15
コレットがステラの護衛を始めてから早一週間が経った。 あの化け物のように大きな狼が現れてから、とりあえずまだステラは一度も狙われていない。
護衛といっても、コレットだって四六時中ステラにつきっきりというわけにはいかないので、他の護衛につく兵士たちとローテーションを組みながら、彼女は護衛の任についていた。
コレットが護衛についている時のステラは饒舌だった。うっとりと瞳を潤ませて、耳まで真っ赤に染めながら、彼女は愛しのコレットに自分の話や質問などをして過ごしていた。
最初はその勢いに引いていたコレットだが、その可愛らしい容姿や必死な様子に絆されて、最近ではステラと話をするのが楽しいとまで思い始めていた。
皇女として教育を受けていたこともあり、彼女はコレットよりも博識だった。十歳の少女に知識面で劣るのは少々情けなくもあったが、最近まで敵国だった隣国の文化や、知識はコレットの興味を多いにそそった。
それに元々、コレットは子供好きなのだ。
孤児院にいる子供達に比べればステラはだいぶ大人びているが、それでもコレットに必死に話しかけてくる彼女は年相応に可愛らしい。
そのおかげかどうか知らないが、最近ではステラに触れるだけでは蕁麻疹も出なくなってきた。
コレットは、その日も護衛を終わらせて部屋に戻ってきた。
前日の夕方から朝までの番だったので、ステラと話すこともない上に、徹夜である。孤児院で規則正しい生活を送っていたコレットは、久々の徹夜にふらふらになりながら、自室にと用意された部屋の扉を開ける。
その部屋には当然のごとくヴィクトルがいた。
そして、彼の前にはティフォンが顕現している。
二人は向かい合わせでソファーに腰掛けながら、一枚の札を持ち、なにやら話し合いをしていた。
「じゃぁ、やはりこの札のようなものは《神の加護》に関係するものなのか……」
「たぶんね。絶対にそうとは限らないけど、そんな感じがするよ。感覚的なことだから、人にはわかんないと思うけど」
ヴィクトルが持つ札には見覚えがあった。
確か、ステラを襲った狼を倒した時に出てきたものだ。
コレットは動かない頭でそんなことを考えながら、部屋に入り、扉を閉める。
「別に俺がわからなくてもいい。わかるティフォンが側にいてくれるからね。助かってるよ」
「ふふふ、そー言われると調子に乗っちゃうなぁ。ヴィクトルって人をおだてるのが上手いよねぇ。まぁ、ボクは人じゃないけど」
そんな話し合いをする二人の横をふらふらと通り抜けて、コレットはベッドに突っ伏した。
正直、眠たくて敵わない。
最近はステラを守るためにと、かつての騎士団仲間に頼んで演習にも参加もさせてもらっているのだ。
二年ぶりの演習に、神経を使う皇女殿下の護衛。
体力的にも、精神的にも、そろそろ限界が見えてきそうだ。これが現役の時だとまた違うのだろうが……
「コレットおかえりー!」
「お帰り。おつかれさま」
「はーい、ただいまー……」
二人のねぎらいの言葉にコレットは顔を枕に埋めたままそう答えた。
「ヴィクトルー。ステラ様を襲う人たちについて、何かわかったー?」
「なにも。唯一わかったことは、あの巨大な狼が《神の加護》を扱える何者かの仕業ってことだけだね。あと、その場にいた兵士の聞き取り調査と、それぞれの身元はもう一度確認したよ。……何も出てこなかったけど」
ヴィクトルの現状報告に、コレットはやっと枕から顔を上げる。そして、気分の悪そうな顔を彼に向けた。
「《神の加護》ってことは、つまり王族ってこと? アンタの親類縁者じゃない……」
「コレットみたいな例外を除いて、うちの国に限定するなら、そういうことになるね。もちろん、帝国の方にも《神の加護》を使える者は存在するからね」
その言葉にコレットはうーんと唸った。
確かに、《神の加護》はシゴーニュ大陸を分けている三国の王家にそれぞれ受け継がれている。シゴーニュ大陸は広大な大陸なので、その他にもいくつか小さな国はあるのだが、その三国以外に《神の加護》を持つ王家は存在しない。
そして、その三国にグラヴィエ帝国も含まれる。
コレットは欠伸をかみ殺しながら、何かを思い出すかのように天井を見た。
