むらから何かが飛び出してきそうな気配だ。階段も朽ちていて、端のほうが欠けているところもある。登り始めて10分以上経っているように感じるが、未だに頂上が見えない。


「どこまで続いているんだ、この階段…。」


弱音がこぼれそうになるが、自分で決めたことだ。最後までやり遂げたい。さらに10分ほど登ると、途中で階段が無くなり、地面が丸裸にされた斜面が先に続いていた。地面が湿っていて少し滑りやすい。薄暗い道をひたすら登り続けた。しばらくすると、木製の鳥居が目の前に姿を表した。神社のようにも見えたが、鳥居以外の建物は見当たらない。登りきったところで後ろを振り返ってみたが、下の方は暗くて見えない。よくここまで登ったなと、自分を誉めてあげる。足が棒のようだった。肩を上下に揺らしながらも何とか鳥居を抜けたその時、僕は息を飲んだ。


「…凄い。」


そこには目を疑うような光景が広がっていた。四方を柵で囲われた大きな桜の木が一つ、その空間を陣取るように構えていた。幹の太さは五人の大人が両腕を伸ばしても足らないかもしれない。幹には白い飾りが回してある。辺りは薄暗いままだが、桜の木にはしっかりと光が届いている。上を見上げるとその理由が分かった。桜の木の上だけは光を遮る木々はなく、まるで、舞台上の主人公にスポットライトを当てているようになっていた。立派な御神木だった。桜の木を前にし、まさに棒立ちとなって一体どのくらい経っただろうか。時間が止まったようだ。桜の木の下で時を忘れ、散り始めた桜を見上げていた。


「来たのね…。」


耳を疑った。桜が僕に語りかけてきたのだ。辺りを見渡したが他に人影は見当たらない、今のは空耳だろうか。草木の隙間からそよ風が流れ、辺りがざわめき始める。次の瞬間、散り始めた桜の花びらを風が空に舞い上げた。


「小谷 進…。」


今のははっきりと聞こえた。誰かが僕の名前を呼んでいる。その声は大人びていて、落ち着きのある女性の声だった。どこかで聞き覚えが…。どっしりと腰を据えた桜の木の下で風に揺れる何かが見えた気がした。よく見てみると、女の子が一人そこに立っている。薄い黄色いワンピース、肩まで伸ばした黒髪、左手首に包帯を巻いていた。


「き…君は…。」

「…。」


こちらの問いかけには答えてはくれないが、この村に来て初めて出会った、御魂川の階段で見かけたあの子だと確信できた。女の子はこちらをじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。


「…見えてるのね…私の事…。」


見えている?一体何を言っているのだろうか。理解が出来なかった。確かに目の前に居る。


「立ち去りなさい…この村から。」


その言葉を耳にした瞬間、ハッとした。一週間ほど前に見た夢の中で、同じ言葉を聞いた、同じ声で。


「一体どういうことなんだ。夢の中でも君は僕に…。」

「…逃げなさい。手遅れになる前に…。そうしないと…。」


急に強く吹き付けた風に目を開けていられず顔を伏せた。目を開けると、目の前から女の子は消えていた。どこにもいない。さっきまで女の子が立っていた場所には、桜の花びらがいくつか散っていた。また名前を聞けなかったことを少し悔やんだが、何だか不思議な気分だった。必ずまた、どこかで出会える。そう思った。桜の木を背に向け、鳥居をくぐった。入口付近に戻ると空はすでに暮れ始めていた。


四月も終わりに近づき、桜も終わりを告げようとしている。教室の窓から外を眺めていた。頭の中は急に押し込められた記憶の整理に追い付いていなかった。


「ねぇ、聞いてる?進。ねぇってば。」


声のする方に顔を向けた。いつもの顔ぶれが揃って僕の顔を覗き込んでいた。


「聞いてるよ。」

「じゃあ、どうするの?日曜日。行くの?行かないの?」

「どこに行くの?」


そう答えた瞬間、頭に痛みが走った。明日香にデコピンをされたのだ。


「痛っ…。」

「もう、ちゃんと聞いてないじゃない。」

「きいてない、きいてない。」


槇島姉妹に怒られる。聞き直すと、次の日曜日に村のお祭りがあるという。御霊祭みたまさいと呼ばれ、毎年四月末に開催されている。昨年亡くなった人々の魂をあの世へ送り出すという意味合いがあり、古い背景のある行事だが、それは昔の話で、今では村お越しの意味合いのほうが強くなったらしい。雅人に教えてもらった。


「出店があって、花火も上がるのよ。行こうよ。」

「いこー、いこー。」


断る理由もない為、一緒に行くことを告げた。結局いつものメンバー四人で行くことになる。「決定。」と、雅人に軽く肩を叩かれた。…考えすぎだな。あの日桜の木の下で言われた言葉が、胸騒ぎを掻き立てていた。


「…逃げなさい。手遅れになる前に…。」


ボソッと口からこぼれる。誰にも聞こえない声で。









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