29

(ほんと、どうしちゃったのかしら私)

 熱くなった頬を手で仰ぎながら、コレットは足早に廊下を進む。目指すべき場所はステラの部屋だ。

 ヴィクトルの元から逃げるように出てきたので交代の時間までにはまだ余裕はあるが、それでも急ぐに越したことはないだろう。

 その時、コレットの足下でティフォンの可愛らしい声がした。

「コレットとヴィクトルって仲が良いよねぇ」

「はぁ!? ああいうのは、仲が良いって言わないのよ!」

 のんびりとした声にコレットは先ほどまで寝ていたはずの彼を睨み見る。

 ティフォンは足早に歩くコレットに、跳ねるようにしながら付いてくる。

「でも、ヴィクトルってコレットのこと好き好き言ってるよね? 結婚しようってしょっちゅう言われてるし。アレって番いになろうって意味でしょう?」

「番いって、変な言い方しないでよね。あれはヴィクトルが私のことからかって遊んでるだけよ! そもそもアイツの『好き』は恋愛とかそういう意味での『好き』じゃないんだから!」

「じゃぁ、どういう『好き』なの?」

「こう、おもちゃみたいな感じよ。つついて反応を見て楽しんでるの! ヴィクトルにとって私は、その辺の犬とか猫と同じような感覚よ。きっと」

 自分の放った言葉が胸に針を刺す。その小さな痛みにコレットはあえて気付かないふりをした。

 ヴィクトルが『結婚しよう』や『好き』だと言うのは、コレットが《神の加護》を持つ元戦姫だからだ。それ以上でもそれ以下でもない。もちろん嫌われているわけではないとは思うが、コレットがもし《神の加護》を持っていなかったら、恐らく一生交わらなかった縁だ。コレットだってそれぐらいはちゃんと理解をしていた。

 コレットの否定にティフォンは「ふーん」と一人納得したように頷いた。

「それならさ、コレットはどうなの?」

「私?」

「コレットもヴィクトルのことなんとも思ってないの?」

「それは……」

 ティフォンの言葉にコレットは言葉を詰まらせた。

 正直な話、ヴィクトルに対してどう思っているかなんて改めて考えなくても答えはある程度出ている。

 好きか嫌いかで答えるならばヴィクトルのことは好きだ。

 もちろん恋愛関係の『好き』ではなくて、一人の人間としての『好き』だが……

 軟派でなにを考えているかわからないところはあるが、彼はコレットが本当に嫌がるようなことはしてこないし、じゃれ合いのような触れ合いも文句ばかりが口を突いてしまうが嫌いではない。

「……なんとも思ってないわよ。あんな腹黒王子」

 ヴィクトルの軟派な態度を思い出して、コレットは顔を背けながらそう答えた。

「それじゃ、ヴィクトルと結婚しないの?」

「しません! 私はもっと優しくて、頼りがいがあって、私の過去を知らない人が良いの!」

「こだわるねー」

「だって、戦姫じゃない私のことをちゃんと見てくれる人の方が良いじゃない」

 無邪気なティフォンにコレットはそう答える。

 その声はどこか寂しげに響いた。

「あぁ。そこにいるのはコレットかな? 久しぶりだね」

「アルベール……殿下?」

 足を止めた瞬間、そう声を掛けられてコレットは顔を上げた。振り向けば、すぐ後ろに柔和な表情の王太子がいた。

「敬語じゃなくても良いし、アルベールで構わないよ。可愛らしい弟の婚約者どの」

 ゆったりと微笑みながら彼はそう言った。

 いつの間にか足下のティフォンもいなくなっている。

「こんなところでどうしたのかな? もしかして、今からステラ様のところへ?」

「はい、そうなんです。今から交代なので」

 敬語はいいと言われたが王太子相手にそういうわけにもいかず、コレットは少しだけ砕けた態度で彼にそう答えた。

「ステラ皇女の説得は成功したかい?」

「いえ……」

 コレットは苦笑いで首を横に振った。ステラの説得は今もなお続いているが、彼女がそのことについて首を縦に振る日は来なさそうだ。彼女からはそれぐらいの頑なさが見て取れる。

