小谷 進 鞍美校の生徒

「初めまして。小谷 進と言います。よろしくお願いします。」


教室に僕の声が響いた。一クラスしかない鞍美校。中高一貫とはいえ、同じクラスに小学生や中学生が混ざりあっているのは、なんとも不思議な光景だ。人数で言えば20名程度だろうか。自分より年下の子が目立つが、人前で話すとなるとやはり緊張する。


「いいか、皆仲良くするんだぞ。」


校長の長谷川。白髪混じりの髪を後ろに撫で付け、眼鏡をかけた少し小太りのおじさんだ。見た目は強面だが、話してみると案外優しいことに気付く。

それしても…このクラスの生徒は何なんだろうか。人がせっかく挨拶をしたのに何の反応も示さない。少しくらい返事をしてくれてもいいものだが、誰も興味を示してくれない。静寂な空気が教室中に流れていた。


「じゃあ後は頼みましたよ、鎌田先生。」

「あっ…はい。」


鎌田先生。身長は180センチくらいある長身だ。その成り立ちからの勝手な想像だが、恐らく厳しい先生なんだと決めつけた。鎌田というのがクラスの担任のようだ。これから卒業までの三年間が思いやられる。

一通り挨拶を済ませクラス全体を見渡していると、後ろのほうで小さく手を振ってくれる女の子がいた。茶髪にショートカット…あの子はどこかで。確かに見覚えのある顔がそこにあった。


「小谷の席は…と。」

「先生。ここ空いてます。」

「よし。槇島まきしまの隣に座りなさい。」


槇島と呼ばれた茶髪でショートカットの女の子。よく見ると、あの日図書館で出会った明日香という子だった。救われた。知らない土地で唯一言葉を交わしてくれた相手だった。


「改めてよろしくね。小谷君。」

「こちらこそ。」


席に着くと、ふっと肩の荷が下りた気がした。知らない人の前で話す緊張感、知らない輪に入り込む不安感、様々な負の感情が明日香という一人の存在のおかげで解放されたと言っても過言ではないだろう。後から聞いた話だが明日香と僕は同い年らしい。そして、同じ境遇でもあった。今から3年前に鞍美台に引っ越してきたと言う。引っ越した理由もまた同じだった。こんな偶然もあるもんだなと、どこか親しみを感じていた。


キーンコーンカーンコーン…


学校の終わりを告げるチャイムが学校中に鳴り響くと伴に、一斉に下校が始まった。クラスメイトは待ってましたと言わんばかりに教室を駆け出す。一波過ぎて、落ち着いた教室、頃合いを見計らうと僕は教室を後にした。グランドに飛び出した僕は、一人ブランコを揺らし始める。明日香が少しだけ遊んで帰ろうと誘ってくれたからだ。午後三時半。まだまだ日が高く、空も真っ青でとても気持ちがいい。浅野さんから聞いていた、村を一望できる高台の学校も気分を上気させる。10分ほど経っただろうか。下駄箱から出てくる明日香の姿が見えた。しかし、明日香は一人ではなく、背が高めの男の子と小さな女の子を引き連れていた。


「待たせちゃった、ごめんなさい。あ、紹介するね。こっちの背が高いのが雅人まさと、ちっこいのが結愛ゆいな。」

「ちっこいってゆーな。」


結愛という女の子は明日香の妹らしい。明日香の紹介の仕方が気に入らなかったのか、頬を膨らませ不機嫌な顔をしている。よく見ると明日香と目元がそっくりだ。四つ下の小学生二年生。明日香と同じ茶色の髪の毛で、後で一つに束ねている姿はなんとも可愛らしい。


「よろしく。小柳雅人って言います。」

「小谷進です。」


身長は僕より10センチほど高いであろう男の子が笑顔で話しかけてくれた。お互いに自己紹介をしている間、槇島姉妹はずっと言い争っていた。そろそろ止めに入ろうかとも思ったが、笑いながら雅人は見守っているだけだった。


