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 二年前、一人の少女が三年にも及ぶ戦争を終結に導いた。当時十六歳だったその少女は大した鎧も装備も付けず、ただ一降りの白銀に輝く剣で、敵の軍勢を圧倒した。

 不思議な力を操り、数多の敵を屠るその姿は、味方の兵士から見てもまるで悪鬼のごとくだったという。

 向日葵の黄と夕焼けの橙を足したような髪に、淡く燃える黄の瞳。血の染み一つ付いていない真っ白な戦着はどこの戦場でも良く映えた。

 戦場を悠々と歩く少女の姿に、当時の兵士は敵味方関係なく、皆、震え上がったという。

 そして、後に『純白の戦姫』と賞されたその少女は――……


 現在、畑仕事に勤しんでいた。

「コレット、もっと腰を入れるのー! おぃっせー! おぃっせー!」

「うるさい! ちゃんとやっているでしょ!」

 隣で応援する年端もいかない少年にそう声を荒げるのは、コレット・ミュエール。

 かつて『純白の戦姫』と呼ばれ、数多の戦場を駆け巡った女騎士である。

 彼女は現在、白銀に輝く剣を、錆びかけの鍬に持ち替えて、雑草生い茂るだだっ広い土地を耕していた。

 服装も長袖のシャツに袖無しのベスト、長いスカートは動きやすいようにと紐で縛っていて、どこからどう見ても農家の女性である。

 早朝というほど早くはないが、まだ孤児院の子供達が起きたばかりの時間帯。彼女は孤児院いえでまどろむ子供達を置いて、一人働いていた。

 そう、彼女はもともと孤児である。

 十八年前のある冬の寒い日、籠に入っていた赤子のコレットは孤児院の前で置き去りにされた。腕には青色のリボンが巻かれており、そこには『コレット』とだけ記されてあったという。

 それから騎士団に召し上げられるまでの十二年間、彼女は元気に、逞しく、ミュエール孤児院で育ってきたのである。

 そして、騎士団を辞めた今も、彼女は自分の孤児院いえのために働いていた。

 額に滲む汗を手持ちの布で拭けば、彼女は晴れやかな笑みを浮かべる。

「今日はこんなところかしら。後は小石とか、雑草とかを取り除いて切り上げね。ふふふ、早くここに作物が植えられたらいいわね!」

「そうだねぇ。コレット頑張っているもんね!」

 広い土地を見渡してから、二人は顔を見合わせてにこりと微笑みあった。

 コレットの隣に立つ小さな少年は、ぶかぶかの袖でコレットの顔に付いた泥を拭いながら、伺うような声を出す。

「それにしても、本当に良かったの? 戦争での報奨金、残り全部この土地に変えちゃったんでしょう?」

「いいのよ! 私が持っていても使い道なかったし! それにこれだけ広い畑があれば、皆がお腹をすかせることも少なくなるでしょう? いざ孤児院が傾いたときのために少しはシスターに渡してあるしね!」

 抜かりはないのよ、と彼女は少年に向かってVサインを掲げる。

 二年前に戦争は終わったが、報奨金が出たのは一年前。ほとんどの戦場が自国の土地ではなかったとはいえ、戦争が終わってから、国を立て直すのには一年以上の月日を要していた。今もまだ戦争の影響が残る土地もある。

 コレットが小石や雑草を取り始めると、隣にいる少年はその隣に足を投げ出して座り込んだ。しかし、その地面に着いているお尻にも、先ほどコレットの頬を拭ったはずの袖にも、不思議なことに汚れは一切見られない。

 少年は可愛らしい舌っ足らずな声で、農作業に勤しむコレットに声をかける。

「ほとんど孤児院の修繕費に充てて、残りはこの土地。コレットは、自分のためにお金使わないの?」

「元々、ここのために使う予定だったお金だしね。あ、でも、少しは使ったわよ! ほら、あの口紅! あれは自分へのご褒美として買ったやつだし!」

 先々月買ったばかりなのに、もうすぐなくなりそうな口紅を指して彼女は笑う。しかも、そのなくなった原因は、自分が使ったからというわけではなく、孤児院の子供達に使わせてあげたからなくなった、というものだった。

 孤児院には年頃の女の子も多く、また、コレットもそんな彼女たちに甘いため、口紅は買った本人がほとんど使うこともないまま、あと僅かということろまできていた。

 そんなお人好しの彼女に少年は笑みを浮かべて足をばたつかせる。

「まぁ、そんな優しいコレットだから、僕は大好きなんだけどね!」

「ありがとう、ティフォン!」

 ティフォンと呼ばれた少年はコレットに満面の笑みを向けると、その場に寝そべりながら背を伸ばした。

 やはり、その衣服は全く汚れない。

 無邪気に寝転がるティフォンを眺めた後、コレットはため息交じりな声を出しながら、青く澄み渡る空を眺めた。

「でも、本当にそろそろ仕事増やさないとなぁ。今、働いている食堂と時間が被らないのが良いし……。もちろん、そっちの報酬が良いなら、食堂の方やめても良いんだけどね」

「どこかに用心棒のバイトってないのかな?」

「なぁんで、そんなバイトなのよ! 私は普通に食堂とか、青果店とかで働きたいの! できれば、余った野菜とかご飯とか『持って帰っても良いよ!』って言ってくれる、優しい店主さんのところで!!」

