14

「何度も命を助けていただき、本当にありがとうございます。コレット様!」

 翌日、様子を見るために訪れたステラの部屋で、コレットは彼女にそう感謝された。

 ステラも、その後ろに控えるポーラも、決して顔色は悪くない。ステラに至っては、むしろ血色が良さそうだ。

 彼女は頬を桃色に染め、やおら興奮したようにコレットに詰め寄った。

「私を守るために必死で駆けつけてくださったそのお姿! 本当に凜々しくて、勇敢で、素敵でしたわ!」

「あ、ありがとうございます」

「しかも、今後も守っていただけるとのことで! 私、感無量です!」

 瞳を潤ませながらステラはコレットの両手を取り、強く、強く、握りしめた。

 その瞬間、コレットの背筋に悪寒が走り、鳥肌が立つ。ついでに、手袋で隠れている手には蕁麻疹が出ていた。

 しかし、振り払うわけにもいかないコレットは、身を震わせながらその責め苦に耐える。

 ここまで来れば、鈍感なコレットにだってステラが自分にどういった感情を持っているのかぐらいはわかる。

 ステラは命を救ってくれたコレットに惚れているのだ。

 ――そう、男性のコレットに……

 ステラに手を握られたコレットが冷や汗をかいていると、すぐ後ろにいたヴィクトルが助け船を出してくれる。

「すみません、ステラ様。彼はどうも、お綺麗なステラ様に触れられると緊張してしまう質のようです」

「まぁ! そうですの?」

「は、はい……」

 ステラの問いに、コレットは引きつった笑みで一つ頷いた。

「すみません。彼はまだ初なもので」

 そうして、ヴィクトルがステラの手をやんわりと退ける。

 手を退かされたステラは特に気分を害した風もなく、花が咲くように綻んだ。

「女性に慣れていないということは、コレット様はとても誠実な方でいらっしゃるのね! ますます、お側にいたくなりましたわ!」

「良かったですね。これからは定期的に会えますよ」

「ヴィクトル様、ご配慮ありがとうございます!」

 ついこの間十歳になったばかりだというのに、彼女は年相応に喜びながらも、ヴィクトルに深々と頭を下げた。

 その仕草はやはり皇女というべきだろう。頭のてっぺんからつま先まで、気品が漂っている。

「あ、あの! ステラ様!」

「なんですか?」

 コレットの言葉にステラは小さく首を傾げた。

 そんな彼女に、コレットは必死で練習してきた言葉を吐き出した。

「やはり国に戻られませんか? この国に留まれば、また危険なことに巻き込まれてしまいます。ステラ様の身に何かあれば、それこそまた戦争になるかもしれません! 平和を尊ぶそのご意志は立派だとは思いますが、どうか、両国の安寧のため、国に戻っていただけませんでしょうか?」

 ヴァレッドが考えた文をそのまま言っているだけだが、コレットだってその気持ちは一緒だ。

 プロスロク王国に留まって命を狙われ続けるより、国元に帰ったほうがステラにとっても、この国にとっても良いに決まっている。

 コレットの言葉にステラは先ほどまでの浮ついた表情を収めると、静かに首を振る。

「コレット様のおっしゃることも重々に承知しております。しかしながら、私は帰りません」

「なぜですか?」

「私がここにいることで、防げる争いもあるからです。私が無事でここにいる限り、プロスロク王国とグラヴィエ帝国の間で戦争は決して起こらないでしょう。もし、皇帝がむやみに戦争を起こそうとしても、私の身がこの場所にある限り、他の国々から非難が出ることは間違いありません。そして、今のグラヴィエ帝国にそれを突っぱねるだけの体力は残ってない」

