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「これ、一体どういうこと……」
部屋に入ると、そこは別世界だった。
いや、別世界ではない。皆が座れるようにと何度も継ぎ足された長椅子も、壊れかけのテーブルも、そのまま。壁の染みだって見覚えのあるものばかりだ。
しかし、そのテーブルに置いてある料理にコレットは息を飲んだ。
ごろごろと大きなお肉の入ったビーフシチューに、シャッキシャキのサラダ。大きな魚のトマト煮に、鮮やかな彩りのテリーヌ。
その他にも思わず生唾を飲んでしまいそうな料理が、所狭しと机の上に並んでいた。
コレットの持っているパンなんか霞んでしまうぐらいの豪華な料理である。
「君が遅いからついつい作りすぎてしまってね」
「これ、アンタ……じゃなくって、貴方が、作ったんですか?」
「アンタで大丈夫だよ。ヴィクトルとか、ヴィクでも構わないけどね。それと、敬語も気にしなくて良い。話しやすいように話して」
笑みを零しながらヴィクトルはそう言う。
コレットはそんな読めない笑顔を見せる彼に一つ息を吐きながら、頭を掻いた。
「じゃ、改めて。これ貴方が作ったの?」
さすがに『アンタ』というのははばかられたらしく、『アンタ』を『貴方』に言い換えて、コレットは言葉を砕いた。
ヴィクトルはそんなコレットの様子に満足げに頷く。
「そうだよ。考え事をするのに料理は最適だから、自然と身についてしまってね。暇つぶしに作らせてもらったんだ。味についても、食べれないほど酷い味ではないと思うよ」
ヴィクトルの後ろで子供達が「味見したけど、美味しかった!」と元気よく答える。
ヴィクトルの腕の中にいるソフィーは「あーん、してもらっちゃったの!」と頬を染めていた。
彼はそんな彼女の頭を撫でながら砂糖菓子のような声を出す。
「君たちが買い出しに行ってくれたおかげで良いものが作れたよ。ありがとう」
「ううん! お使いとっても楽しかった!!」
彼の胸板に頬を擦りつけながら、ソフィーが甘える。その顔はどこからどう見ても恋する女の子だ。よく見てみれば、周りの女の子達も同じような視線をヴィクトルに送っている。
先ほどへディがソフィーの頭の中をお花畑と表現したが、なるほど、言い得て妙である。
女の子達の甘ったるい視線をたどりながら彼の顔を見れば、彼はどこまでもさわやかな笑顔をコレットに向けた。
その瞬間、後ろで黄色い声が上がる。
四歳になったばかりのソフィーがうっとりとしているのだ。当然と言えば当然である。
ずいぶん懐柔されてしまったらしい子供達を眺めながら、コレットは「そう」とだけ、返事をした。
「……で、最初の疑問に戻るけど、なんで貴方がここにいるの?」
「だから、プロポーズの返事を聞くために、だよ。あの時のコレットは急いでたみたいだから返事を聞けずじまいだったしね」
「プロポーズ!?」
ヴィクトルの言葉に子供の一人がそう声を上げる。それを聞いて、コレットはしまった、と頬を引きつらせた。
「プロポーズって、あのプロポーズ!? 結婚しましょうってヤツ!?」
「えっ! ヴィクとコレットねぇちゃん結婚するの!?」
「結婚!? 結婚!?」
「けっこーん!」
なにやら勝手に盛り上がりだした子供達に、コレットは焦ったような声を出した。
「しない! しない! 絶対にしない!! なんで私がこんなヤツと!!」
「こんなヤツって酷いなぁ。コレット、あの熱い抱擁を交わしながらした約束は嘘だったのかい?」
「あついほうよう?」
「やくそく?」
ヴィクトルの言葉にまた子供達が反応をする。
コレットは怒りと羞恥で頬を真っ赤に染め上げた。
「私がいつアンタとどんな約束をしてっていうのよ! 勝手なこと言わない! 子供達が勘違いするでしょうが!」
「勘違い。……そうか、君の想いは俺の勘違いだったんだね。たった一晩、君と一緒に過ごしたからって、君は俺のものではないのにね……」
