20

「今朝、牢屋で死人が出たみたいですな。それもヴィクトル様が捕まえた者達ということで……」

 明らかに急いでいるヴィクトルを後目に、リッチモンド公は鷹揚な態度でそう言った。

 そのどことなく責めるような響きに、ヴィクトルは僅かに目を細めると、相手を威嚇するような低い声を出した。

「そうだ。それを今から確かめに行く。だからそこを退いてくれないか?」

「おぉ! そうなのですね。それはお邪魔をいたしました。……しかし、もう死体は片付けられましたよ? 牢屋も今清掃の者が入っております。一足遅かったですな」

 ヴィクトルの言葉にリッチモンド公は大げさに驚いてみせた後、いやらしい含み笑いをその皺の入った顔に浮かべた。それはどこからどう見てもヴィクトルのことを快く思っていない者の顔で、コレットはそんな二人の会話を見守りながら眉を寄せた。

 リッチモンド公は貴族だろう。そのぐらいはコレットにだってわかる。リッチモンド公という呼び名もそうだし、彼の纏っている黒いケープも一般市民と言うには豪奢すぎるものだからだ。更に言うなら、こうやって城の中を自由に出入りしているという事実もある。

 なのにもかかわらず、彼は王族であるヴィクトルを敬ってはいないようだった。

「今回はヴィクトル様らしくないミスですね。罪人の武器を取り上げてないとは……」

 ヴィクトルの前を動くことなく、彼はそう続けた。

 そんな彼にヴィクトルは剣呑な視線を向けた後、一つ息をつく。

「そうだな、俺のミスだ。だからこそ、死体は片付けられているかもしれないが、場所は見ておきたい」

 リッチモンド公を押しのけるようにして、ヴィクトルは半ば強引に脇を通る。しかし、脇を通ろうとしたヴィクトルの腕を彼は掴んで止めた。

「そんなに点数稼ぎをしても、アルベール様が王太子なのは変わりませんよ。無能な貴方がいくら頑張ったところで、状況はこのままだ」

「何度も言うが、俺は別に上に立ちたいなんて思ってはいない。それは君たちの妄想だよ。それに俺は無能だからこそ、こうやって身を削ることで民に何かを返したいと思っているんだ」

「はっ、ご冗談を。貴方がそういうたまですか。ご自分のせいで母親が幽閉されているというのに、顔色一つ変えずにのうのうとしている貴方が……」

 明らかに侮蔑の籠もった声色でそう言われて、さすがのヴィクトルも眉間を窪ませた。

「貴方にどう思ってもらっても構わない」

 視線を合わすことなく、吐き捨てるようにヴィクトルがそう言うと、場の空気が凍った。リッチモンド公の後ろに控えていた文官達も身を寄せあって身体を震わせている。

 そんな緊張しきった場を壊したのは、それまで沈黙を貫いていた彼女だった。

「ちょっと! いい加減、手離しなさいよ!」

 コレットはリッチモンド公の手首を掴み、上に捻り上げた。そこまで力が入っているわけではないので痛みはないだろうが、コレットの予期せぬ行動に彼はヴィクトルの腕を放した。

「コレット?」

「なんだね、君は……」

 驚きで目を瞬かせるヴィクトルと目を眇めるリッチモンド公を正面に見据えながら、コレットは仁王立ちで腰に手をやった。その姿は威風堂々としている。

「なんかよくわからないけど、人が急いでるっていうんだから、そこ退きなさいよ! それともそういう嫌がらせをして喜ぶような小物なわけ? ヴィクトルもこんな因縁つける人に付き合わなくても良い! どうやったって自分のことを嫌いな人っていうのは一定数いるものよ! そういう人は放っておけばいいの! どうせ、かまってちゃんなだけなんだから! 思考が子供なのよ!」

「かまって……ちゃん……? こども……?」

 まるで初めて受ける屈辱かのように、リッチモンド公は目を大きく見開いた後、顔を真っ赤に染め上げた。

「お前はっ! 誰に向かって口をきいてると思ってるんだ!!」

「知らないわよ。私達、初対面でしょ。それともアンタのことを知ってないと駄目な法律でもあるわけ? それとも、知っていて当然って思ってるわけ? なんか、ガキ大将みたいね、アンタ」

