5

「で、なに?」

 コレットは机とベッドだけが置いてある小さな自室の隅で低くそう唸った。

 腕は組まれていて、その視線はまさしく彼を警戒している。

 ヴィクトルは後ろ手に扉を閉めると、コレットの部屋を見渡して「よく手入れされている良い部屋だね」と笑った。そんな彼にコレットはますます警戒を強めていく。

「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。そもそも、戦姫と呼ばれた君に俺が勝てるわけがないだろう? 俺はただ、君と仕事の話がしたいだけだ」

 降参を示すかのようにヴィクトルは両手を挙げたままそう笑う。

 コレットはそんな彼から少しだけ警戒を解きながら、先ほど聞いた言葉を怪訝な顔で反芻した。

「しごと?」

「そう、仕事。君が俺の立場とか容姿に動かないのはよくわかった。だから仕事だ」

 先ほどとは打って変わって真剣みを増した声に、コレットも少しだけ背筋を伸ばす。

「俺と結婚してくれないか? そうすれば、この孤児院に国から援助が出来ないか掛け合ってみよう。もし掛け合って無理だったとしても、毎月、俺自身がいくらか寄付をするつもりでいる。それだけでも生活が良くなるはずだ」

「それは……」

 その甘美な提案にコレットは思わず息を飲む。

 そんな彼女をたたみかけるかのように、ヴィクトルは言葉を続けた。

「君の噂は聞いているよ。十二歳の時に騎士団に入ったのも、経営が立ちゆかなくなりそうな孤児院のためだったらしいね。今回の件はそれより簡単だとは思わないかい?」

 最後に優しい笑みを向けられて、コレットはそのまま黙ってしまう。

 コレットが騎士団に入ったのは十二歳になったばかりの頃だった。

 十二歳になって、なぜか使えるようになってしまった不思議な力のおかげで、彼女は騎士団にスカウトされたのだ。

 当初、コレットは騎士団に行くのを嫌がっていた。コレットは元々おてんばではあったが、諍いごとは好きではなく、どちらかといえば平和主義者。いじめられた子供を助けるために喧嘩したことはあっても、好きで喧嘩などしたことなかったからだ。

 しかし、当時の孤児院の経営状態はあまり良いとはいえないものだった。冬になり、畑の作物が取れなくなると、食べるものも満足にない状態になることもままにあった。

 だから、コレットは騎士団に行くことを決めたのだ。騎士団に行けば身請け金も孤児院に入る上に、お給料だって毎月送ることが出来る。そう思ったからだ。

 シスターや子供達は散々反対したが、もう決心の決まっていたコレットは皆が眠っている夜中に孤児院から飛び出して、そのまま騎士団に入隊したのだ。

 そんな過去の話を持ち出されて、コレットは一気に冷静になった。

 そして、組んでいた腕を解くと、ヴィクトルの前に背筋を伸ばして立つ。

 その太陽の瞳は決意に揺れていた。

「ヴィクトル・ジェライド・プロスロク、って言ったわよね、貴方……」

「あぁ」

 名前を再度確認して、コレットは居住まいを正した。そして、深呼吸をする。

「ヴィクトル・ジェライド・プロスロク殿下。私は貴方との結婚を……」

 凜とした声が部屋に響く。

「お断りします!!」

 あまりにも鮮やかな一刀両断だった。

 コレットは先ほどまでの冷静な顔を収めると、感情を爆発させる。

「大体、私は結婚は好きな人とって決めてるの! それに、アンタの孤児院を引き合いに出すその根性が気に入らない!! 嘘でも『好き』とか『愛してる』とか言っときなさいよ! そっちの方がまだましだわ!!」

 部屋の外まで響いてしまうような声だが、気炎を上げはじめたコレットは止まらない。

「あと、孤児院は私の家で、子供達は家族よ! 皆もそう思ってくれてるはずだし、私はそのことに甘えているの! 私は孤児院いえのせいで不幸になるつもりはないわ! 騎士団に入ったときの頃は仕方がなかった。でも今は、皆笑顔で暮らせている! アンタなんかにお金を出してもらわなくても、私が一生懸命稼いで皆を幸せにしてあげるんだから、余計な茶々は入れなくて結構!!」

