31

 数日後、コレットの部屋で作戦会議は行われた。

 作戦会議といっても、作戦を考えるのはヴィクトルの役割で、コレットやティフォン、ラビはそれぞれに自分の役割を教えてもらうだけだ。

 作戦は予想していた通りにとても単純なものだった。

 あの森の中で見つかった札を一度に全て使い、その時間に倒れたり明らかに体調が悪くなった者を捕まえる。それだけだ。

 体調を崩したものが複数いれば、それらは全員捕まえる。どれが暗殺者かを見極めるのは、あとからいくらでもできる作業だからだ。

 作戦としてはとてもシンプルなものなのだが、コレットの役割だけはどうしても難しい判断を迫られた。

 作戦の最中、ステラは城から少し離れた場所に避難させる予定なのだが、コレットをその守りに当てるのか《神の加護》が使えるだろう暗殺者の捕縛に当てるのかを、ヴィクトルは最後まで悩んでいたようだった。

 今のところ《神の加護》に対抗する力は《神の加護》のみだ。ヴィクトルの銃などは多少効いたし、弓矢や剣でも急所を狙えば傷を与えることも出来るのだが、それでも倒すところまではどうしてもいかない。

 優先するべきはステラの命だが、ここで暗殺者を取り逃がしても禍根が残る。

 しかし、最終的にコレットはステラの守りに当てるということで落ちついた。この場合なら、万が一失敗してもステラだけは守れるはずである。

 最後に細かい決まり事や、何か異常が起きた場合の連絡方法。作戦開始から完了までの流れ、もし失敗した時の対処法まで話し合った。

「……って感じで進めていこうと思ってるんだけど、何か質問はあるかな? 事態の対処はステラ様の命が最優先。他は詮無きことだと思ってくれて構わないよ。何か問題が起こったとしても事後に俺がなんとかする。もちろん自分の身はステラ様と同じぐらいしっかり守ってね」

「あいあいさー!」

「わかったわ」

「はい」

 ヴィクトルの言葉にそれぞれがそう返事をして、その日の作戦会議は終了した。

 本番は三日後である。


 作戦会議を終えたあと、コレットは演習場で元同僚達を相手に汗を流していた。

 演習場は城の敷地内にあり、ステラやヴィクトルの部屋からも全体を一望できる。しかし、演習用の服装は男女ともに同じなので、万が一ステラに見られても安心だ。

 作戦の本番が近いことも相まってか、コレットの剣を握る手にも力が入る。

 コレットはステラに対する考えを振り切るように、木でできた演習用の剣を、同僚に向けて振り下ろした。風を切る音と共にカン、と乾いた音が響く。

(ここで私がぐだぐだ考えても仕方がないし! この作戦が終わったらステラを帰す前に、一度ヴィクトルとちゃんと話して……)

 瞬間、同僚の放った一閃がコレットの腹を掠める。

 考え事をしていた頭は急に冷静になり、冷や汗が頬を伝った。

 コレットは踏ん張りをきかせ体勢を立て直すと、なんとか避けたその剣を自らの剣の柄で弾く。お行儀の良い騎士ならしない戦い方だが、コレットはあいにくそういう騎士ではなかった。

 一呼吸の合間に距離をとり、彼女は短く息を吐いた。

 生身のコレットは特別強いわけではない。女騎士の間ではそこそこ戦える方だが、男性の騎士まで混ざってくると力の面でどうしても劣ってきてしまう。

 彼女が戦姫となり得たのは、偏に《神の加護》のおかげだ。

「どうした、コレット! 少し離れてる間に鈍ったんじゃないのか? 切っ先がぶれてるぞ!」

 鼻の頭に汗を浮かべ、ニヤリと笑うのは元同僚のジャンだ。短く切った赤髪と頬の傷が特徴の男である。コレットが現役だった頃から、彼はことあるごとにコレットに構ってきていた。

 ちなみに、可愛いものが好きだと言ったコレットを馬鹿にしたのも彼である。

「鈍るのは当たり前でしょうが! 呼び出されなかったら戻る気なんてさらさらなかったんだからね!」

「なんなら、力をつかっても良いんだぞ!」

「それこそ、アンタに勝ち目がなくなるわよ!」

 彼女が元々所属していた第三騎士団は、一緒に戦っていたこともあり、コレットの力を知っている者達ばかりである。それぞれに箝口令は敷かれているようだが、コレットにとってその第三騎士団は気の置けない者達ばかりだった。

