33
ヴィクトルにステラのことを相談した翌日、コレットは自室に戻るために城の廊下を歩きながら、肺の空気を全て出すようなため息をついた。
朝から演習に参加していたので、身体は汗だくだし疲れてはいるが、彼女のため息の原因はそんなことではなかった。
『おまえ、第二王子とどういう関係なんだよ……』
出会い頭にかけられた、ジャンの引きつった声が耳朶で蘇る。
昨日のヴィクトルとのやりとりを見ていた彼は、どうやら二人が良い仲なのではないかと疑っているようだった。しかもその勘違いはジャンだけでは留まらず、第三騎士団全員に波及していた。
興味津々で質問してくる者、からかってくる者、本気にはしていないが好奇の視線を送ってくる者。
反応は様々だったが、それらはコレットの精神をがりがりと削っていった。
ヴィクトルとの仲を否定しようにもステラのことは内密にしているので、否定しきれないのもまた辛かった。
答えられないコレットを良いことに、周りはどんどん盛り上がっていく。
そんな元同僚達を怒鳴りあげて、朝の演習はなんとか終了した。体力よりも精神力の方の消費が激しかった訓練である。
「なんて言うか、最近ヴィクトルに振り回されている気がするわ……」
頭を抱えながらそうごちる。ポケットに手を入れれば指先がいつも持ち歩いているガラスケースに当たった。
瞬間、コレットの唇にヴィクトルの小指の感触が蘇ってくる。誰かに唇を触られるなど、今までのコレットの人生にはなかったことだ。
小さな子供達に唇を引っ張られたり、幼い頃シスターに口を拭ってもらったことはあるけれど、あんな風に優しく触れられたのは初めてである。
いつもより優しく笑っていた鏡越しの彼を思いだし、コレットの体温は徐々に上がっていく。
「あーもー!! ダメ! 本当にダメ!! 絶対に絆されないんだから!! ステラのことをなんとかして、私は元の生活に戻る! ヴィクトルともそこでお別れ!」
『お別れ』という言葉に一瞬怯んだけれど、その気持ちはあえて見ないふりをした。この気持ちは、恐らく気付いてはいけないものだ。気付いたら最後、苦しいだけの底なし沼にはまってしまう。
コレットは両手で頬を張る。
そうして、先ほどよりも足早に自室を目指した。
◆◇◆
『これ、前に約束したとっておきのお菓子だよ。よかったら食べてみてね』
部屋について、最初に目についたのがその置き手紙である。置き手紙というよりは置きカードといった感じのそれは、ソファーの前にあるローテーブルに置いてあった。カードには、送り主であろうヴィクトルの名前も書いてある。
カードの側にはお皿に盛り付けられた一口大の黒い固まりがあり、甘ったるく香ばしい香りを放っている。コレットは丸い固まりを手に取った。手には焦げ茶色の粉が付く。指先に付いた粉を舐めれば、芳醇な甘みが口いっぱいに広がった。
「これってチョコレート?」
コレットは瞳を輝かせる。
チョコレートと言えば、飲み物が一般的だ。騎士団にいたころ、甘ったるくて茶色の液体にミルクを入れて飲んだことが一度だけある。それがチョコレートだというのは後から知ったのだが、あの鼻に残るカカオの香りは今でも鮮明に覚えている。
コレットは指先で丁寧にチョコレートをつまみ上げた。
チョコレートには固形の物もあるとは聞いていたが、見たのは初めてである。一部の有名な甘味専門店には売っているそうなのだが、今まで縁がなかった。
「美味しそうだねぇ」
コレットの心を代弁するようにそう言ったのは、いつの間にか足下に現れていたティフォンである。彼はコレットの持つチョコレートを見上げながらよだれを垂らしていた。
「ティフォンってこういうの食べれないでしょ?」
「失礼だなぁ。フリだけなら食べられるよ! 味はわかんないけど!」
「それなのに『美味しそう』とか言っちゃうの?」
「それはノリだよ! ノリ!」
ニコニコとティフォンはそう答える。正直、よくわからない『ノリ』だ。
