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「結局、ステラ様は死んだことにするのよね」

「あぁ、それしかお姫様の無事を確保できる方法はないからね」

 あの大捕物から一週間後、コレットとヴィクトルの二人は彼女の部屋でそんな言葉を交わしていた。その場にはティフォンもラビもいる。

「ステラ様はポーラに殺されたことにする。それがポーラの望みでもあったみたいだしね」

 そう言ってヴィクトルが取り出したのはポーラがコレットに託したというお守りの巾着袋だ。ステラに渡して欲しいと頼まれたものだったが、色々事後処理などあったせいで渡せたのは事件から二日後のことだった。

 確かにその巾着袋はステラが作ったものだそうだが、その袋の中には彼女に見覚えのないものまで入っていた。

 それは一通の手紙だった。遺書と言っても良いだろう。中身には自身がステラの暗殺に関わったとする旨が詳細に書かれていた。そして、自分はそれを気に病んで自殺するとも……

「ポーラは結局どうしたかったのかな……」

 ティフォンの声にラビが答える。

「最後まで迷っていたんじゃないですか? ステラ様を暗殺するかどうか。こういう形で遺書をステラ様に託しておけば、暗殺に失敗して自分が死んだとしてもステラ様だけは助けられると踏んだのでしょう。仮にもし暗殺に成功した場合でも、そのお守り袋を死体から取り返せばいいだけでしょうしね」

「もうお母さんが亡くなったと知った辺りから、暗殺をする意味をポーラは見出していなかったのかもしれないわね」

 今からして思えば、アルベールが操っていた虎だけは好戦的だったが、ポーラが操っていた黒い兵士はただ突っ立っているだけだった。コレットに攻撃をしようともしなければ、視線を向けることもなかったのである。

「この手紙の存在により、ステラ様が死んだとなっても帝国側はどうすることもできなくなった。皇帝の名前もばっちり書いてあるしね。まぁ、向こうはこちらが偽造したのなんだの言い張ってるけれど、筆跡は間違いなく彼女のものだから、何事もなく自体は収束に向かうだろう」

 ヴィクトルはそう言って息をつく。

 最近は事態の説明に走り回っていたらしく、その表情には少し疲れが見え隠れしていた。

「そういえば、ステラ様は元気?」

 コレットの声にヴィクトルは顔を上げる。そうして、先ほどよりは柔和になった表情で一つ頷いた。

「ポーラが死んだことは相当ショックだったみたいだけれどね。先日見に行ったら元気にしていたよ。あちらの方にも愛されているようだった。コレットにも会いたいって言っていたよ」

「そう」

 コレットはヴィクトルが懇意にしている公爵家の養女になる予定だ。夫婦には子供がなく、ヴィクトルの話に是非協力させて欲しいとステラを引き取ってくれたのである。

 来週には名前も変わるし、戸籍も作り直すとのことだ。

 彼女は新しい人生を歩むことになる。

 もしかしたら、あの遺書の存在が彼女の心を救ったのかもしれない。

「これで一応は一段落かな。まだ、問題は山積みだけどね。兄上のこともあるし……」

 コレット達が城に帰ってきた時にはもうアルベールは遊学していることになっていた。

 ステラの件にアルベールが関わったという証拠は一つも見つからなかった上に、ポーラの遺書にもアルベールの名は一つも書かれていない。

 彼のことに関しては何もかも手詰まりだった。

 コレット達が訴えようにもアルベールの支持者は多く、訴えた場合、証拠もない彼女たちが不利になることは誰の目から見ても明らかだった。

「アンタのお兄さんってなんで戦争を起こしたかったのかしらね」

「さぁね、昔はああ見えて優しい兄上だったんだけどね。二年ほど前からかな。様子がおかしくなったのは……」

 アルベールのことになると、室内は酷く静まりかえる。

 そんな重苦しい沈黙を破ったのは、ヴィクトルの柏手だった。

 パン、と乾いた音が室内に響く。彼は機嫌が良さそうに唇を引き上げていた。

「それじゃ、コレット。そろそろ支度を始めようか」

「……本当に行くのね」

「約束しただろう?」

 そう言ってにっこりと微笑むヴィクトルにコレットは「わかったわよ」と肩を落とすのだった。


◆◇◆


 淡い黄色のグラデーションのかかったドレスにオレンジのコサージュ。腰の辺りにあるリボンはコサージュと同じオレンジ色で全体を可愛らしく華やかに引き立てている。アプリコット色の髪の毛は綺麗に横にまとめられてあり、そこにも小さな花が散らされていた。