 高らかに、背筋を伸ばしながら彼女はそう宣った。

 その風格はまさに上に立つ者のそれだ。

 十歳の少女の言葉にコレットが言葉を失っていると、ヴィクトルの鋭い声色が飛んでくる。

「皇帝が戦争を起こしたいがために貴女をここに寄越したのかもしれませんよ?」

「だとしても、私が殺されなければ何も問題はありません」

 結局、議論は平行線のまま決して交わることはなかった。

 コレットはヴィクトルと共にとぼとぼと廊下を歩く。その足取りは重く、肩も沈んでいた。

「ダメね。梃子でも動かないわ、あのお姫様」

「このままだと、コレットは俺の婚約者のままだね。結婚式でのドレスはどんなのが良いかな?」

 げんなりと頬を痩けさせるコレットとは対照的に、ヴィクトルはニコニコとそんなことを言う。

 彼女はそんなヴィクトルを睨みあげると、低い声を出した。

「……死ぬ気で説得するわ。婚約者なんかに収まってなるものですか!」

「ん、頑張って。俺は式の日程を調整しとくからね」

「というか、馬鹿なことばっかり言ってないで、アンタもちょっとは頭を捻りなさいよ!!」

 のんきな顔で冗談を言うヴィクトルをそう叱りつければ、彼はやっぱり微笑んだまま「コレットよりは考えているつもりだから、安心して」と笑顔を見せた。

 そんな、ある種いつものやりとりを繰り返している時だった。

 廊下の先から良く通る声が二人の耳朶を叩いた。

「こんにちは。君がコレット・ミュエールかな? 初めまして、戦姫様」

 そう言いながら、廊下の先から現れたのは一人の優しげな青年だった。

 まるで天使のようなブロンドヘアーにヴィクトルのものより薄い青の瞳。

 顔もどこかしらヴィクトルと似ているが、その容姿の整い方はまるで太陽と月のように対照的だ。鋭利な冷たさを持つヴィクトルに対し、彼は暖かい日の光のような雰囲気を纏っていた。

 そんな彼は優しげな笑みを浮かべて二人に近づいてくる。

 ヴィクトルはその姿を視界に入れて、低く唸った。

「……兄上」

「え? ヴィクトルのお兄さんって、ことは……王太子!?」

「いかにも。私はアルベール・マルティン・プロスロク。ヴィクの異母兄だ」

 まさかここでヴィクトルの兄である王太子が出てくるとは思わなかったのだろう。裏表のない優しげな笑みに、コレットは「はぁ」と呆気にとられた声を出した。

 その隣でヴィクトルはあからさまに顔をしかめる。

「……兄上、なにしにきたんですか?」

「いや、可愛い弟の婚約者様にまだ挨拶していないと思ってね。探していたんだよ」

 弾むような声を出しながらアルベールはコレットに近づく。

「噂は聞いているよ。まさか、戦姫と呼ばれた女騎士が、こんなに可憐な女性だなんて思わなかったな。びっくりだ」

「あ、ありがとうございます」

「こんな弟だけれど、本当はとっても優しい子なんだ。仲良くしてやって欲しい」

 そう言いながら、彼は右手を出してくる。

 コレットは迷いながらも苦笑いでその手を取ろうとした、その時だった。

 コレットの手を弾いて、ヴィクトルがアルベールの手を取った。そして、いつもの何を考えているのかわからない笑みを浮かべる。

「いくら、アルベール兄上だろうと、俺の婚約者には触らせませんからね」

「ふ、嫉妬深いと嫌われるぞ。……まぁいい、挨拶はすんだ。私はもう行こう」

 どこからどう見ても仲の良い兄弟のやりとりに、コレットは先ほど見たヴィクトルのしかめっ面を思い出して、目を白黒させた。

 アルベールは二人の間を通り過ぎると、人の良い笑みを浮かべながら振り返った。

「いま、街の方で収穫祭をやってる。あれなら、一度二人で見に行ってみたらいい。それでは仲良くな」

「あ、はい!」

 言いたいことだけ言うと、アルベールはそのまま廊下の向こうに消えていく。

 あっという間の邂逅に頭があんまりついていかないコレットは、その背中を見送りながら目を瞬かせていた。

 そんな彼女にヴィクトルはいつもより低い声を出す。

「コレット、兄上には気をつけて」

「……なんで?」

「理由は言えないけど、気をつけて欲しい。特に二人っきりで会ったりなんかしたらダメだよ」

 いつもの笑顔はなりを潜めて、彼は真剣な表情でそう言った。

 コレットはそんな彼の表情の変化に身を引きながら、首を捻る。

「なによ。あんな優しそうなお兄さんと喧嘩でもしてるの?」

「ま、そんな感じかな? ほら、コレットまで意地悪されちゃダメだろ?」

「するような人には見えなかったけど……」

「そう見えなくても、これだけは守って。……じゃないとお仕置きだから」

 ヴィクトルの声色が明らかにコレットをからかうものへと変わる。楽しそうなその口ぶりにコレットは身を固くした。

「お、お仕置きって……何する気よ⁉」

「それはその時のお楽しみかな?」

 そう言いながら、ヴィクトルはコレットの頬に手を這わせた。

 その瞬間、コレットは飛び上がる。

「ひゃぁっ!! ば、ば、ば、ばかっ!! 痒くなるでしょうが!! あーもー、最悪っ!」

「うーん、まだダメか」

 自分の手とコレットの頬を見比べながら、ヴィクトルはのんきにそう零した。

 コレットはその触れられた箇所を掻きながら彼を睨みつける。

「まぁ、とにかく。兄上と二人っきりで会ったらだめだから。約束を破ったら……どうなるか想像つくよね?」

 両手を広げるヴィクトルにコレットは「わかったわよ!」と怒声を上げるのであった。

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