「確か、あの国で《神の加護》を使える人って皇帝だけでしょう? 戦争時に何度か邪魔しに来たから覚えているけど、あの人の力ってあんな感じのヤツじゃなかったんだけど……」
コレットの見た皇帝の力は、一部分の天候を操るというものだった。一部分というのは本当に一部分で、確か、四方千メートルもない範囲だ。
しかも、皇帝がその近くにいないといけないという制約付きである。
天候というのは嵐でも雷でも何でもありだったので行軍にはかなりの支障を来したが、いざ決戦時となるとあまり関係がなかった。なにせ、その能力には敵味方など関係なかったのだから……
「それが、うちの王家の方もあんな感じの能力者はいないんだよ。父上も兄上もルトラスも黒い狼なんて扱えない」
「えぇ……」
犯人捜しが難航している現状を聞かされて、コレットは頬をげっそりと痩けさせる。
とりあえず、一番に確保しなくてはならないのがステラの安全なのだ。そのために今回の犯人は早い段階で確保しておきたい。
そして出来うるのなら、そこからは芋づる式に黒幕まで辿り着きたいところである。
「コレットみたいな例外が現れたか、帝国がもう何人か《神の加護》保持者を隠しているか……」
「それなら、戦争の時に出してくるんじゃない?」
少なくとも戦争時、コレットは皇帝以外の能力者を見ていない。
コレットの指摘にヴィクトルは顎をさすりながら、「うーん」と唸る。
「どうかな。《神の加護》は十二歳前後で出てくるものだけど、遅れた例がないというわけではないし。戦争が終わった後に、あそこの皇子がなにかしらの能力に目覚めた可能性もある」
「……それなら、今度ステラに何か聞いてみるわ。怪しい人がいなかったか、とか、帝国の《神の加護》について……」
「よろしく頼むよ」
返事の代わりにコレットは片手を上げた。
もう、王子様とかそういうのは関係なしだ。失礼だろうが、知ったこっちゃない。
ヴィクトルはそんな彼女の寝ているベッドに近づくと、その縁に腰を下ろした。
「コレットはお姫様の説得、成功したかい?」
「……無理」
コレットは沈んだマットレスの方を見ながらそう零した。そして、まるで爆発するかのように声を吐き出し始めた。
「ステラ様、普通にしてたらもう本当に可愛いのに! その話になると急に皇女様になるのよ!? あの皇女様モードのステラ様説き伏せるとか本当に無理! 口も立つし! 頑なだし!!」
「そうか。……全く期待してなかったけど、お疲れ様」
「そこは少しぐらい期待しなさいよ!!」
にこりと笑う彼にコレットはそう吠える。
ヴィクトルはそんな彼女の言葉に一瞬考えるような間を置いて、更に笑みを強くした。
「それじゃ、お仕置き」
「は?」
「期待していたのに、裏切られたからお仕置き」
「な、なんでそうなるのよ!!」
コレットはその言葉にベッドから跳ね起きた。そして、いつの間にかにじり寄っていたヴィクトルから脱兎のごとく距離をとる。
「別に変なことをしようってわけなじゃないよ。ただ、俺に慣れて貰おうと思って。ほら、コレット手を出して」
「いーやっ!」
「ステラ様も触れるようになったんだし、俺とも手ぐらいなら繋げられるんじゃないかな?」
壁際に逃げたコレットを追い詰めて、ヴィクトルは手のひらを差し出す。
コレットは壁伝いに逃げながら、声を震わせた。
「嫌だって! ヴィクトルと手なんか繋いだら、絶対痒くなる!!」
「そんなんじゃ、俺と結婚できないよ?」
「そもそもする気がないわよ!!」
まるで手負いの獣のようにコレットはヴィクトルに唸り声を上げる。
ヴィクトルはそんな彼女の行動に、楽しそうに笑った。
「嫌がるコレットって可愛いね。好きだよ」
「嬉しくないわ!!」
「コレットと一緒にいると心が躍るようだよ」
「私はちっとも踊らないけどね!!」
どちらかといえば、手のひらで踊っている感じである。
嗜虐趣味の王子様から逃げながら、コレットは悲鳴のような声を上げる。
「もーやだ! もっと、まともに好いてくれる人が良い!!」
「俺はまともだよ。少なくとも俺の中では」
「アンタがまともなら、まともじゃない人間はこの世からいなくなるわよ!!」