 しばらく打ち合いを続け、コレットは休憩に入った。やはりというか、なんというか、二年のブランクは想像以上に大きい。

「作戦までにはもう少しなんとかしないとな……。ステラ様を殺されたら元もこうもないんだし……」

 演習場から少し離れた場所で、コレットは手のひらを見つめながらそう零した。豆が潰れて固くなった手のひらは女の子らしいとは言い難い。

「ステラって誰だよ」

「へっ!?」

 急にかけられた声にコレットは肩を跳ねさせた。後ろを振り向けば、手ぬぐいで額を拭うジャンがいる。

「難しい顔でなに考えてんだよ。『ステラ』って孤児院の子か?」

「なんでもないの! 忘れて! お願い!!」

 コレットは手を合わせて拝む。

 ステラがこの城に来ていることはコレットを含むいつものメンバーと、ヴィクトルが用意した兵達、それと国を動かす国王や宰相ぐらいしか知らないのだ。

 大臣達にバレれば変な権力抗争が出てこないとも限らないし、国民に知られれば結構な騒動になってしまうのは想像に難くない。

 出来れば内々に、そして早々に片をつけたいのだとヴィクトルは以前言っていた。

「ま、良いけどさ! それより、さっき演習でこれ落としてたぞ」

 そう言ってジャンが取り出したのは小さなガラスケースだ。それはコレットがヴィクトルからもらった口紅だった。その可愛らしいガラスケースの意匠を気に入り、コレットは口紅をポケットに入れたまま持ち歩いていたのである。

 コレットはまたも肩を跳ねさせて口紅を彼の手から奪い取った。

「それ、口紅だろ?」

「これは……あの……」

 恥ずかしさで頬がじんわりと熱くなる。

 ジャンにこんなことがバレれば馬鹿にされるに決まっているからだ。

「いいんじゃないか。コレットに合いそうだな」

「え?」

「『えっ』て、なんだよ」

「だって、馬鹿にされるって思ってたから……」

 ジャンの言葉にコレットは呆けたような顔になる。彼はコレットの一つ上の十九歳だ。二年前、十七歳のジャンはこんなことを言う人ではなかったはずである。

 彼はコレットの隣に座ると、視線を逸らしながら頬を掻いた。

「あの時は悪かったよ……。俺もガキだったんだ」

「ガキ……?」

 言われてみれば、彼はコレットのいなかった二年間で一回り以上大きくなっている気がする。身体もそうだし、二年前は少し幼さの残る顔つきだったが、今は大人びた雰囲気を醸し出している。

「いや、まぁ、ナントカはいじめたくなるって言うだろう?」

「『ナントカ』ってなによ。私っていじめたくなるような何かを発してるわけ?」

 思えばヴィクトルもコレットをいじめて楽しんでいる節がある。もしかしたら自分が、そういうことが好きな人を惹きつける何かを持っているのかもしれない。コレットは自分の想像に頬を引きつらせた。

「ちげぇって! なんて言えば伝わんのかなぁ……」

「アンタおしゃべり得意じゃない」

「そういうんじゃねぇだろう! ……だから!」

 そう言ってジャンがコレットに身を乗り出した瞬間、彼の鼻先を何かが掠めた。

 見てみれば、コレットとジャンの間に矢が一本刺さっている。

「え?」

 引きつった二人の声が重なった。

 その後に、妙に聞き慣れてしまった声が矢の飛んできた方向から聞こえてくる。

「ごめん! 二人とも大丈夫だった? 練習していたら変な方向に飛んで行っちゃって……」

「ヴィクトル、危ないでしょうが! というか、なんでここで練習してるのよ!!」

 矢を引き抜きながらコレットはヴィクトルにそう怒鳴りあげる。ヴィクトルの後では弓矢を奪われたのであろう兵士がおろおろと視線を彷徨わせていた。

「え? ヴィクトル?」

 いきなり第二王子を呼び捨てにした彼女にジャンは目を瞬かせている。

「少し気分転換にね。たまには身体を動かさないと。それより、コレットに用事があって探していたんだよ」

「コレット……?」

 第二王子が彼女のことを親しげに呼ぶ様を見て、更にジャンは混乱したような顔つきになった。

「何よ。何かあったの?」

「まぁ、そんなところかな? コレット借りるよ」

「あ、はい……」

 にこりと微笑まれてジャンは思わず頷いた。

 仕方ないと言わんばかりに、コレットもヴィクトルの後ろを付いていく。

「なんで、アイツ第二王子のこと呼び捨てにしてんだよ……」

 その呟きは二人に届くことはなかった。

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