 装いも新たになったコレットはドレスの裾をつまみ上げて、唇を尖らせた。

「こんな格好させてもらってアレだけど、本当に礼儀とかよくわからないからついていくだけになるわよ。それでもいいの?」

「もちろん。コレットならついてきてくれるだけで十分だよ。何も心配しないで」

 にっこりと微笑むヴィクトルにコレットは頬をじんわりと赤くさせた。

 二人は待合室にと用意されたサロンにいた。

 今から国王夫妻主催の夜会に出るのだ。

 この夜会は急遽決まったものなどではなく、半年に一度、主要な貴族を招いて定期的に行われているものだそうだが、もちろんコレットはこんな夜会など出たことがない。そもそも今回だって出るつもりもなかったのだ。昨日までは……

 ヴィクトルが夜会の話を持ってきたのは昨夜のことだった。夜会にパートナーとして一緒に出て欲しいと頼んできたヴィクトルをコレットは当然断った。断ったのだが……

『コレット、約束忘れてない?』

『約束?』

『ステラ様の件をなんとかしたら、俺の用意した服を着て、行きたいところへついてきてくれるって約束しただろう?』

『え? それって、どこかに一緒に出かけるって意味なんじゃ……』

『俺はそんなこと一言も言ってないよ』

 その一言で、コレットは渋々了承をした。もちろん、騙されたような気はしたが、約束は約束である。

「うん。とても似合っているね。可愛いよ。花みたいだ」

「ありがとう……」

 面と向かっての賞賛にコレットは視線を逸らした。

 事件以来、ヴィクトルと二人っきりになるのは初めてである。

 なんだか色々あった気もするし、ヴィクトルから真面目に気持ちを伝えられたような気もしないこともないのだが、コレットは全てを記憶の奥底に押しやっていた。思い出したとしてどうすればいいのかわからないからである。

 ヴィクトルもあれからそのことを蒸し返していないので、もしかしたら勘違いや夢なんじゃないかという気持ちさえしてくる。

(まぁ、『勘違い』とか『気の迷い』とか言われたほうがショックだから別にいいんだけど……)

 そんなこと言われるぐらいならば、このまま流されてなかったことになる方が心の健康的には良い。

 なんにせよ、この夜会がヴィクトルと過ごす最後の夜だ。明日には彼と別れて、コレットは以前の生活に戻る予定である。

 寂しくないといえば嘘になるが、ヴィクトルは少しも寂しがっている様子を見せないので、コレットだってそういうことは言えないでいた。言ったとしてもどうなるものでもない。また、側室になって欲しいというヴィクトルの求婚にコレットは頷く気もない。

 だから本当にこれが最後の思い出のつもりだ。

 一生会えなくなるということはないだろうが、これまでのように彼と頻繁に会うことはなくなるだろう。

 そこまで考えて、コレットはそういえば、と顔を上げる。

「ヴィクトル、婚約のことちゃんと国王様に否定しておいてよ! このまま孤児院に帰ったら私が悪者になっちゃいそうで怖いもの。約束でしょう?」

「コレット方こそ、ちゃんと約束わかってる?」

「へ?」

 ヴィクトルの言葉にコレットは目を瞬かせた。彼はにっこりと良い笑顔をコレットに向けている。

 その時、ラビが二人のいるサロンへと顔を覗かせた。

「お二人とも、そろそろ……」

 その言葉に二人は会場となっているホールへ向かった。

 煌びやかなシャンデリアが見下ろす会場には、様々な格好をした貴族が談笑を楽しんでいる。

 ヴィクトルが言うにはこれは貴族達の情報交換の場になっているらしい。全く色気もへったくれもない。

 貴族で溢れかえる会場内に、コレットは気分が悪くなる思いがした。苦手なものがこんなに目の前に溢れているのだ。実際には触れなければ何も起こらないのだが、こう多いと苦々しいものがこみ上げてくる。

 コレットはまるで助けを求めるかのように絡ませているヴィクトルの腕を自分の方へ引き寄せた。コレットとしては盾代わりのつもりなのだが、周りはそうは思わなかったらしく、色めき立った。