 その気炎を上げたまま、彼女は足を踏みならす。踵から踏み込んだその足は、薄い木の床を破ってしまいそうなほどだった。

「それだけ! 終わり!!」

 そう言い切って、コレットはそっぽを向いた。

 ヴィクトルは少し驚いた顔をしてその光景を眺めていたが、やがておかしそうに肩を揺らして笑い出す。

 コレットはその笑われたことが気に入らないのか、口をすぼめて、拗ねるような声を出した。

「なによ。結婚とか、ほんと無理だからね」

「なんでもないよ。そうか、君の気持ちはわかった」

 笑みを零しながら何度も頷く彼をコレットは怪訝な顔で見つめる。

 ヴィクトルはそんな彼女に笑顔を向けてから踵を返した。そして、ドアノブに手をかける。

「もう会うこともないだろうけれど、元気でね。色々、楽しかったよ。食事は君の分もちゃんと作っているから、温め直して食べてね」

 あっけないほどの幕引きに、今度はコレットの方が困惑してしまう。てっきり、もっと色々な方法で結婚を迫られると思っていたからだ。

 そんな心中を探られまいと、コレットはふいっと顔を背けた。

「私の分は残ってないわよ」

「残ってるよ。あの子達は優しい子ばかりだから、君の分と分けているものに手は出さないだろう」

 わかったような口をきいて――……、

 そうは思ったが、彼が子供達と仲良くしていたのは事実だ。コレットほどではないが、彼らだって貴族やお金持ちにそれなりの引け目を感じているところがある。なのに、この王子様はいとも簡単に子供達と仲良くなったのだ。

 それは、だた彼が腹黒いだけの男ではないことの証明のような気がした。

「それじゃぁね。本当に楽しかったよ」

 そう言って、彼は部屋から出て行く。しばらくして、「ヴィク、もう帰っちゃうのー?」と言う子供達の残念そうな声と、玄関が閉まる音が聞こえてきた。

 ヴィクトルが部屋から出て行って五分後、コレットもようやく一階に降りた。

 そこでは楽しそうな顔で食事をする子供達の顔がある。神の聖誕祭でも、収穫祭でもないのに、彼らは普段食べないごちそうを前に、はしゃいでいるようだった。

「おねぇちゃんも食べよう!」

「とっても美味しいよ!!」

 姉貴分が降りてきたと気付いた子供達はそう両手を引いて、彼女を席につかせる。

 コレットの席には彼女分の食事と

『これはコレットの分だから、食べちゃダメだよ』

 というヴィクトルのメモ書きが残されていた。

「優しいやつなのよね。多分……」

「いい人ね、ヴィクトルさん。コレットちゃんのお知り合いなんでしょう?」

 呟きに被るように、後ろからかけられた優しい声に振り向けば、そこにはおっとりと目を細めるシスターがいた。彼女は真っ白な白髪を修道服の頭巾ウィンプルの中に隠し、目尻の皺を深く掘り下げながら、コレットに微笑んだ。

「ヴィクトルさん、今月から毎月、この孤児院に寄付をしてくださるんですって。本当に、心の広い方よね」

「え? ……なんで? いつ?」

 その話はコレットが結婚を突っぱねたことで消えたはずだ。なのに、なぜシスターがその話を知っているのだろうか。

コレットが恐る恐るそう聞けば、シスターは本当に驚くようなことを言った。

「今朝ね。ヴィクトルさん、お付きの方と一緒にここを訪れて、コレットちゃんの行方を聞いてきたのよ。その時に……」

 聞けば、コレットに会う前に、彼はここへの寄付をもう決めていたというのだ。しかも、帰る間際もその事は忘れておらず。『今月分はすぐに送らせますね』と笑っていたという。

「うふふ。本当に奇特な方ね。お金持ちが苦手なコレットちゃんとも仲良くしてるみたいだから、本当にいい人なのよね。どこの方なのかしら」

 コレットちゃんは知ってる? と言うように首を傾げられたが、彼女の心中はそれどころではなかった。

 嘘をつかれた腹立たしさや、良くしてくれたのに怒鳴ってしまった罪悪感。どうして彼が自分と結婚したがったのかという不思議と、単純に感謝。

 いろんな感情がせめぎ合って、気がついたら勢いよく立ち上がってしまっていた。そして、声を張る。

「私、ヴィクトル送ってくる!」

「え、ねぇちゃん?」

「あんな優男が、夜道一人じゃ危ないでしょ? 家まで送るのよ!」

 そう言ってコレットは、そのまま飛び出していった。

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