「気にしなくていいよ。いつもこうだから。」

「はぁ…。」


雅人は二つ上の先輩で、クラスではたった一人の最年長、中学生三年生。落ち着きのある青年だった。


「今日の君の自己紹介、良かったよ。」

「本当ですか?誰も反応がなかったんで、少し凹んでいました。」

「いやいや、完璧だった。皆もこういうことにはもう慣れっこなんだよ。」

「慣れてる?」

「うん。ここは地元の人のほうが少ないんだ。ほとんどが転校生。各地の寄せ集めみたいなもんだよ。二年に一回くらいは転校生がやってくる。」


ご当地グルメの展覧会みたいな物言いだ。でもよく考えてみると、僕もそうだが、明日香達も雅人も皆、移住者である。それを思えば、あながち嘘ではないのかもしれない。今日会った皆の顔を思い浮かべていると、一つ気になることが頭に浮かんだ。


「あの一つ聞いてもいいですか?肩くらいの黒髪の女の子で、背は低いほうで、薄い黄色のワンピースを着てて…無口な女の子ってクラスにいます?」


そういえば、川の階段に居た女の子を見ていない気がした。てっきり同じくらいの年に見えたので学校で出会えると思っていたんだけど。


「そんな情報だけじゃ誰の事か分からないなぁ。」


確かにそうだ。どこにでもいるような女の子の特徴だった。上手く伝えられない自分が情けなく思えてきた。


「なぁ明日香、誰のことか分かるか?」

「んー分かんないかなぁ。何か特徴は無いの?その女の子。」


言われて出会った時のことを思い出してみる。黒髪で、肩まで髪があって…あっ。記憶の中で忘れかけていた特徴が頭の中にぱっと浮かび上がる。


「包帯…。左手に包帯を巻いていた。」

「包帯かぁ。最近怪我してるような子は見てないけど。」


確かに包帯なんて何の特徴でもなかった。外してしまえば、巻いていたなんて分からないものだ。あの時もっと話しておけばよかったと少しだけ後悔した。


「でも、同じくらいの年の子ならクラスにいるんじゃない?その年齢で学校に来ないはずはないだろうから。」


いつかまた出会えるだろう。話はそこで終わらせたが、どこか気になって仕方がない自分がいた。


「じゃ私達はこっちだから。」

「気をつけてね。」

「ありがとう。また、明日ね。」


明日香は妹の結愛の手を引いて僕達とは反対の道を歩き出した。その姿を見送り雅人と二人っきりになった帰り道。別れ際に急に立ち止まり、ぼそっと雅人が呟いた。


「ねぇ、もし僕が居なくなったら…あの二人のこと、頼むよ。」


何を言っているのだろうか。返答に迷ったが、何も答えないのは良くない。思わず、「はい」と一言、何も考えずに答えてしまった。まだ卒業まで一年あるのに、もう卒業後の心配をしているのだろうか、よっぽどあの二人に思い入れがあるのかなと…そう思うだけだった。


少し道なりに下ったところで雅人と別れ、我が家に戻り着いた。いつものように今日一日の出来事を母親に話し、いつものように美味しい食事を済ませ、いつものように布団に潜り込んだ。いつもと同じ筈なのに…頭の中は、なんだかモヤモヤした気持ちで渦巻いていた。寝付けない、頭の中にあの子が居る…。川岸で会ったあの子が頭から離れなかった。


「進…。」

「小谷…進。」


暗闇の中で誰かに呼ばれた気がした。大人びた落ち着きのある優しい声だ。


「進…。」

「誰…?」

「進…。逃げ…な…さい。ここから…早く…。」

「逃げる?」

「手遅れになる前に…早く…。」

「君は一体…?」


急に目の前が明るくなってきた。眩しさに耐えかね、思わず目を背ける。一体、何が起っているのか分からなかった。


「…進…進。」

「早く起きなさい。遅刻するわよ。」


体が急に軽くなった。


「いい加減になさい。起きて。」


誰かに腕を引かれ上体が起こされる。重い瞼を開くと、窓から差し込む光に目が眩んだ。光を遮るように母親の顔が映し出される。


「もう。いつまで寝惚けてるのよ。早く起きなさい。やっと自分で起きられるようになったかと思えば、すぐこれだから。下に降りて早く食べちゃいなさい。」


なんだ、もう朝か。いつの間にか眠っていたようだ。夢で聞こえたあの声の主は、母親だったのだろうか。違うようにも思えたが、寝惚けている状態では判断がつかない。大きく背伸びをし、軋む階段を踏み出した。


逃げるって何のことだろう。

もちろん母親に聞いても笑われるだけだった。




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