「コレットは徹底しているね」

 孤児院育ち故か、とことん徹底的に守銭奴な彼女である。 そんな守銭奴な彼女は、なぜか一番単価の高いであろう用心棒などの肉体労働には一切手を出していなかった。

 コレットは口をすぼませながら、拗ねるように視線を逸らす。

「そりゃ、もうどうしようもなくなったら、仕方がないけど……」

「稼げそうじゃない、用心棒? なんてったって元〝戦姫〟だし! あぁ、でも、コレットは戦姫だったこと、隠したいんだっけ?」

「まぁ、ね」

 コレットはそのティフォンの言葉に頷く。

 彼女が戦姫という過去を隠したがるのにはわけがある。戦争を終わらせた立役者としての戦姫は確かに英雄といっても過言ではない。隣国とのむやみな戦争が彼女のおかげで終わったのだ。もちろん、国民もそのことには感謝しているし、新しく騎士団に入る者だって、戦姫を目指しているものも多いと聞く。

 しかし、それ故に彼女は国民から恐れられているのだ。

 齢十六にして、一振りの剣で戦場を鎮めていったその英雄譚は、国民に畏れだけでなく恐れを植え付けた。また、戦姫がどんな容姿なのかも伝わっていなかったため、それも彼らの不安をあおる原因となったのだ。

 牙と角の生えた化け物女。

 二メートル以上もあるゴリラ女。

 人の血をすすりたいだけの狂った女。

 戦争が終わって約二年、戦姫は国民の中でそんな風に噂される存在になっていた。

 もはや戦姫という肩書は、慎ましく幸せに暮らしたい彼女にとって不必要どころか、無用の長物に成り下がっていた。

 その上、コレットには別の想いもあった。

「〝戦姫〟なんて呼び名、全然可愛くないし! 怖いだけだし! 結婚にも向かないし!!」

「結婚ねぇ。コレットってば、ずっとそういうこと言っているけど、そんなに結婚したいの?」

 ティフォンの言葉に、コレットは胸の前に拳を掲げ、キラキラとした笑みを見せた。

「そりゃ、憧れはあるわよ! 素敵な旦那様と小さいけど可愛い家を持って、慎ましやかだけど幸せに暮らす、ってヤツ! まぁ、それも、孤児院を立て直して、みんなが何不自由ない生活を送れるようになったら、だけどね」

「先は長いねぇ」

「長いわね」

 ティフォンの言葉に同意しながら、コレットは手を動かす。そうして、見える限りの雑草と小石を取り除いた後、背中を鳴らしながら立ち上がった。

「やぁっと終わった! よっし、あとは着替えて食堂に行かないと!」

 次の仕事が待っているコレットは、スカートの土を払いながら、農機具やバケツを片付けていく。その後ろをティフォンがとてとてと付いていく。その歩き方は、まるで歩くことを覚えたばかりの子供のようにたどたどしい。


「そーいえばさ。素敵な旦那様って、具体的にどんな人が良いのさ? コレットみたいに鍛え上げた奥さん貰ってくれる人って、もう肉屋のハリドさんみたいな体つきの人しか考えられないんだけど」

 その瞬間、ティアナの脳裏にハリドさんの逆三角の肉体が浮かぶ。店の前を通るたびに上腕二頭筋を見せつけてくる彼は、もはやお肉を売りたいのか、筋肉を見せつけたいのかよくわからない。

「や、やめてよ!! 別に私より腕っ節が強い人じゃなくても良いし! そもそも、結婚した後だって、戦姫なんて呼ばれていた過去は隠すし!!」

「じゃぁ、どんな人?」

 ティフォンのつぶらな瞳にコレットは目尻を赤くしたまま視線を逸らす。

「そ、そりゃぁ、理想としては、白馬に乗った王子様的な……」

「コレット夢見すぎー! そもそも、その体質なんだから、絶対無理じゃん!」

 言い切る前に爆笑されて、コレットは赤い顔のまま膨れ上がった。

「う、うるさいわね! 別にどんな人でも良いのよ! 優しくて、私のことを一番に好きになってくれるような素敵な人なら……」

「君がコレット・ミュエールかな?」

 そう怒鳴った直後、孤児院へと続く道の方から涼やかな声が聞こえた。コレットが声のした方に顔を向けると、そこには黒い馬と茶色い馬に跨った二人の男性がいる。

 先行する黒い馬に跨った男性は機嫌がよさそうな笑みを顔に張り付けているが、後ろに控える茶色い馬に跨った男性は、眼鏡をしているにもかかわらず一目で渋面だとわかるような表情をしていた。

 コレットはそんな二人を見上げて、引きつった声を上げた。

「は? はい。……どなたですか?」

「俺は、ヴィクトル・ジェライド・プロスロク。突然だが、君に結婚を申し込みに来た」

「……はぁああぁ!?」

 コレット・ミュエール十八歳。

 白馬ではなく、黒馬にのった王子様に求婚プロポーズされました。

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