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「一応、婚礼用の黒馬車は持ってきたんだが、この細道に入ることが出来なかったから近くに置いてきたんだ。すまない」

 そう言いながら、ヴィクトルと名乗った彼は、軽やかに馬から飛び降りた。それに倣うようにして、彼の配下であろう男も渋々といった感じで馬から下りる。

 ヴィクトルはコレットの前に立つと、まるで精巧に作られた美しい人形のような笑顔を向けた。

 絹糸のような黒い髪の毛に、闇の中で光るようなサファイアの瞳。身長もすらりと高いのに、身体の方はほどよく引き締まっている。

 その彫刻のような見た目は綺麗を超えてどこか恐ろしく、それでいて、絡め取られるような妖艶さを含んでいた。

 しかし、美醜に対してほとんど興味のないコレットは、そんな端整な造りの顔を前にしても、顔色を一切変えることはない。

 ただただ、先ほどの言葉の意味をはかりかねて絶句しているだけだった。

 そんな黙ったままの彼女の様子をどう取ったのか、後ろの従者は呆れた表情で頭を振る。ヴィクトルは一つ頷いただけだった。

 たっぷり三十秒は絶句しただろうか、呆けるコレットの前に不機嫌な顔の従者が歩み寄る。そして、腕の中にある書類に目を落とした。

「それでは、コレットさんには一両日中に城へと赴いて貰い、誓約書を交わした後、後宮へ入って貰うことになります。後宮と言っても、ヴィクトル様の側室はまだコレット様お一人だけですので、お部屋を用意しているだけになりますが、その辺はご了承……」

「え、ちょ、ちょっと待って! 事態がよく飲み込めないんですけど!!」

 真面目くさした男の言葉を遮りながら、コレットは血色の悪くなった顔を片手で覆った。

 そんな彼女の様子に、従者の彼は眼鏡を手で押し上げながら不機嫌そうな声を出す。

「ですから、ヴィクトル様との婚姻手続きを……」

「いや、いや、いや!! なんでそうなるんですか!? いきなり現れて、なんで結婚!? しかも、決定事項みたいな雰囲気出すのやめて欲しいんですが!」

 ようやく思考が動き出したのか、コレットは一気にそうまくし立てた。

 そんな彼女の迫力に最初は驚いたような彼だったが、次第に顔を真っ赤に染め上げ、怒りの表情を露わにした。

「ま、まさか、後宮に入れられるのが気にくわないと!? 平民の、しかも、孤児の分際でありながら! 貴女は正妻を希望するんですか!?」

「いや、側室って、体の良い愛人のことでしょう!? 普通に嫌なんですけど! と言うか、『孤児の分際で』とか酷くないですか!? 好きで両親がいないわけじゃないし! 私以外の子供達にも失礼でしょうが!」

「う……」

 さすがに失言を理解したのか、男はコレットを前に押し黙った。そんな彼を後ろに引かせて、今度はヴィクトルがコレットの前に立つ。

「すまない。ラビは俺のことになると熱くなってしまうんだ。先ほどのは確かに失言だったな。主として謝ろう。悪かった」

 そう言いながら頭を下げられて、コレットもさすがに冷静になった。

 ラビも主人にだけ頭を下げさせられないのか、苦渋の表情で頭を下げている。

 コレットが焦ったような声で「もういいですから!」と言うと、ヴィクトルは口元に笑みを覗かせたまま顔を上げた。

「で、君は正妻になりたいのかな?」

「いや、だから……」

「それとも、ちゃんとしたプロポーズをした方が良かった?」

「プロポーズって……」

 コレットは眉間に皺を寄せたまましばらく考え込む。

 そして、申し訳なさそうな声を出しながら、頬を掻いた。

「その前に、……貴方誰でしたっけ? どこかでお会いしたことありました?」

 その瞬間、ヴィクトルの後ろでラビが凍り付いた。

 しかし、それを言われた当の本人は、一瞬目を見張った後「ほぉ」と楽しそうに唇を歪める。

 そして、コレットの足下には笑い転げるティフォンがいた。

「そうだな、ちゃんと名乗っていなかったな。名前を言っただけで通じると思っていた、俺の考えが甘かった」

 そう言いながら、彼はなんとも優雅な仕草で片膝をついた。そして、女性ならば誰もが夢見るだろう、甘ったるい微笑を浮かべる。

「俺の名は、ヴィクトル・ジェライド・プロスロク。このプロスロク王国の第二王子にして、今は国の外交を取り仕切らせて貰っている」

「…………おうじ?」

 良く通る低い声にコレットはきょとんと首を傾げた。

 そんな彼女を後目に、ヴィクトルは完璧な笑みで良く通る低音を響かせる。

「今日は君に結婚を申し込みに来た。どうか、俺と結婚してくれないだろうか」

 そう言ってヴィクトルはコレットの手を取る。

 その瞬間、彼女は青い顔をしてヴィクトルの手から自身の手を抜き取った。そうして、頬を引きつらせながら、先ほど彼が触れた部分を掻き出す。

「あぁっ! 蕁麻疹出てきた!!」

「は?」

 その反応にはさすがに予想していなかったのか、先ほどまで隙のない笑顔を見せていたヴィクトルも、呆けた顔をして固まってしまっている。

「ごめんなさい! 私、金属アレルギーならぬ、金持ち・・・アレルギーなの! 話すだけならまだ出来るけど、触るのは無理!」

「…………」

 コレットは絶句するヴィクトルから数歩後退した。

 そして、くるりと踵を返す。

「そういうことなので、失礼します! このままだと仕事に遅れてしまうので!!」

 そんな台詞を残して、コレットは一気にかけ出した。

 彼女の背中が見えなくなるまで、ヴィクトルとラビは目を瞬かせたまま動けなくなっていた。


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