「それって、ヴィクトルが前にお茶会しようって言ってた時のやつだよね。やったね! コレットの好きそうなやつだ!」
「お茶会……」
ティフォンの言葉にコレットは一瞬はっとして、そして、呟くそうにそう言った。
そうして何を思ったのか、帰ってきたばかりの自室から出て行こうとする。
「コレット、どうしたの?」
「……ちょっと、ヴィクトル呼んでこようかなって」
「へ、なんで? ヴィクトル呼んできたら半分こだよ? ちょっとしか食べられなくなっちゃうよ?」
皿を指さしながらティフォンはそう言う。こういうところは本当に子供っぽい。
「私は半分でも十分よ。それに、ほら、一人で食べるより二人で食べる方が美味しいでしょ?」
「それなら、ボクが一緒に食べてあげようか?」
「……それでもいいんだけど……」
ティフォンの提案にコレットは渋るような声を出した。いいとは言いつつも、そう思ってないことは明白な声色だ。
コレットは頬を染めながら視線を彷徨わせる。
「ヴィクトルとお茶会するって約束したし、休憩にはいい頃合いだし……」
「ふふ」
「なによ……」
笑ったティフォンにコレットは拗ねるような声を出す。ティフォンは笑顔のまま首を振った。
「んーん。コレットが良いなら良いんじゃない? それなら、ヴィクトルのこと探しに行こうか!」
それからコレットは演習で流した汗を湯で洗い流し、ヴィクトルを探しに出かけた。しかし、彼はなかなか見つからない。
いつも通りに執務室にいるのかとも思ったが、ノックをしてみても反応はなし。ぐるぐると当てもなく城の中を探してみたりもしたが、結局彼と出会うことはなかった。
コレットは半ば諦めた心地で中庭を歩く。木々の生い茂る中庭の中心には巨大な迷路のような生け垣がある。
「残念だったね」
「別に残念じゃないわよ」
そうは言うものの、コレットの顔は浮かない。足はもうすでに帰る方向を向いていた。
その時、コレットの耳にヴィクトルの声が届く。声のした方向を見れば、彼は迷路の中にいるようだった。コレットとは生け垣を挟んで反対側にいる。
「コレットのことですか?」
ヴィクトルが発したその声にどきりとした。
どうやら彼は誰かと彼女の話をしているようだった。
コレットは申し訳なく思いながらも、その場に立ち止まって彼の声に耳を澄ませた。
(別に気になるわけじゃ……)
そう思いながらも、頭は彼の声色のする方に傾いていた。
「彼女のことは……」
ヴィクトルの声はいつもより無感動に耳朶を突いてくる。
「別になんとも思っていませんよ。俺が興味があるのは彼女のもつ力だけですから。俺が彼女を構うのは彼女が《神の加護》を使えるからです。それ以上でもそれ以下でもありませんよ」
その言葉に呼吸が止まった。
本当にどうでも良さそうな彼の声色がじわじわと心臓を蝕んでいく。
別に、特別に思って欲しかったわけではない。彼がそう思ってるだろうことはコレットにだってわかっていた。
ヴィクトルがコレットを構うのは、彼女が《神の加護》を持っているからだ。
だから、わけのわからない求婚もするし、思わせぶりな態度だってとる。
わかっていた。理解もしていた。
ただもう少し、それ以上の友情や戦友的な気持ちがあるのではないかと、ちょっとだけ期待していたのだ。
ただの駒ではなく、隣を一緒に歩いて行けるような。背中を任せてもいいと思えるような……
あんな無感動に、どうでも良さそうに、たった一言だけですまされる関係なのだと、そう示されたのが辛かった。
「それよりも、先ほどの件ですが……」
会話を続けながらヴィクトルはその場から立ち去っていく。遠のいていく声を聞きながら、コレットもまたその場を後にした。
今まで止めていた息が口から漏れる。
浅い呼吸を繰り返せば、じんわりと視界が滲んだ。
「なんか、勘違いしていたのかもしれないなぁ」
いつも優しくて何を考えているのかわからない彼を思い出して、コレットは苦笑いを浮かべた。
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