もう定番になってしまった追いかけっこをティフォンはニコニコしながら見つめている。
そして、とうとうコレットを追い詰めたヴィクトルはその手を差し出しながらにっこりと笑った。
「ほら、俺たち協力しないといけない間柄だろう? もし、有事の時に手も繋げなかったら大変じゃないか」
「そ、それは……、確かにそうだけど……」
「ね? 俺はここから動かないから、コレットのタイミングで来てみてよ」
上手いことのせられた気がするが、ヴィクトルの言っていることも一理ある。
コレットは、ヴィクトルと天を向いた手のひらを何度か見比べて、渋々頷いた。
「じゃ、じゃぁ……」
最初は躊躇うようにその手のひらに触れる。そして、何度か指先で彼の手を確かめると、コレットは恐る恐る自身の手のひらを彼のものに重ねた。
「平気、かな?」
「……かしら?」
ぴったりと重なった手のひらを見て、ヴィクトルは嬉しそうに微笑んだ。
コレットも嬉しそうとまではいかないが、まんざらじゃないような顔をしている。
(まぁ、もう王子様って感じじゃないものね……)
コレットはその手のひらを見ながら自分たちの関係性を思った。
ヴィクトルとは友人ではないが、良く会う知り合いぐらいの関係性は築けていると思う。
元々悪い人間ではないのは知っているし、彼自身が飾らず気さくに話しかけてくれるのもその要因だろう。
まぁ、多少遠慮して欲しいところも、あるにはあるのだが……
コレットがそんな生暖かいことを考えていると、急にヴィクトルに手を取られた。そして、強く引かれる。
気がついた時には、彼女はもう彼の腕の中にいた。
「それなら、これは?」
楽しそうに聞いてくるヴィクトルの声を聞きながら、コレットは全身が粟立っていくのを感じた。
「ぎゃあぁああぁぁ!!」
女らしくない叫び声を上げてコレットは彼を突き飛ばす。そして、彼の彫刻のような綺麗な顔に平手をお見舞いした。
◆◇◆
「で、どうしよっか?」
「アンタ、よくそのテンション続けられるわね……」
頬をもみじ型に腫らしたヴィクトルは笑顔のままコレットに話しかけてくる。
一方のコレットは体中を掻きながら部屋の隅で小さくなっていた。
「ステラ様のこと、本気でどうしようか悩んでるんだけど、コレットには良い案ないかな?」
「良い案なんてないわよ。元々、頭使うの好きなわけじゃないし……。戦争の時だって言われるがまま戦ってただけだし……」
「んー。どうしよっかなぁ」
ヴィクトルは顎をさすりながら悩ましげな声を出す。
そんなヴィクトルを見上げながら、コレットは唇を尖らせた。
「それなら、一つだけ。案とか、作戦じゃなくて、要望だけど……」
「要望?」
「一発でケリを付けたい」
「一発で?」
ヴィクトルがオウムのように返した言葉にコレットは首肯する。
そして、ぐっと力の込めた拳を胸元に掲げる。
「このままだと私の体力とか、精神力が持たない!! こう、ガーと襲いかかってくれないかしら! そういうのを一網打尽にする方がまだマシ!! と言うか、そっちの方が断然良い!!」
「そっちの方が楽なんだ?」
「……護衛って結構精神力使うのよ?」
コレットがそう言うと、ヴィクトルは「そういうものか」と呟いた。
どうやら、ヴィクトルの中では襲いかかってきた敵を一網打尽にするより、護衛の方が疲れないことになっていたらしい。
それもそうだ。彼は本来守る側ではなく、守られる側の人間なのだから……
コレットのそんな要望を聞いて、ヴィクトルは何か思いついたのか、一つ頷いた。
そして、まだ小さくなって身体を掻いているコレットの額を小突いた。
「コレットってば本当に猪突猛進だね」
「……それ、褒めてないでしょ?」
「猪の肉は美味しいって聞くよ?」
「た、食べるの?」
コレットのひっくり返った言葉にヴィクトルはなにも答えない。
その代わり、彼は晴れ晴れとした声を出しながら、柏手を打った。
「まぁ、それなら、少し作戦を練ってみようか」
「作戦?」
「そ、作戦」
その笑みはいつもより頼もしく見えた。
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