「な、なんか注目されてない?」

「まぁ、俺が誰か伴ってこういう場に来るのは初めてだしね。それなりに注目されるんじゃないかな?」

「初めて……? なんか、上手く言い表せないけど、それって私にとってなんだかマズいことのような気がするんだけど……」

「コレットのそういうおバカさんなところ。本当に可愛いと思っているよ」

 青くなったコレットにヴィクトルは本当に良い笑顔でそう言った。馬鹿にされていると理解したコレットは思わず彼の腕を抓る。

「おバカでも、馬鹿にされてるって事はわかるんですからね」

「痛い、痛い!」

 にこやかな顔のまま眉を潜ませて、ヴィクトルはそう言う。

 そんなやりとりをする二人がじゃれ合っているように見えたのだろう。それまで注目していなかった貴族達もヴィクトルの方に視線を向けていた。

「……な、なんか、ますます居心地が悪くなった気がするんだけど……」

「気のせいじゃないかな」

「……ヴィクトル、また何か企んでない?」

「…………」

 無言のままにっこりと微笑まれて、コレットは頬をひきつらせた。絶対何か企んでいる上に、彼の反応からして、もうコレットがその術中に収まってしまっていることは明白だったからだ。

「ちょっと、なに考えて……!!」

「コレット、父だ」

 国王が来たと知らされて、コレットは口を噤んだ。何という間の悪さだろうか。それともこの間の悪さでさえも彼の企みの範疇なのだろうか。

 穿って見れば見るほどに、何もかもが怪しく思えてくる。

 コレットが入り口の方へ目を向けると、国王がゆっくりと会場に入るところだった。そうして、一段高くなっているそこで皆を見渡しながら、国王は口を開く。

「今宵はよく集まってくれた。いつも通りの挨拶ですまないが、皆ゆるりとこの場を楽しんで欲しい」

 少し砕けている挨拶をして国王は微笑んだ。今日は体調も良さそうである。

「……と言いたいところなのだが、今日は皆に一つ問いたいことがある」

 国王はそう言うと、コレットに目を向けた。そして、目を細めながら手招きをする。

 コレットは何のことかわからないまま壇上に上げられ、国王の隣に並ばされた。壇上から見えるヴィクトルは楽しそうにニコニコと笑っている。

「この度、彼女に聖騎士パラディンの称号を授けることにした」

「はぃいぃ!?」

 国王の言葉にコレットは思わずひっくり返った声を出す。目を白黒させていると、観衆のざわめきが耳を掠めた。それもそうだろう。聖騎士パラディンというのは貴族の位の一種だ。騎士としての最高位を示す位でもある。

 それを一人の小娘に授けようというのだから周りも混乱するというものだ。

 そのざわめきをもろともせずに国王は声を張る。

「あまり知られてはいないが、彼女はかつての戦争で“純白の戦姫”と呼ばれた娘だ。そして、詳細は明かせないがつい最近もこのプロスロク王国を救ってくれた、我が国の恩人である。聖騎士パラディンになるには十分な素質を兼ね備えている」

 その声に喧噪も静まっていく。

「しかし、平民に聖騎士パラディンの称号を与えるには皆に同意を得なければならない。なので、この場を借りて皆に私の決定の是非を問いたいと思う。私の決定に賛同してくれるものは拍手を……」

 その宣言に拍手が上がる。最初は数人が手を叩く音だけしていたが、次第に音は大きくなり、満場一致を知らせるような音になった。

 これにはさすがのコレットも声を上げずにはいられなかった。

「ちょ、ちょっと、待ってください! 私はそんな称号なんて……」

 乱暴な物言いになりそうなのを、コレットは慌てて正す。さすがにヴィクトルに話すような言葉づかいで国王に挑む気はさらさらない。

「私は称号が欲しくて協力を申し出たわけではありません。国王様のご厚意はこの身には過ぎます。私は今まで通りに慎ましく過ごさせていただければ、それで……」

「という娘なのです、彼女は……」

 コレットの言葉を遮るようにそう言ったのはヴィクトルだった。彼は少しだけ唇の端を上げながらコレットに近づいてくる。

「驕らず、慎ましく、謙虚で、気高い。それが私の婚約者です」

 その紹介に、辺りがざわめいた。

「ちょ、ちょっと! ヴィク……」

「照れなくてもいいよ」

 コレットの言葉をすぐさま封じて、ヴィクトルは国王に視線を向けた。

「父上、俺から一つお願いがあります」

「何だ?」

「コレットを俺の正妻にする許可をいただけませんか?」

「…………」

 さすがのコレットもこの言葉には絶句した。

 本気で彼が何を言っているのか理解できない。

 ヴィクトルはそのままよく回る舌で言葉を続けた。

「二度もこの国の窮地を救った彼女は、まさに救国の戦姫と呼ぶに相応しい。しかしながら、彼女は聖騎士パラディンの称号もいらなければ、国に属するのも畏れ多いと言います。けれど、このままでは彼女の力は他国に利用されてしまうかもしれません」

