12

「どうだった?」

 医務室から帰ってきたコレットを迎えたのは、ヴィクトルのそんな言葉だった。

 コレットは後ろ手で扉を閉めながら、一緒に医者の診察を受けた二人のことを思い出す。

「二人ともただの気絶らしいわよ。怪我の方も擦り傷だけみたい。命に別状はないから、一、二時間もすれば目覚めるだろうって」

「君は?」

「私も平気! どこにも異常はないって。むしろ、なんで来たのかって雰囲気だったわよ」

 半ば強引に行くことになった医務室だったが、やはり行かなかった方が良かったのではないかと思ってしまう。念入りに調べられたステラとポーラに比べ、僅か一分ほどで切り上げられたコレットの診察は、正直、あってもなくても変わらないといった感じだった。

 コレットは豪奢な部屋にまだ慣れていないのか、部屋の隅に身を寄せると、ヴィクトルにため息交じりの声を出した。

「アンタさ。頼み事があるなら、ああいうまどろっこしい真似しなくても普通に頼みに来たら良いのに……」

「まどろっこしい真似?」

「プロポーズよ! 普通に来ても話ぐらいは聞いてあげるって言ってるのよ! それにこういう状況なら、ああいう嘘つかなくても、協力ぐらいしたわよ。私だって、また戦争が起こるのは嫌なんだし……」

 再度ヴィクトルがプロポーズしてきた理由を、どうやらコレットはそう理解したらしい。彼女は呆れたような顔をしながら壁に寄りかかった。

 そんな彼女に、ヴィクトルは座っていたソファーから立ち上がり近づいてくる。そして、すぐに触れられる距離まで身を寄せてから、にっこりと微笑んだ。

「嘘じゃないよ」

「は?」

「俺はコレットと結婚したいと思ってるし、それを君に承諾させる気でいるよ」

 その言葉にコレットは身を引いた。しかし、彼女の踵は一歩も下がることなく、背中の壁を蹴る。コレットはヴィクトルから離れようと、できる限り壁に身体をくっつけた。

(た、退路を断たれた!?)

 コレットの左側と背中には壁、それ以外にはヴィクトルがいる。

「な、なんで!? 確かに『諦めた』とは言われてないけど、この前はちゃんと諦めてくれたじゃない! 少なくとも私にはそう見えたわよ!」

 悲鳴を上げるようにそう言えば、ヴィクトルはとても楽しそうに笑う。

「あの時はあの時。今は今だ」

「……都合が良いのね」

「人の気持ちなんて、大体、都合が良いように出来ているものだよ」

 にこやかに壁に手を置かれて、コレットはますます縮こまる。

 本格的に逃げられなくなってきた。

 そんなコレットを見ながら、ヴィクトルは壁に置いていない方の手で顎を一撫でした。

「まぁ、一つ理由を挙げるとするなら、君に興味がわいたから、かな?」

「……興味?」

「君の《神の加護》に対してね。出来れば側に置いておきたい」

 揺るがない笑顔で言われて、コレットのこめかみがぴくりと反応した。

「最低ね。アンタ……」

「よく言われるよ。それに、ここで『愛してる』とか、歯の浮くような台詞を言っても、君は信じてくれないだろう?」

「そりゃあね」

 確かに、今ここで『愛してる』なんて言われても、ふざけているとしか思えない。そもそもこんなプロポーズを持ってくること自体がふざけている事態なのだが、ヴィクトルはそうは思っていないようだった。

「それなら、誠心誠意向き合う方が良いんじゃないかと思ってね」

「はぁ……?」

 もう何が誠心で、何が誠意なのか、よくわからない。

 コレットが気の抜けたような返事をすると、ヴィクトルはますます彼女に身を寄せた。

「それとは別で、君自身に興味があるのは本当だ。今まで周りにいなかったタイプだからね。君が側にいてくれたら、今より面白い人生が送れそうだ」

「ち、珍獣扱いしないでよ! それに、結婚は好きな人としたいって言ったでしょう?」

 唸るようにそう言うと、彼は自信満々に手のひらで自分を指した。

「だから、俺を好きになれば良い」

「そう簡単になれるか! それに愛人はいやなの! 側室ってヤツもいや!」

「君が嫌がるなら、他の側室は持たないよ。正妻はまぁ、持たないとダメだろうけど、君のところへ一番通うようにする」

「そこは、正妻を持たないぐらいの覚悟を見せなさいよ!」

「こればっかりは俺だけの問題じゃないからなぁ」

 そう言いながら、彼は困ったように笑った。

 王族にとって、結婚は政治の道具なのだ。ヴィクトルが嫌だからと言って回避できるものではない。それをコレットもわかっている。だからこそ、彼との結婚は嫌なのだ。

「それに、私は相思相愛で結婚したいのよ! 相手からもちゃんと想われたいの! なので、アンタみたいな利害の一致で結婚しようってヤツは論外!」

 これが最後だと言わんばかりにそう吐き捨てる。すると、ヴィクトルは驚いたように一瞬目を見張った後、先ほどよりも更に笑みを強めた。

「それなら、心配はいらないよ。俺はコレットが好きだよ」

「はぁ!?」

「ちょっと抜けてる感じも見ていて飽きないし、なんだかんだ言って面倒見が良いところも、苦労性っぽくて面白い。こうやって怯える様も可愛いし、とてもからかい甲斐がある」

(……腹の中真っ黒か! コイツは!!)

