32

「で、私に用事って何?」

 連れてこられるようにしてやってきた城の裏手で、コレットはそう言いながら腕を組んだ。その場所は人通りがほとんどなく、演習場や武器庫からも遠いので、大声で話さない限り会話の内容が誰かに聞こえてしまうということはないだろう。

 数歩先にいるヴィクトルは彼女の言葉に振り返った。

「いや、コレットにちょっと聞きたいことがあってね」

「聞きたいこと?」

「この前、アルベール兄上に何か言われた?」

 その見透かすような言葉にコレットは肩を跳ねさせた。わかりやすい彼女の反応にヴィクトルは呆れ顔でため息をつく。

「やっぱり。話し合いの時も少し身が入ってない感じがしたから、そうじゃないかと思ってたんだよ。……で、何を言われたの?」

「……そ、それは……」

 コレットは視線を彷徨わせる。

『ステラ様が帝国に帰ると殺されるかもしれないって、ヴィクトルは知っていたの?』

 そう聞くのは簡単だ。

 しかし、もしそれを聞いてヴィクトルに『知っていた』と言われたら、コレットはどうすれば良いのだろう。

 そして、それをなんとかする手立てはあるのだろうか。

(もし、『どうしようもない』とか『見捨てろ』とか言われたら……)

 コレットは視線を下げたまま下唇を噛みしめた。

 ステラを見捨てられる自信は、生憎のところありはしな

い。

 ヴィクトルが国のためを思って、そう判断しまうのは仕方がない。けれど、一人の少女を犠牲にするような作戦に、協力したくないという気持ちもある。

 結局のところ、コレットは怖いのだ。

 聞かなければ事実がなかったことになるわけではないのだが、それでも“暗殺者を捕まえる”という作戦にはすすんで協力が出来る。

 コレットはそんな気持ちを悟られまいと、無理やり笑顔を作りあげる。

「別に大したことじゃないから安心して! ヴィクトルが気にするようなことじゃないから!」

「気にするよ。コレットのことだろう?」

「本当に大丈夫だから!」

「……コレット」

「大丈夫だって!」

 ヴィクトルの深い青を見つめていられなくなって、彼女は視線を逸らした。

 その頑なな態度にヴィクトルは目を眇めた。

「そんなこと言っても良いの?」

「な、何が?」

「コレット、前に俺と約束したよね? アルベール兄上と二人っきりにならないって」

「え、うん……」

「約束を破ったらどうなるか覚えてる?」

「破ったらって……」

 コレットは狼狽えたような声を出す。

『そう見えなくても、これだけは守って。……じゃないとお仕置きだから』

 そうして、脳裏に蘇ってきたのはヴィクトルの楽しそうな声だった。

 目の前の彼を見れば、あの時と同じように楽しそうな表情で両手を広げている。

「お仕置き、しても良いの?」

「な、なにする気よ!?」

 思わず自身を抱き締めながらコレットはそう叫んだ。

 コレットだって約束を破るつもりで破ったわけではない。そもそも王太子が話しかけたきたのに無視することは、普通に考えて出来ないだろう。

 コレットの反応にヴィクトルは更に笑みを強める。

「抱き締めて頬にキスぐらいはしてみようかなぁって。ほら、コレットも結構俺に慣れてきたみたいだからさ。ステップアップだよ」

 楽しそうな声色にコレットは頬を真っ赤に染めた。そして、悲鳴のような声を上げながら彼から距離をとる。

「や、やだ!!」

「唇は正式に婚約する時にとっておいてあげるよ」

「させるわけないでしょうが!!」

 にじり寄ってくるヴィクトルからコレットは距離をとる。

「ちょ、ちょっと!! やだやだ!! 待って!! 最近アレルギーが酷いって……」

「だーめ。コレットが正直に言わない罰でもあるんだからね」

 心底この状況を楽しんでいるようなヴィクトルにコレットは涙目になる。背中はもうすでに壁に当たっていて、彼は目の前だ。

