11

「ちょっと、大丈夫!?」

 駆け込んだ部屋の先で見たものに、コレットは息を飲んだ。

 そこにいたのは馬鹿でかい狼だった。頭が天井に届いてしまいそうなほどに大きく、色は不自然なぐらい真っ黒。血走ったような目だけが赤く輝いていて、口元からも真っ黒い牙が覗いている。

 部屋の中が狭いのだろう、その狼は調度品などを身体で押し倒しながら、暴れ回っている。その力たるや、控えていた兵士達の攻撃が、一切届かないほどだった。

 刃は通さない、弓は跳ね返す。

 そんな、異形なものの登場に、周りの兵士達もどうすればいいのかわからないのだろう。むやみやたらに攻撃を繰りかえす者もいれば、部屋を出た先で怯えたような表情になっている者もいる。

 そんな狼の姿をした化け物の足下には、二人の人間がいた。

 一人は叫び声の一つもあげられないまま、震え、固まってしまっているステラ。

 もう一人は、そんなステラにポーラと呼ばれていた侍女だ。彼女の方はステラを守ったためか、部屋の隅で気を失ってしまっている。

 唸り声を上げるその黒い狼は、まるで爪研ぎをするかのように鋭い爪で絨毯を数度引っ掻いた。

 そして、目の前で固まるステラを見つけ、彼女にその爪を突き立てようとした。

「――っ!!」

「伏せてっ!」

 ステラが息を飲んだと同時に、コレットが彼女の元に滑り込んだ。そして、まるでステラを庇うかのように彼女の頭を抱える。

 そして、狼の爪は二人に向かって振り下ろされた。

「コレット!!」

 その瞬間、数秒遅れてやってきたヴィクトルが、彼女の名を呼ぶ。

 そして、そこにいる誰もが、目の前で起こるだろう惨劇に目を瞑ったときだった。

 キンッ、と金属同士がぶつかるような音が部屋の中に木霊した。次いで、何か生肉を切るような生々しい音。

 最後に、まるで断末魔のような狼の咆哮が耳を劈いた。

 その声に辺りがざわつく。

 見れば、先ほどまで帯剣してなかったはずのコレットが、剣を持ち、狼の足を一刀両断していた。

 その剣は伝説通り、白銀に輝いている。

 足を切られた狼はその痛みで悶え苦しみながら、暴れ回った。そして、今度はその鋭い牙で二人を襲おうとする。

「かせっ!」

 その瞬間、ヴィクトルが兵士から弓矢を奪い、その狼に向かって矢を放った。それが、その狼の目に深々と突き刺さる。

 どうやら表皮は強いようだが、動物と同じように粘膜部分は弱点らしい。

 二度目の深手に狼は目の前の二人を忘れて暴れ回った。壁に身体をぶつけ、天井のシャンデリアを揺らす。

 コレットはこの隙を逃すまいと、ステラを脇に抱えたままティフォンの力で高く飛び上がった。そして、その暴れる狼の脳天に剣を突き立てる。

 その瞬間、風船が割れるような破裂音が辺りに響いた。そして、狼の身体も破裂音と共にはじけ飛んでしまう。そして、コレットの剣はほとんど空振りのまま絨毯の床に深々と突き刺さった。

「あれ? 終わり……?」

 ステラを小脇に抱えたまま、コレットは剣を床から引き抜く。その剣の切っ先には、一枚のお札のようなものが刺さっていた。

「コレット! 大丈夫?」

 焦ったようなヴィクトルの声に、コレットは笑顔で一つ頷いた。

「うん、大丈夫。ステラ様も無事よ! 正直、さっきのは助かった。ありがとうね」

「お礼は良いから、すぐに医務室に行こう。どこか怪我してるといけない」

「あぁ。ステラ様、さっきので気を失っちゃったからね」

 腕の中で瞳を閉じるステラの顔色は悪い。確かに、早く医者に診せた方が良いだろう。見る限り、怪我をしている様子はないが、見えないところに傷を負っているかもしれない。

 そんなステラを心配するコレットに、ヴィクトルはなぜか渋面を向ける。

「お姫様はもちろんだけど、俺は君のことも心配してるんだ」

 口調は柔らかいが、どこか怒ったようにヴィクトルはそう言った。その様子にコレットは目を瞬かせる。

「え? 私は大丈夫よ。どこも怪我してないし!」

「だとしても、一応、診てもらってくれ」

「や、でも……」

 明らかにコレットは怪我をしていないのだ。なのに、ヴィクトルは譲らない。

「言うことを聞かないなら、抱き上げて無理やり連れて行ってもいいんだよ?」

「ひっ!」

 微笑みながら両手を広げるヴィクトルにコレットは顔を青くさせる。

「さぁ、10秒以内にどっちか選んで。俺はどっちでも構わないからさ」

 ヴィクトルが「じゅーう、きゅーう、……」とカウントダウンを始めたのをみて、コレットは焦ったように口を開いた。

「じ、自分で行く! 自分で行くから!!」

「本当にちゃんと行く?」

「行きます! ちゃんと診てもらう!!」

「そっか、残念。医務室に連れて行ったお礼に頬にキスぐらいはさせてもらおうと思ってたのに」

「させるわけないでしょうが!!」

 想像だけで痒くなるコレットである。頬を赤く染めたまま怒りをあらわにするコレットにヴィクトルは笑みを滲ませる。

「……それなら、早速行こう。ポーラも先ほど医務室に運ばせた」

 彼の言葉にコレットは一つ頷いた。

 その時だ――

「ねぇ、ねぇ、コレット。それ、大丈夫なの?」

 二人の足下からティフォンの声がした。

 コレットの手の中にあった剣はいつのまにか姿を消しており、その代わりにティフォンが二人の間に立っている。

 彼はコレットの腕の中で眠るステラを指さして「それ」と、もう一度言った。

 コレットは腕の中のステラを目に留めると、全身の毛を逆立てた。そして、彼女を床の上にそっと置くと、その場から逃げるように距離をとった。

「やばい! 痒い!! あーもー、ティフォンの馬鹿!! 気付いちゃったじゃない!!」

 服の上から腕を掻きながらコレットが涙目になる。

 ティフォンはそんなコレットを見ながらお腹を抱えて笑っていた。

「あの症状はどういう条件で出るんだ?」

 ヴィクトルが床に置き去りにされたステラを抱き上げながら、ティフォンにそう聞く。

 狼を倒している間、彼女はいたって普通だった。ヴィクトルと話している間もステラを抱えたままだったがいつも通りだった。

 コレットが反応したのはティフォンが指摘してからだ。

 そんなもっともな疑問にティフォンは笑顔のまま首を折った。

「うーん。コレットの場合は心の問題だからねー。実際にお金持ちじゃなくても『お金持ちだ!』『苦手だ!』と思うと出ちゃうし、逆にお金持ちの人でも仲良くなると出なくなったりするんだよ。ああやって戦ってたり、心にそういう余裕がないときは、そもそも出ないしね! 要は『お金持ち』『苦手』っていう感情よりも、他の感情の方が勝ってたら何も出ないんだよ」

「他の感情、ね」

 ティフォンの言葉にそう呟きながら、ヴィクトルはコレットに視線を戻した。彼女は部屋の隅で、自身の身体をかき抱きながら小さくなっている。

 そのおかしな姿に笑みを零しながら、ヴィクトルは彼女に声を掛けた。

「コレット、行くよ!」

「わ、わかってるわよ!」

 震える声でコレットはそう答えた。

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