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「やはり、早めに殺しておくべきだったね」

 辺りにいる黒の集団を次々と倒していくコレットに視線を送りながら、アルベールはそう呟くように言った。

 ステラはもう風の膜で覆われていて、普通の人間ならば手も足も出せない状態になっている。焦るような表情もないまま、アルベールはステラに近づいていく。

「まぁ、同じ《神の加護》だ。なんとかなるかな」

 その時、耳を劈くような破裂音の後に地面から煙が立ち上った。ヴィクトルが銃を撃ったのだ。

 その光景を見ながらアルベールはまるで嘲笑するかのように唇の端を引き上げる。

「何も無いお前に何ができるんだ?」

「さぁ、何かできるかもしれませんよ」

 ヴィクトルは立て続けにアルベールに向かって三発撃った。しかし、それらは彼に届く前に彼の炎によって止められ、消し炭にされてしまう。

「諦めた方がいい。《神の加護》を持たないお前には、何もできないよ」

 アルベールが懐から三枚の札を出す。それを宙に向かって投げれば、そこからまた三匹の黒い虎が飛び出した。しかし、一匹はすぐに札に戻ってしまう。

「あぁ、彼女の力がもう限界なんだね。ま、お前には二匹でも十分だろう」

 その瞬間、二匹の虎がヴィクトルに飛びかかる。

 それは《神の加護》でないと倒せないもののはずだった。

 再び銃声が二回ほど鳴る。

 するとその瞬間、二匹の虎はまるで風船が弾けるかのように消えてしまった。

「俺が特別な力など持っていなくとも、彼女に貸していただきましたので大丈夫です」

「くっ……」

 言うのが早いか、撃つのが早いか。ヴィクトルは少しも躊躇わずその引き金を兄に向けて引いた。

 瞬きをする間もなく、その弾丸はアルベールに飛んでいく。途中で彼の炎が行く手を遮ったが、そんな壁などもろともせずに、その弾丸は彼の右目を抉った。

 その瞬間、アルベールは後方に飛ぶ。そして、そのまま動かなくなった。

 辺りの敵を一掃したコレットがヴィクトルと合流したのはその直後だった。

「ちょ、ちょっと、殺しちゃったの!? その人ヴィクトルのお兄さんだし、王太子よね!?」

 風に乗りながら降りてくるなり、コレットは焦ったようにそう言った。戦争を経験しているので死体を見慣れているとはいっても、その顔はやはり相応に苦々しい。

 ヴィクトルもアルベールを一瞥すると、眉を寄せたまま視線を逸らした。

「でも、後はポーラだけね」

 この森に潜む彼女を見つけ出せれば、ステラへの危険はなくなるだろう。

「そのことなんだけど、彼女はもしかしたら話せばわかるかもしれない」

「どういうこと?」

「ポーラはこれまでに二度、今回を入れたら三度だけれど、ステラ様の暗殺をしようとしてる。だけど、一度も本気で成功させようとしている風には見えないんだ」

 ヴィクトルの話によると、ステラへの差し入れに入っていた毒も、コレットのチョコレートに入っていた毒もどちらも致死量には及ばない量だったらしい。狼の件についてもコレットが来るまでにステラを殺しておくことが可能だったにも関わらず、彼女はそうしなかった。

「この暗殺に関わった者は、皆何かしらで脅されているようなきらいがあった。もしかしたら、彼女も……」

「……だとしたら、どうしてくださるんですか?」

 その声とともに息も絶え絶えに出てきたのはポーラだった。綺麗に結んであった髪は解かれていて、目の下には病的なほどの隈が浮かんでいた。

 アルベールが無理やりに力を引き出したせいで、彼女は限界を迎えていた。

 その瞳は二人をじっと睨みつけている。

「その前に、君の正体を聞いておきたい。君は誰だ? どうして、《神の加護》が使える?」

 その問いにポーラは姿勢を正した。そして、手のひらで自らを指した。

「私の名前はポーラ・モルバン。皇帝が遊びで作った隠し子です」

「つまり、ステラの異母姉?」

 コレットのその問いにポーラは頷く。そうして続けた。

「母は昔、城に勤めていたそうです。そこで、皇帝に無理やり関係を持たされました。そのことを気に病み、母は城勤めをやめたのですが、その時にはもうすでに私は宿っていたそうです」