 心臓がどくどくと、コレットを内側から叩いてくる。

 発熱、発汗、動悸に息切れ。

 以前のように痒くなることはないのだが、これは痒くなるより明らかにまずい症状である。少なくとも、コレットは誰かと接していて、こんな症状は出たことがない。

 ヴィクトルはコレットを閉じ込めるように彼女の両脇に手を突いた。

 その瞬間、コレットの頬は更に赤くなる。

「やだって! 離れて! 心臓が壊れちゃう!!」

 胸を押さえながらそう叫べば、ヴィクトルの挙動が止まった。

 コレットは恐る恐る顔を持ち上げる。

 見上げた先の彼は至近距離で固まっていた。

 いつもの笑顔もない。真顔だ。

「……ヴィクトル?」

 その様子を不審に思い、コレットは震える唇で彼の名を呼んだ。

「どうしたの? 体調悪く……」

「早く話して、じゃないと本当にするよ。唇に」

「さっきほっぺたって言ってたじゃない!!」

 コレットはべそをかきながらヴィクトルにそう怒鳴った。

 結局、コレットはヴィクトルに、アルベールとポーラから聞いた話を話すことになった。あまり隠し事が得意ではないコレットがこれ以上ヴィクトルに隠し事が出来るとも思えなかったし、いつかは話し合わなくてはならないことだと彼女も思っていたからだ。

 それに、本当にこんなことでキスされても敵わない。

 最後まで話し終えると、ヴィクトルは納得がいったとばかりの顔をしていた。話の内容からコレットがヴィクトルにこの話を黙っていた心情も読み取ってくれたのだろう。

「ヴィクトルは知っていたの? ステラ様が帝国に戻ったら殺されるかもしれないってこと……」

 思い切ってヴィクトルにそう聞けば、彼は少し考えてから一つ頷いた。

「そうだね。……といっても、そういう可能性があるってだけだ。絶対に殺されると決まったわけじゃない」

「じゃぁ、ヴィクトルはどのくらいステラ様が殺されると思っているの?」

「……八割かな」

「八割!?」

 希望を持って聞いた質問が絶望に染められる。

 その答えにコレットは息を止めた。

「コレットが思うことも尤もだと思うけどね。俺はこの国のためなら、少女の命一つ犠牲にしても構わないと思っているよ」

 真剣な顔つきでそう言われて、コレットはもう何も言えなくなってしまう。

 きっとヴィクトルは正しいのだろう。コレットにだってそれぐらいはわかる。だとしても、残りの二割に希望をのせて、ステラを帝国には返せない。少なくともコレットは返したくない。

「……」

「……そんなにステラ様を救いたいの?」

 ヴィクトルの落ちついた声にコレットは首を縦に振った。

「……仕方ないなぁ。それなら、その方向で色々考えてみようかな」

「え、出来るの?」

「まだわからないけどね。我が愛しの婚約者さまからのお願いだから、出来るだけ聞いてあげたいし」

 笑みを滲ませながらヴィクトルはそう言った。

 いつもならここで『婚約者じゃない!』と声を上げるコレットだが、あまりの驚きに何も言えないままヴィクトルをじっと見上げてしまう。

「その代わり。もし、成功したらご褒美が欲しいな」

「ご褒美……?」

「俺の用意した服を着て、俺の行きたいところへ一緒に行ってほしいな」

「それって、デー……じゃなかった! お出かけってこと?」

「まぁ、そんな感じかな」

 一瞬『デート』と言いかけたコレットにヴィクトルは目を細めた。唇も綺麗に弧を描いている。

 綺麗な顔などに興味はなかったはずなのに、ヴィクトルのその表情にコレットは顔を逸らした。

「それぐらいなら……」

「絶対だよ?」

「え? うん」

 念を押されて、コレットは少し狼狽えてしまう。

「取引成立だね。それじゃ、楽しみにしてて」

 ヴィクトルの笑みに、コレットは一瞬嫌な胸騒ぎを覚えた。

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