8

「コレット、結婚しよう」

「帰れ」

 繰り返されたその言葉プロポーズに、コレットは笑顔でそう答えた。箒を握るその手と額には、当然青筋が立っている。

 空はこれほどないぐらいの晴天で、朝食を終えたばかりの子供達と一緒にコレットは敷地内の掃除を始めるところだった。

 手に薔薇の花束を持ったヴィクトルは、そんなとりつく島もないコレットに満面の笑顔を向ける。

「結婚し……」

「か・え・れ!!」

 ヴィクトルの言葉を遮って、コレットはそう吠える。その声が大きかったのか、散らばって掃除を始めようとしていた子供達は二人の方へ集まってきた。そして、薔薇の花束を持つ美丈夫を見つけて、目を輝かせる。

「ヴィク!!」

「えー! どうしたの? どうしたの? コレットおねーちゃんに会いに来たの?」

「綺麗な薔薇の花束! もしかして、もう一度プロポーズ!?」

 足下に集まってきた子供達を撫でて、ヴィクトルはその綺麗な顔を陰らせた。

「一度は断られてしまったんだけどね。どうしても彼女のことが忘れられなくて……」

「ヴィク、かわいそう……」

「そんなに、落ち込むなよ! な?」

「ヴィクをこんなに悲しませるなんて、おねぇちゃん、酷い!!」

「あ、あんたたち……」

 再び子供達の心を掌握されて、コレットは狼狽えた。

 目の前にはやはりニコニコと笑みを浮かべるヴィクトルがいる。

「実は、寝ても覚めても君のことが忘れられなくてね。もう一度来てしまったよ」

「うそおっしゃい!! あんなにあっさり諦めておいて、そんなわけないでしょうが!!」

「ん? そういうことを言うってことは、もう少し追い詰めて欲しかったのかな? コレットってば、見かけによらずそういうところがあるんだね。覚えておこう」

 茶化すようにそう言われて、コレットの顔が真っ赤に染まる。

「そんなわけないでしょうが!! 大体、あの時納得してくれたじゃない! どうして、今更……」

「そもそも俺は『君の気持ちはわかった』と言っただけで、『諦める』なんて一言も言ってないつもりだけど」

 にっこりとそう言われて、コレットは固まった。確かに、彼は諦めるという雰囲気こそ出していたが、その口からは一言も『諦める』とは発していない。

 その事実に気がついて、コレットは怒りで身を震わせた。

「ひ、卑怯よ!」

「卑怯、頭が良いって事だね。褒め言葉だ。ありがとう」

「なっ! 褒めてないわよ!! アンタがどんなに卑怯な手で来ようが、私は絶対頷かないからね!」

「じゃぁ、追い出す? 塩でも撒いてみるかい?」

「アンタに撒く塩がもったいないわ!!」

 コレットは剣の代わりに箒を構える。その姿はとても堂に入っていたけれど、手に持っているものが箒ということで、どこか間抜けに映ってしまう。

 ヴィクトルは突きつけられた箒を片手で避けると、そんな彼女に近づいて、鼻先に一枚の書類を突きつけた。

「コレット。俺、こんなものを見つけたんだけど」

「げ……」

 その書類を見た瞬間、コレットの顔色が変わる。頬を引きつらせて、まるでおののくように一歩後ずさった。

「この話、今ここでしても良いけど。どうする?」

 周りの子供達を見渡しながら、ヴィクトルがにっこりと笑う。コレットは青い顔のまま身体を震わせると、子供達に声をかけた。

「ちょ、ちょっと! ヴィクトルと話したいことがあるから、皆は掃除に戻って!」

「えー、やだよー!」

「ヴィクともうちょっと話したいー!」

「ねぇ、ヴィク! だっこー!」

 まるで姉貴分の言うことを聞く気がない子供達は、そう口々に言いながらヴィクトルの足下にまとわりつく。

 ヴィクトルはだっこを求めてきたソフィーを抱き上げながら、声を出さずに口だけを動かした。

『ほら、もうちょっと恋人に言うみたいに!』

 騎士団に所属していた頃、読唇術をこれでもかと叩き込まれていたコレットは、ヴィクトルの口パクを即座に理解し、怒りと羞恥で頬を真っ赤に染めあげた。

「ぐ……」

『出来ない?』

「う、うぅ……」