 彼の言葉に辺りは静まりかえる。

 もはや、その場はヴィクトルの独壇場だった。

「彼女は素直で実直です。しかし、裏を返せば騙されやすいということです。聖騎士の位を賜るほどの彼女をこのままどこにも属さない場所に放置してもいいものでしょうか?」

 辺りから「それはよくないよな」「確かにまずいな」などの、ヴィクトルに賛同するような声が持ち上がる。

 ヴィクトルはまるでとどめを刺すように宣言をする。

「これは政略結婚です。政略結婚とは、繋がらない両者の絆を血脈によって繋げるもの。これは彼女をこの国に留めておくために必要な結婚です。側室では心の絆は結べても、血の絆は結べません」

 もうコレットは考えることを放棄した。

 こうなったらもうどうなってしまうのかは鈍い彼女にだって容易に想像がつく。

 その想像通りに国王は力強く頷いた。

「そうだな。ヴィクトルの言うことも尤もだ。彼女はどうやっても他国に利用されるわけにはいかない。よって、彼女をヴィクトルの正妻にすることを許可しよう」


◆◇◆


「ヴィクトルー!! 『婚約はしていません』『間違いでした』って言ってくれる約束だったわよね!!」

 コレットがそう怒りを露わにしたのは夜会が終わってしばらく経ってからだった。正直、夜会がどのように行われたのか、あれからどうなったのか、全く覚えていない。あまりのショッキングな出来事に開いた口がふさがらないままぼんやりと時間を過ごしていたように思う。

 何人かの人に挨拶もされたような気がしたが、名前も顔も一切思い出せない。

 眦を決する彼女を後目に、ヴィクトルは椅子に腰掛けたまま機嫌が良さそうな笑みを彼女に向けた。

「コレットはなにを言っているのかな? 俺は『ステラ様を国に帰したら、婚約を撤回する』と約束したのであって、『この件が解決したら婚約を撤回する』とは一言も言ってないつもりだよ」

「だ、騙したわね!」

「俺はね。人間誰しも騙される方が悪いと思っているよ」

「――!!」

 キラキラの王子様スマイルでそう宣ったヴィクトルを睨みながらコレットは怒りで顔を赤くさせ、小さく震えた。

 そんな彼女に優しい視線を送りながら、彼は先ほどよりも落ちついた声色を出す。

「コレットはさ、俺と結婚するのは嫌?」

「それは……」

 今度は頬を違う意味で赤くさせ、コレットが言い淀んだ。

 正直、今のヴィクトルに対する気持ちはわからない。

「コレットは最初に言ったよね? 『気持ちのない結婚は嫌だ』『側室は嫌だ』って。その条件は全部クリアしたと思うけど、俺はあと何をしたら君を手に入れられるのかな?」

 その甘ったるい響きに全身の体温が上昇する。

 しかし、彼はいつからこんなことを考えていたのだろうか。そう考えて、コレットはぴたりと動きを止めた。

「ヴィクトル、ちょっと聞いてもいい?」

「何かな?」

「もしかして、最初からこの展開まで読んでいたとかじゃないわよね……」

 コレットは訝しげな声をだす。

 ヴィクトルとステラ約束をしたのは、国王に最初に謁見した直後のことだ。かなり前の話である。

 その頃からここまでの展開をヴィクトルが読んでいたとするならば、とんでもないことだ。

 ヴィクトルはコレットの言葉に楽しそうな笑顔を向ける。

「コレット、覚えているかな。こういうのを『外堀を埋める』って言うんだよ」

 どこかで聞いたことのある言葉を放ちながら、ヴィクトルは彼女の言葉を肯定する。

 そうして、軽やかに回る舌でこう続けた。

「コレット、結婚してくれるかな。もちろん正妻として。側室なんて持たないし、一生大切にするよ」

「絶対、嫌に決まっているでしょうが!!」

 感情なんて入る隙もないほどに、コレットは思わずそう気炎を上げた。


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