17
土煙を上げて、巨大な尾が地面を打つ。
蛇の尾は何度も執拗にステラの身体を押しつぶした。普通の人間ならばただの肉塊になってしまうような力で、何度も念入りに、丹念に、入念に。
そうして、地面を窪ませるほど尾を叩きつけたところで、その巨大な蛇は攻撃をやめた。
「やばいわね、アイツ……」
コレットはヴィクトルの腕の中で蛇を見上げながらそう零す。
ステラが無残な状態になったというのに、その顔には敗北感も悲壮感も見て取れない。
「コレット、なんとかなりそう?」
「どうかしら。私、蛇ってちょっと苦手なのよね……」
ヴィクトルの問いに青い顔でそう答えて、コレットは頬を掻いた。
兵達は捕まえた者達をつれて路地の裏に逃げ込んでいる。
あの黒い化け物に通常の剣や矢が効かないことはわかっていたので、それが出た時点で逃げるようにと、最初から指示されていたのだ。
ステラを潰し終わった巨大な蛇は、赤い目を細めながら次のターゲットを探す。
そして、コレット達を見つけ、長い舌をチロチロと出した。
「まぁ、そうも言ってられないわよね。……ティフォン! いい加減起きて!!」
「はぁい!」
そう元気な声を出して起き上がったのは、なんと潰されたはずのステラだった。
彼女は腹の矢を自分で引き抜くと、軽快なステップで二人の元へ跳んでくる。
「もー、ヴィクトルってば、酷くない? コレットだけじゃなくて、ボクもちゃんと助けてよねー」
「いいじゃないか。君はああいうのじゃ負傷しないんだろう?」
「そーだけどさー。こう、気分的に違うよねー」
まるで駄々をこねるようにステラがその場に座り込めば、彼女の身体は一瞬にしてティフォンのものへと立ち代わった。
「やっぱりこの格好の方が落ちつくよねー」
「いい演技だったよ」
ヴィクトルが褒めるようにそう言うと、ティフォンは頬を染めながら照れたように笑った。
その様子はどこからどう見てもただの子供である。
ターゲットの皇女殿下が生きていた上に、いきなり見知らぬ少年へと変わったことに驚きを隠せないのだろう。ロープに繋がれた暗殺者達は、隠れている路地からコレット達の方へ顔を覗かせながら、皆一様に狼狽えたような顔つきになっていた。
「一つ注文を付けても良いなら、次からはちゃんと血を流してくれないか?」
「あれねー。いきなりだったから、倒れる演技しか出来なかったんだよねー。まぁ、良いじゃん。ヴィクトルがとっさに隠してくれたし!」
ティフォンは足をばたつかせながらニコニコとそう言う。『隠してくれた』というのは、ヴィクトルがティフォンを守るように暗殺者の前に立ちはだかったことだろう。
「まぁ、あそこで踵を返されたら困っていたところだしね」
「ちょっと、和やかに話している場合!? というか、なにこの状況!?」
そこでようやくコレットはヴィクトルが自分を後ろから抱き留めていたことに気がついた。彼女は飛び上がるように彼の腕から抜け出すと、慌てて距離を取った。
「なにって、助けてあげただけだよ」
「それは、助かったけど……」
手をひらひらと振りながら笑うヴィクトルにコレットは唸る。
そんなやりとりをしていると、急に視界の端に留めていた蛇が動きを見せた。
コレット達には目もくれず、それは暗殺者達が隠れている路地裏に向かう。
「暗殺に失敗したから、次は口止めかな」
「させないわよっ!」
コレットはティフォンを素早く白銀の剣に変え、その蛇の後を追うように跳ね上がった。
直後、コレットの目の前を鳥が横切る。
そのせいで失速したコレットは、地面に落ちてしまう。
「ちょっと、なんか邪魔されたんだけど!!」
見事に着地をしたコレットが見上げる先には旋回する鷲がいた。大きさはさほど大きくないが、数がひたすらに多い。
そのどれもが、やはりカラスのように真っ黒だった。
赤い瞳も共通である。
「今度は鷲だね」
「あーもー!! 蛇だけで手一杯なのに!!」
コレットが地団駄を踏んだときだった。ヴィクトルが懐から何か取り出し、構えた。
そして、耳を劈く破裂音。
その瞬間、一番近くを飛来していた鷲が落ちた。
「これでも、打ち落とすぐらいしかできないか。まぁ、トドメはさせなくても、これならなんとかなりそうだね」
「ヴィクトル、なにそれ……」
彼が懐から取り出したのは金属の筒だった。持ち手は木で作られており、緻密な彫り装飾もされている。
「外国の銃だよ。うちにもあるだろう?」
「銃は確かにあるけど……」
コレットだって銃くらいは知っている。長い鉄の筒から、鉄の弾が飛び出す武器だ。マスケットとも呼ばれる。
二年前の戦争時にもあったが、命中率が悪い上に、湿気にも弱い。その上、火種は光源となり敵に見つかることもあったし、引火の原因となることもあった。
武器としての信用性があまりにも低く、戦争時にはあまり役に立った思い出がない。
しかし、彼が持っているはコレットが知っているそれとはあまりにもかけ離れていた。
全体的に大きさが小さい上に、火種が見えない。マスケットは先から弾と火薬を詰める必要があり、一発撃つためには結構な時間がかかっていたのだが、ヴィクトルがそれをしている様子もない。
「うちより技術が進んでいる国があってね。少し前に手に入れたんだ。たまに試し撃ちをしていたんだけど、今回はそれが役に立ちそうで良かったよ」
再び破裂音が轟いて、鷲が落ちる。
コレットはその光景を見ながら、彼が以前暴れる狼の目を矢で撃ち抜いたことを思い出した。
(やけに弓矢が上手いと思ったら……)
弓矢と銃では勝手が違うのだろうが、それでも狙うことに関しては同じだ。
そういうのは関係なく、もしかしたら彼は、元々そういうのが得意なのかもしれないが。
「そんなに弾を持ってきてないから、片を付けるなら早くしてくれると助かるよ」
三発目を撃ちながら彼はそう言う。
幸いなことに、蛇は近くでする破裂音に混乱しているようだった。進みは止まり、首をしきりに左右に振っている。
「わかってるわよ!」
コレットはそう叫んで飛び出す。
彼女を止めようと、近くを跳んでいた鷲がコレットに襲いかかった。しかし、その爪や嘴が彼女に届く前に、鷲はヴィクトルに撃ち落とされてしまう。
コレットはそんな彼を頼もしく思いながら、剣を振り下ろし、蛇を真っ二つに切り裂いた。
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