 ステラの説得のことも知っているところから見て、アルベールもある程度事情は知っているようだった。

 アルベールは少し視線を落としながら眉を寄せた。

「ステラ様は、帝国に戻れないのかもしれないね」

「え?」

 アルベールの言葉にコレットは目を瞬かせる。

「十中八九、皇帝は彼女を殺すつもりでここに送り込んでいる。戦争を再び起こすためにね。そんな使命を勝手に背負わされた彼女がのこのこと帝国に戻ったらどうなると思う?」

「それは……」

「かの国の皇帝は残虐な人だ。自分の意思に背いた第七皇女なんて生きている価値はないと切り捨てるかもしれない。皇帝にとって大切なのは次代を引き継ぐたった一人の皇子だけだからね」

 冷たい目でアルベールはそう言う。コレットはその視線に身を震わせた。

「それじゃ、ステラ様が帰らないのは……」

「保身かもしれないね。もちろん彼女の掲げている気高い和平論を全て否定するわけではないけれど……」

「どうしよう。私、ステラ様に酷い提案を……。ヴィクトルとも話し合わなきゃ……」

 コレットが青い顔でそう呟く。

 もし本当にそうなら、コレットは十歳の少女に『この国ではなく帝国で死んで欲しい』と言っていたようなものなのだ。

「ヴィクトルは気付いていると思うよ」

 アルベールの言葉にコレットは顔を上げた。

「ヴィクトルは気付いていて、ステラ様を帝国に帰そうとしているんだ。うちの国で死ななかったらそれでいい。あいつはそういう風に考えるヤツだ」

 弟を突き放すような冷たい言葉にコレットは一瞬息を止めてしまう。確かに、ヴィクトルがそのことに気付いていないとは考えにくい。そして、彼はああ見えても合理主義者だ。国か一人の少女かどちらかを選べと言われたら、きっと彼は国を選ぶ。

「ヴィクトルはステラ様を見捨てたりしないと思います」

 しかし、口を突いて出たのは、考えとは逆の願いのような言葉だった。

「いや、ヴィクトルは見捨てるよ。アイツはそういうやつだ」

 何故か口の端を上げて彼はそう言った。その表情に一瞬背筋に悪寒が走る。

「何をしているのですか? 兄上」

 その時、二人の会話を無理矢理終わらせるようにヴィクトルの声が廊下に響いた。

 振り返れば、少しだけ機嫌が悪そうなヴィクトルが足早に向かってくる。

「……ヴィクトル」

「お話なら俺が聞きますよ。コレットは忙しいので解放してもらえますか?」

 瞬く間にいつもの軽い笑顔を浮かべた彼はコレットを押しのけて、アルベールの前に立った。その足下には一瞬だけティフォンが見えた。どうやらティフォンはアルベールの登場に、ヴィクトルを呼びに行ってくれていたようだった。

(そういえば、一人で会うなって言われてたんだっけ……)

 今更ながらにコレットはヴィクトルの言葉を思いだす。

「ほら、交代の時間になるんだろう? 早く行かないと」

「え、うん……」

 まだ時間的には余裕があるのだが、コレットはそのまま二人から距離をとった。そのままステラの部屋を目指す。

(ヴィクトルは、ステラのこと知っていたのかな。……私はどうすれば良いんだろう……)

 ステラがこの国に留まる限り、暗殺者はいくらでも彼女の前に現れるだろう。しかし、帝国に戻っても殺されてしまうのなら、まだこの国に留まる方が良いのではないかという思いも頭をもたげてくる。

(でも、万が一ステラが殺されて、戦争が起こったらもっと多くの人が死んじゃうし……。私もステラに付きっきりというわけにはいけないし……)

 堂々巡りを始めた思考の中で、コレットは下唇を噛みしめていた。

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