 要は、『いじめて面白いから好き』ということだろう。

 コレットが胡乱な顔で見上げていると、彼は少しだけ真剣みを増した顔になる。そして、コレットの髪の毛を掬い上げた。

「それに、いつも誰かのためを思って動くその姿勢は、単純にすごいと思う。君の長所だ」

「そ、それは、どうも」

 気恥ずかしげに視線を逸らしてそう答えると、ヴィクトルはその髪の毛にキスを落とした。

「……怪我がなくて、本当に良かった」

 そう囁かれて、さすがのコレットも全身を真っ赤に染めあげた。その勢いはまるで爆発するかのよう。よく見たら湯気まで出ていそうだ。

 コレットはその勢いのまま、両手でヴィクトルを押し返した。

「なにしてくれてんのよー!! このスケコマシ!!」

「スケコマシってことは、少しぐらいは意識してくれたってことかな? 嬉しいよ」

「そんなわけないでしょうが! なんで髪なんかにキ、キスすんのよ!」

「ん? 他のところにしても良いの?」

「いいわけないでしょうが!」

 ぞわぞわと這い上がる悪寒に身を震わせながら、自身の肩を抱く。それを見て、ヴィクトルは更に笑顔になった。

「そういう初な反応をするところも可愛いと思うよ」

「悪趣味!」

「なんとでも言ってくれ」

 二人がそんなやりとりをしていると、急に扉が控えめに叩かれた。

 そして、見たことのある人間が顔を覗かせる。

 野暮ったい眼鏡に、気弱そうな顔。身長だけはひょろりと高いが、その体つきは文官のそれである。

 彼――ラビは、部屋に入るとヴィクトルを視界に入れた。

「ヴィクトル様、ご報告があります。……って、コレットさんもいたんですか?」

 コレットが来ていることは事前に知っていたのだろう。城の中にいること自体には驚いてはいないようだったが、その顔は明らかに彼女の登場を嫌がっているようだった。しかも、その感情を隠そうともしない。

 そんな無愛想な従者にヴィクトルは笑顔を向ける。

「良いところだったのに。邪魔をするなんてタイミング悪いな、お前は」

「応援していませんからね! 私的にはタイミングばっちりでした! ……ところで、国王様からの呼び出しですよ。コレットさんも。なにやらコレットさんの処遇についてのお話らしいです」

「しょ、処遇?」

 処遇という不穏な言葉にコレットは顔を引きつらせた。しかし、一緒に呼び出されたヴィクトルはさも当然とばかりに頷いてみせる。

「まぁ、そう来るだろうとは思ってたよ」

「どういうこと?」

「君はさっき、無断で・・・力を使っただろう?」

「あ……」

 その瞬間、思い出したのはあの誓約書だ。力を使わないと約束したのに、コレットはもうその約束を二度は破ってしまっている。

 しかも、二度目は城の中で、だ。バレないと思っていた方がどうかしていたのだ。

「それに関しての呼び出しだ。さぁ、どんな罰が待ってるかな。楽しみだね、コレット」

 意地の悪い笑みにコレットは息を飲んだ。そして、声を振るわせる。

「あ、あれは、人助けだったし……」

「こういうのに例外はないんだよ」

 その言葉にコレットの顔は真っ青になった。

「ど、ど、ど、どうしよう!? 罰金とかかな!? それなら独房に一ヶ月とかの方が……」

「独房に一ヶ月とかの方がマシなんだ?」

「そりゃあね! 孤児院の皆に迷惑かかるよりは、誰にも会えなくて暇だけど、食事も昼寝もついてくる独房の方がまだましよ!」

 それでも、嫌なものは嫌だ。独房の冷たい床に寝たいだなんて思えない。しかも、あそこは日が当たらないのだ。想像しただけで身が震えてしまうコレットである。

 そんな彼女に救いの手をさしのべるかのように、ヴィクトルが優しい声色を出す。

「コレット。ステラ様を救ってくれたお礼に、今度は俺がコレットを助けてあげようか? 上手く行けば、罰金も、独房もなし。どうかな?」

「……そんなこと出来るの?」

「まぁ、任せておいて。そのかわり、君にも少しだけ協力して貰うけど、いいかな?」

「それは、もちろん協力するけど。……アンタ何が目的よ」

 さすがに懲りたのか、コレットはヴィクトルに疑わしげな視線を向けた。

 しかし、そんな視線などもろともせずに彼は笑う。

「何も。これは、ただの君に対する点数稼ぎだよ」

「点数稼ぎ?」

「そう。……じゃぁ、行こうか」

そう言って軽やかに身を翻したヴィクトルの後ろをコレットは渋々ついていくのだった。

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