 乾いた声でコレットはそう言い放ち、腕を組む。すると、リッチモンド公は更に気炎を上げた。

「たかが、一騎士が公爵たる私になんたる不敬なっ! 私の兵をお前に差し向けても良いんだぞ!!」

「お好きにどうぞ。負けるとは思えませんが」

「おもいあがりおって――っ!!」

 コレットの姿はいつもの男騎士姿のままだ。リッチモンド公はもちろん戦姫の噂は知っているだろうが、それが目の前のとは繋がらないらしい。

 リッチモンド公は怒りで身を震わせながら、コレットの腕を取ろうとする。その腕をひらりと躱して、彼女はヴィクトルの手を取った。

 そして、彼を先導してずんずんと歩き出す。

「ちょ、コレット!?」

「さっさと歩く! 早くしないと証拠が全部なくなっちゃうわよ!」

 目を白黒させるヴィクトルを引いて、コレットはその場を後にしたのだった。


◆◇◆


「リッチモンド公にあそこまで言う人、初めて見たよ」

 ヴィクトルはコレットに手を引かれたまま笑いをかみ殺していた。

 下を向きながら肩を震わせている彼にコレットは振り返る。

「何? やっぱりあの人お偉いさんだったの? マズいことしちゃった?」

 コレット的には言いたいことを言ってスッキリしているのだが、今後こういうことが尾を引いてヴィクトルに迷惑をかけては申し訳ない。

 コレットの伺うような声にヴィクトルは微笑んだまま首を振った。

「いや。大丈夫だよ。今は役職がついている方じゃないからね」

「なのに、あんな偉そうなわけ?」

「まぁ、祖父の時代に宰相をしていた方だからね。過去の栄光があるんだよ。それに、強硬派の中心人物でもあるしね」

 さらりとそう言ってのけるが、それは結構な大物ではないのだろうか。一瞬、内臓が冷える心地がしたが、ヴィクトルは笑っているし、まぁ良いかとコレットは一人で納得した。

 それよりもわからないことがある。

「ちょっと前から強硬派とか、穏健派とか聞くけど、あれってなんなの? 何に対して強硬な態度を取ってるわけ?」

「主に外交のことかな。諸外国との間で起こった問題について、軍事で解決しようというのが強硬派。話し合いで解決しようというのが穏健派だ。父は穏健派なんだけどね、アルベール兄上が強硬派なんだ」

「アルベール兄上って、あの優しそうな人よね……」

 コレットは一度会っただけの天使のような微笑みを思い浮かべながら首を捻った。どうにも彼には強硬派という言葉が似合わない。顔だけでいうなら、根っからの穏健派に見える。

 そんなコレットの心を読んだのか、ヴィクトルも同意するように一つ頷いた。

「兄上は元々は穏健派だったんだけどね。戦争が終わったと同時に強硬派に鞍替えしたんだ」

「それって、穏健派の人たちから反発が起きなかったの?」

「穏健派の人たちは、元々穏健派だったアルベール兄上が強硬派に行ったことにより、彼らを抑制してくれるものだと考えているみたいだね。現にそういうことを言われた人もいるようだし……」

 歩を進めながらもヴィクトルはその辺りを少しかみ砕いて説明してくれた。正直な話、そういった内情はコレットにはよくわからないものだったが、そういうものだろうと言われるがままに理解した。

「それで、ヴィクトルが穏健派だから、ああやって嫌がらせみたいなことされてるの? あと、王位を狙ってるとか……」

「俺は別に穏健派だと宣言したつもりし、本当に王位も狙ってないんだけどね。まぁ、そういうことになるのかな」

 そう言って頷いたヴィクトルにコレットは「ふーん」とだけ返す。

 他にも彼の母親が幽閉されていることとか、無能力についても尋ねたかったが、さすがにプライベートに踏み込みすぎだろうと自重した。

 もし必要が出てくれば、きっと彼は話してくれるだろう。

「それにしても、なんかヴィクトルも苦労してるのね。ああいう変なヤツに絡まれてるし、結婚相手は好きなように決められないし。王子様ってもうちょっと楽な生活をしてると思ってたわ」

「そう? コレットから見たら道楽息子の税金泥棒って感じなんだと思ってたけど」

「まぁ、確かに前はそう思ってたこともあったわよ。でも、……道楽息子はあんな風に忙しそうにはしないでしょ?」

 コレットがこの城で過ごすようになってから、ヴィクトルは片時も離れず側にいたわけではない。むしろ、離れている時間の方が多かったぐらいだ。

 離れている間、彼が外交の責任者として仕事をしているのをコレットは知っていた。毎晩遅くまで、執務室の扉から明かりは漏れていたし、ラビが大量の書類を彼の執務室に持ち込むのも目撃している。

 それでも彼は一日に一回はコレットの様子を見に来てくれる。それは、彼女が住み慣れない城で困っていないかどうか確かめてくれているのだ。

「私だって、貴族を皆敵視してるってわけじゃないわよ」

「そうだね。こうやって手も繋いでくれているし」

 にっこりと笑いながらヴィクトルは自身の左手を掲げて見せた。

 その瞬間、コレットの歩は止まる。どうやら、この時まで自分がヴィクトルと手を繋いでいるということを忘れていたようだった。

「ほら、こうすると恋人みたいだ」

 ヴィクトルは指と指を絡ませるように手を組み直して、更に笑みを深くする。その様子にコレットは頬を僅かに赤らめた。

 そうして、今度はヴィクトルがコレットを引くような形になる。

「はーなーしーてー!!」

「いーや」

 語尾にハートマークをつけながら、ヴィクトルは腕を引っ張るコレットを引きずり、牢屋を目指すのだった。

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