 ヴィクトルがこれ見よがしにその書類をぺらぺらとはためかす。

 コレットはその脅しになんとか声を出した。

「ヴィ、ヴィクトルと二人っきりになりたいから、……皆ちょっと向こう行っててもらえるかなぁ……」

 恥ずかしそうに顔を逸らして、身を震わせる。その姿は恋する乙女そのものだ。

 まぁ、頬を染めているのも、身体を小刻みに震わせているのも、実際は怒りのせいなのだが……

 子供達はそんな姉貴分の姿に「おぉ……」と一斉に声を上げる。

「コレットねぇちゃんにもようやく春が!?」

「ヴィク、良かったな!」

「あとでまた遊んでね!」

「ちゅーするのー?」

「しないわよ!!」

 最後の子供の問いにだけ、コレットは怒鳴るようにそう答える。

 そうして誰もいなくなったところで、ヴィクトルは微笑みながら拍手をした。

「うーん。ぎりぎり及第点! でも、とっても可愛かったよ」

「ふざけんじゃないわよ、アンタ……」

 相手が王子様と言うことを忘れてコレットはドスのきいた声でそう言う。その声は地を這うように低かった。

「アンタ、私のこと脅す気?」

「脅しと言うよりは、交渉、かな」

 ヴィクトルはコレットに見せつけていた紙を今度は自分の方へ向け、その書類の内容を読み上げた。

「『私、コレット・ミュエールは、いかなる災難に見舞われようとも、国の決定なくして《神の加護》を使いません。以上のことを守れなかった場合、どんな罰だろうとお受けする覚悟があります』……うん。サインもちゃんと入ってるね」

「あー……」

「おかしいと思ったんだ。君が《神の加護》を持っていることは王族からしたら秘密にしておきたい事柄だからね。だからこそ、力を顕現させた君を国は騎士団へと召し上げたんだ。現に今だって、君の力については箝口令が敷かれていて、一部の者しかその事実は知り得ない」

 ヴィクトルは微笑みながら自分の唇に指先を当てた。コレットはそんな彼から視線を逸らしながら肩を落とす。

「本来なら殺してしまうのが一番手っ取り早い方法なんだろうけど、《神の加護》を持つ君を殺すのがもったいなかったんだろうね。そもそも、殺せる人がいるかどうかも怪しいところだし。……まぁ、それで、君が自由になっているということは、力を使わないようにと交わした契約書があると思ったんだよ。そしたら案の定」

「…………」

 ヴィクトルの掲げた誓約書にコレットは青い顔で頭を抱えた。

 そう、コレットは戦争の後、騎士団をやめ自由になることを望んだ。その功績を高く評価し、国王は彼女が騎士団を去ることを承諾。しかし、その代わりとして、一枚の誓約書にサインをさせたのだった。

「完全に忘れてたわ……」

「だろうね」

 コレットからすれば、サインをすれば辞めさせてやると言われたから書いたサインだ。今後、《神の加護》を使う予定もなかったし、使ったとしてもバレてしまうことはないと、高を括っていたところもある。

 その誓約書を懐にしまうヴィクトルを睨みつけながら、コレットは唇を尖らせた。

「で、でも、結婚は……」

「わかってるよ。君は好きな人と結婚したいんだろう? それなら、俺のことを知って、俺のことを好きになれば良い」

 自信満々の台詞にコレットは思わず半眼になった。

「……無理でしょ」

「どうかな、やってみないとわからないよ。……ということで、今回は一つ仕事を受けてもらえないかな?」

「仕事?」

 またも飛び出してきた『仕事』と言う響きにコレットは思わず身構える。

 そんな彼女にヴィクトルは笑みを向けた。

「そう。その間に俺は君に俺のことを知ってもらえるように努力する。どうかな?」

「ど、どんな仕事なの?」

「身体を使う仕事だよ。……君の身体を貸してくれないかい?」

 ヴィクトルはコレットの身体を上から下までじっくりと眺めると、その綺麗なサファイヤをゆっくりと細めた。

 その視線にコレットは思わず自分の身体をかき抱いて、頬をじわっと赤らめさせた。

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