6

《神の加護》

 それは、大昔このシゴーニュ大陸を作った神が、人の長に分け与えたとされる力のことだ。

 その力で人々は森を切り開き、畑を耕し、雨を呼び、作物を実らせ、火をおこし、国を造り、文明を作った。

 ――……と聖典には記されている。

 本当にそんな神がいるのか。

 本当にこの大きな大陸が、聖典の中にあるような奇跡の力で出来たのか。

 実際にそれを知る術はない。

 今生きている人間に神と対話したものもいなければ、聖典だって、国教であるボヌール教だって、国が出来てから作られたものだからだ。

 しかし、シゴーニュ大陸の人々が《神の加護》と呼ぶそれは、実際に存在する。

 大陸を分けている三つの大国、その王家に、今もなお脈々とその力は受け継がれている。

 《神の加護》は様々な形で現れ、ある者は火をおこし、ある者は雨を降らせ、ある者は風を操ることができたという。

 プロスロク王家でもそれは例外ではなく、全員ではないが、何人かに一人の確率で《神の加護》が顕現する。そして、王位を継ぐのは《神の加護》を持つ王子が相応しいとされていた。

 現国王には、腹違いだが三人の王子がいる。

 上からアルベール、ヴィクトル、ルトラスだ。

 その中で唯一、《神の加護》が顕現しなかったのは真ん中のヴィクトルだけである。


◆◇◆


 ヴィクトルは眼前に小さな城を見据えながらのんびりと夜道を歩いていた。店も閉まり、街灯も整備されていないその細い道は、先が見通せないほどの闇に包まれている。

 彼は腰の剣を確かめると、さほど警戒することなく歩を進める。

「これなら馬を持って帰らせるんじゃなかったな。まぁ、置いておく場所もなかったし、仕方ないんだが……」

 そうこぼしながら、ヴィクトルは馬と共に、城に帰したラビを思い出す。

 孤児院に残ると言ったヴィクトルに対して、彼は珍しく怒っていた。「あんな女、やめときましょう」や「どうして貴方が残る必要があるのですか!」と、怒りで赤かった顔が酸欠で青くなるまで怒鳴っていた。

 結局、こうと決めたら梃子でも動かないヴィクトルに、渋々従うような形で帰ってくれたが、きっと、まだ今でも怒っていることだろう。

「ラビにも悪いことをしたな」

 あれだけ怒らせておいて、結局のところ彼女には断られてしまったのだ。しかも、まだ追い詰める隙があったというのに、それも半ばで諦めてしまった。

 でも、それで良かったのかもしれないと、ヴィクトルは思っていた。結局のところ、彼女に『王位を継げない第二王子の側室』なんて、利もなく面倒くさいだけの役目を押しつけなくてすんだのだ。あの温かい生活を壊さないでいられただけでも、万々歳とするべきだろう。

 元々、立場固めとしての結婚だったのだ。

 立ち消えたとしても、なにも問題はない。

 ヴィクトルはゆったりとした思考のまま空を見上げた。一面の星天井に月光が眩しい。

 思わず感嘆の息を吐いたその時だった。思いもかけない声が背中を叩く。

「ちょっと、アンタなにしてんのよ!」

 その声に振り向けば、先ほどまで対峙していた太陽の瞳と目が合った。アプリコット色の髪の毛を靡かせて、彼女はずんずんと歩いてくる。

「仮にもアンタ王子様でしょうが! なんで一人で帰ってるのよ! そもそも、あのラビって人は?」

「……先に帰らせたよ」

 突然の登場に、ヴィクトルはかろうじてそう答えた。彼女は腹立たしげに彼を睨みあげたあと、少しだけ恥ずかしそうに顔を逸らす。

「んじゃ、行くわよ」

「……どこに?」

「帰るんでしょ! 送るって言ってるの!!」

 そう怒ったように言って、コレットはどんどん先に歩いて行ってしまう。

 ヴィクトルは驚いた顔で目を瞬かせた後、そんな彼女を追いかけた。そうして、駆け足で追いつくと、彼女の顔を眺め見た。その横顔は声色と同じようにどこか怒っているように見える。

(十中八九、あのプロポーズのことを怒っているんだろうな……)