「だから、変なこと言わないで! みんな! コイツの言ってることは全部嘘だからね!! 騙されないで!!」
深窓の令嬢もかくやという儚げな顔を見せるヴィクトルと、般若の形相で彼の鼻先に指を突きつけるコレットを子供達は何度か見比べる。
そして、全員揃ってヴィクトルの方へ駆け寄ると、コレットに向かって非難の声をぶつけた。
「コレットおねぇちゃん、ひどい!」
「ちゃんと責任取ってやれよな! ヴィクが可哀想だろ?」
「うぅ……、ヴィクが幸せなら、わたし……わたし……」
「けっこーん!」
「ちょ、ちょっと、アンタ達……」
いつもは可愛いはずの子供達が全員ヴィクトルの方についてしまうという異常事態にコレットの声は上ずる。
信じられないといった顔でヴィクトルを見れば、彼はコレットにしかわからないように、にっこりと微笑んでいる。
(あ、こいつ絶対性格悪い……)
思わず青筋が立つコレットである。
ヴィクトルはコレットに向けていた笑顔を今にも散りそうな儚げな表情に変え、子供達の頭をそっと撫でた。
「俺はコレットと結婚する気だったけれど、彼女の気持ちを一番に考えたいから今回は諦めるね。もうここへ来ることはないかもしれないけれど、君たちも元気で……」
目の縁に涙を光らせてそう言うヴィクトルに、子供達はまるで彼に追いすがるように抱きついた。
「まってよ、ヴィク! 来なくなるなんて嫌だ!!」
「僕たちが協力してあげるから、そんなこと言わないで!」
「私もヴィクのためなら、協力する!」
「コレットお姉ちゃんとの仲を取り持てば良いんだね!」
「ちょ、ちょっと!!」
「ありがとう」
焦るコレットに、微笑むヴィクトル。
コレットの実家にもかかわらず、
ヴィクトルは先ほどの涙なんて全く感じさせない笑顔を子供達に向ける。
「とりあえず、コレットと二人っきりにさせてもらえるかな?」
「おっけー!」
「二階におねぇちゃんの部屋があるよ!」
「頑張ってヴィク! 絶対に邪魔はしないから!」
「けっこーん!」
口々にヴィクトルの背中を押すような声が子供達から飛び出る。その事にコレットは口を開けたまま動けなくなってしまう。
(う、うちが……落城した……)
城ではなく、孤児院なのだが。
気持ちは落城した城の主と同じ気持ちだ。隣国の貴族の城をいくつも攻め落とした経験があるコレットにとって、それは初めての敗北に近かった。大げさだが……
「ありがとう。君たちは先にご飯を食べていて。ちゃんとシスターの言うことを聞くんだよ?」
「はーい!」
良い返事をしながら、全員が同じタイミングで手を上げる。
「それでは、君たちの大事なお姉さんを借りていくね。いこう、コレット」
「い、いやよ! なんで――っ!」
「手を引いても良いんだよ?」
目の前で笑顔のまま手をわきわきと動かされる。もうそれだけでコレットは目眩がしそうになった。
「やだやだやだ! 触らないで! 痒くなるんだって!!」
「ほら、コレット」
「ひっ!」
引きつった悲鳴を上げながらコレットは壁際まで追い詰められる。細められたサファイヤはどこまでも楽しそうだ。「行かないとこのまま抱きしめちゃうよ?」
耳元で囁かれた声に全身が逆立った。低くて甘ったるい声は蠱惑的なのに、内容が完全に脅しだ。
コレットは慌てて階段を駆け上った。
「す、少しだけだからね! 早く来なさいよ!!」
「ふふ、こんな情熱的に部屋に誘われたのは初めてだね。今日は熱い夜になりそうだ」
コレットをからかうような言葉に、子供達の頬はあっという間に真っ赤に染まった。中には当然意味がわかっていない子もいるが、年頃の子供達はみんな同じように頬を染めて、コレットとヴィクトルを交互に見ている。
その顔を見て、コレットは相手が王子だと言うことを忘れて声を荒げた。
「変なこと言ってないで、さっさと来なさい! この腹黒男が!!」
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