「当時、母には婚約している男の方がいましたが、そのことを知り破談になってしまいました。そして、私を一人で産み、育ててくれました」

 ポーラの話によると、皇帝がポーラの存在に気付いたのが戦争終結直後だったらしい。ポーラが《神の加護》を顕現していると知るやいなや、彼女の母親を人質に取り、ポーラを暗殺者に仕立て上げていったらしいのだ。

 そして、今回の任を任されたのだという。

「兄上と手を組んだのは皇帝の命令?」

「はい。しかし、皇帝も相手がこの国の王太子だとは知らなかったと思います。この国の情報を流してくれる『アル』という男を頼れとしか私は聞いていませんでしたから……」

 もうどうやっても勝てないと察したのか、ポーラは淡々と内情をバラしていく。その表情は悲痛というよりは無表情に近かった。

「兄上がどうして皇帝に手を貸したかは……」

「知りません。ただ、『戦争を起こしたい』という目的が一緒なので手を組んでいるように見えました」

「そうか……」

 ヴィクトルはそう言った後、固く瞳を閉じた。

 そして、切り替えるように声を張る。

「わかった。君の母親については俺の方から帝国に掛け合おう。必ず助けるとは約束できないが、尽力はする。だから君はさっきの話そのままを国王の前で証言してくれないか? 事情が事情だし、こちらに残れば恩赦も受けられるだろう」

「結構です」

 ヴィクトルの温情をばっさりと切り捨てて、ポーラは顔を上げる。

「だって、もうきっと母は殺されていますから……」

 まるで嗚咽をかみ殺すような声に、コレットも息を飲む。

 ポーラは地面に倒れているアルベールを一瞥して下唇を噛んだ。

「先日、彼から母の手首をいただきました。何度も暗殺に失敗している私への罰だそうです。皇帝が送ってきたのだと……」

 はっ、と息を吐いて、ポーラはその場に膝を突いた。顔を覆うその腕に涙が伝う。

「こんなことなら、同情なんてせずにステラ様を殺しておけばよかった――……」

 悲痛な叫びに耳を塞ぎたくなる。もしかしたら彼女は母の身体だけでも取り戻したかったのかもしれない。

 コレットはポーラに近づく。そして、その背中を撫でようとした瞬間、彼女の顔が跳ね上がった。そして、瞳を大きく見開く。

「ポーラ?」

「ステラ様っ!」

 二人の声が重なる。

 気がついた時にはポーラは走り出していた。その先には半身だけ起き上がっているアルベール。その手元には、コレットが前に捨てた剣が握られていた。

「だめっ!」

 コレットが叫ぶのと、その剣がステラを庇ったポーラの背に刺さるのは同時だった。《神の加護》の影響か、ポーラの腹部から飛び出した剣の切っ先がステラを覆っていた風の膜に触れた瞬間、それはあっけなくははじけ飛ぶ。

 そして、ステラの頬にポーラの口元から溢れた血が降り注いだ。

 その刺激にステラは目を開ける。そうして、目の前の光景に目を見開いた。

「あ、あぁ……」

「ご無事ですか、ステラ様……」

 息も絶え絶えにポーラはそう言う。ステラが震える唇で「ポーラ……」と口にすれば彼女は満足そうに微笑んでその場に崩れ落ちた。

「ポーラ! ポーラ!!」

「あー……、ダメだったね。今回はお前の勝ちだよ、ヴィクトル」

 片目を押さえながらアルベールが立ち上がる。そして、彼は森に火を放った。その炎は森の全てを焼かんとするほどの勢いだ。

 炎は確かに凄い熱量を持っているが、アルベールはその力の特性故か炎に触れても火傷一つ負わない。

「私はしばらくこの国を留守にすることにする。その間の留守は任せたよ。ヴィクトル」

 ニヤリといやらしく笑いながら、彼は炎の中を進もうとする。

「待ちなさいよ!」

「ついてこれるなら、ついてきてもいいけどね」

 コレットもヴィクトルも彼を追おうとするが、炎の勢いが強すぎて近寄れもしない。先ほどのように風で消そうともしたが、炎自体が先ほどよりも強い上に、コレットが出せるほどの風では火を煽ってしまい、余計に勢いを増すだけの結果しか残せなかった。

「二人とも、またね」

 不敵な笑みを残したまま、アルベールはそのまま消えてしまった。

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