 そう冷静に分析をして、ヴィクトルは頬を掻いた。それでも送ると言ってくれている彼女の優しさに甘えるべきなのか、それとも断るべきかも冷静に考える。

 そんな思考に浸っていたとき、彼女の拗ねるような声が耳を掠めた。

「……ありがとうね。孤児院のこと……」

「孤児院?」

 あまりにも小さくて、ともしれなかったら聞こえていなかった声をヴィクトルは反芻する。そして「寄付のこと?」と聞き返した。

 コレットはその言葉に口をすぼめたまま一つ頷く。

「それでも! アンタとは絶対に結婚しないから! そこはよろしく! ……ただ、追い返すようなことをしたのは悪かったと思って。あと、食事のお礼も言ってなかったし……」

「俺がしたいからしただけだ。君は気にしなくていいよ」

 しゅんと小さくなった肩にそう声をかければ、彼女はそれだけで少し気分を持ち直したようだった。

 なんというか、単純に出来ている。

 本当に彼女がかつて『純白の戦姫』と呼ばれた救国の英雄なのだろうか。

 ヴィクトルには隣を歩く彼女が普通の女性にしか見えないでいた。もしかしたら、あの英雄譚は大げさに伝わってしまっただけなのかもしれない。そんな風にさえ考えてしまう。

 そんなヴィクトルの思考をかき消すように、コレットは彼に話しかけた。

「アンタはさ、好きな人と結婚しないわけ? やっぱり王子様ってその辺窮屈なの?」

「……そうだね。側室は割と自由だけど、正室は立場が高くないとなれないかな。それに、政治的な理由もあるしね。自由結婚とはほど遠い世界かなー」

「じゃぁ、私にプロポーズしてきたのも、そういうのが背景にあるの? 《神の加護》と関係ある?」

 意外にも鋭い彼女の指摘に、ヴィクトルは笑みを強くする。

「そうだね。なに? 今からでも結婚する気になってくれた? 俺としてはとても嬉しい申し出だけれど」

「いーや! 絶対いや! 死んでもいや!!」

 彼女の反応にヴィクトルは思わず吹き出した。

 先ほどからずっと思っていたが、彼女は見た目よりも反応がずいぶんと子供っぽい。畏まった貴族の令嬢ばかりを見てきたからか、コレットの反応はヴィクトルの瞳にとても新鮮に映った。

「結婚ってさ、その人と家族になるってことだから、好きじゃない人とは続かないと思うのよねー。続いたとしても楽しくなさそうだし! だから、ヴィクトルもさ、ちゃんと人を選んだ方が良いと思うよ。……まぁ、選べないのかもしれないけどさ」

「……そうだね」

 結婚に対して特に夢を見ていないヴィクトルは、コレットの言葉に苦笑いで頷いた。その様子をどう思ったのか、コレットはヴィクトルの前に立ちはだかる。そしてにっこりと笑って見せた。

「じゃぁ、私が祈っておいてあげるわよ! ヴィクトルがいい人と結婚できますようにって! 一応、孤児院って教会の一部だからさ! 教会での礼拝も、毎朝しているし!」

「祈る……?」

「うちの教会、神様に良く声が届くって実はちょっと有名なのよ? 明日の朝は、ヴィクトルが幸せになれますようにって、祈ってあげるわ!」

 その言葉にヴィクトルは思わず固まった。そして、ほとんど誰も見たことがないであろう気の抜けた顔で、彼はコレットをまじまじと眺める。

 コレットはそんな彼の様子に気付かぬまま、困ったように笑いながら頭を掻いた。

「……というか、それぐらいしか、返せるものがないのよねー。うーん、あと、こうやって送るぐらい? ごめんね。なにも持ってなくて」

 ちょっと俯きながらコレットは頬を掻く。

「……いいや。ありがとう。本当に嬉しい」

 眦を下げながらヴィクトルがそう笑ったその時だ。

 地面を揺さぶるような爆発音が轟いた。木の陰に隠れていた小鳥たちは一斉に飛び出し、空を覆う。

 辺りを見渡すと、夜にもかかわらず煌々と光る場所があった。森の奥だ。

「火?」

「大変っ! 山火事になっちゃうっ!」

 悲鳴を上げるようにそう言って、コレットは下唇を噛む。

「ティフォン!」

 そうして、コレットはなぜかここにいない少年の名前を叫んだ。

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