そして、駒鳥は問う

じっとりと肌に絡みつくような春の終わりの予感をはらんだ風を体でうけながら、足早に校舎の中へと向かう。俺が登校する頃にはもう大体の生徒は登校していて、入ってきた俺に少しだけ興味を示して、それからまたそれぞれの世界へと興味を示す。この教室の一員として迎えられたというよりは、入り込んだといった方が適切な俺という存在は、一カ月がもうすぐたつ今日。すっかりとなじんでいたような気がした。


「お。おはよう。城鐘くん。」


振り向くと立っていたのは、昨日図書委員を一緒にした鳥居だ。相変わらず常に何かに申しわけなさを感じているような表情で俺の前に立っている。俺と目が合うと、怯えたように少しだけ、視線をそらす。


「おはよう、鳥居。今日も図書委員よろしく」


「い、いえ。そんな…そのことなんですけど、今日は図書委員はお休みでいいそうです。先生がやってくれるみたいです」


用事があったから話しかけてきただけなのだろう。鳥居はそれだけ言うと、深々と頭を下げて教室の真ん中にある自分の席へと戻っていった。用事があるときだけしか話しかけてはいけないと思っているのだろう。まあ、話しかけてもらうことができるだけありがたいのかもしれない。


一番前の席にも慣れた。一番前というのは意外に視覚だ。真面目にノートを取るふりをしていれば、意外に寝ていてもばれない。それを俺は隣の少女に学んだ。隣の少女、神崎さんはまだ、授業も始まっていないというのにもう机に突っ伏すように寝て、穏やかな寝息を立てている。俺の調べがあっていたとしたら、この神崎と鳥居が去年は図書委員だった。

百合子が死ぬ前、最後に目撃されたのは図書室で、図書室の前の廊下には鞄が置かれたままだった。そこから、百合子が死体で発見するまでの間にあった人間はきっと、数が限られていることが推測される。


「おはよう、神崎」


「んん~おはよ~もう一時間目?」



神崎はゆるく体を天井からつるされているように上に伸ばすとそのまま、ふにゃりと倒れこむ。机の上に置かれたブランケットがその衝動で少し弾んで、彼女の丸っこい頭を受け止める。


「まだ眠たいね~時差ボケ?もともとのボケ?」


「はは…まあ、朝早いし、仕方ないだろ」


「城鐘くんは朝早いの得意みたいだね。なんかコツとかあるの?」


コンビニのシフトの関係で早朝のシフトとか、夜通しで裁縫とかやってたから。と、そうすんなりと言葉が出かかって、急いでそれを喉の奥、胃の中にまで押し込む。危なかった。この少女の雰囲気は余計なことまで口走りそうになる。柔らかい笑顔はこの世のあらゆる敵意とか、棘とかを落としたもののようで、全体的に柔らかくまるい。

コンビニのバイトのことをばらしてしまうと、次から次へと聞きだされて俺が百合子の身内であることも暴かれてしまいそうだ。

曖昧に笑って適当にぼやかすと、それ以上神崎は追求してくることはなかった。彼女の耳を飾る大きめのイヤリングが彼女の動きに合わせて、ゆらゆらと揺れる。


「おはよう、白鐘くん。永遠ちゃん。」


小指は俺よりも遅く登校してきていて、小さい体には似合わないリュックを背負っていた。リュックに背負われているといっても違和感がないような少女は、俺を見てまたゆっくりと笑顔をつくる。


「城鐘くん、図書委員お疲れ様。昨日は暗くならないうちに帰れた?」


「なんとか。小指は美化委員だっけ。今日もなんかあるんだろ?」


「うん、今日も掃除道具がそろっているかのチェックがまだ終わってないから。本当は今日、放課後図書室に本を返しに行こうと思ってたんだけど。間に合わないから、また今度かなあ」


「あー…だったら、俺返しとくよ。俺も昨日借りた本一冊帰そうと思ってたし」


「お~城鐘くん!優しいね!やさおってやつだね」


申し訳なさそうにする小指を神崎からの援護もあって、なんとか納得させていると、あっという間に始業のベルが鳴る。散り散りになっていた少女たちは、座席表の順番に集まり始める。今日もまた、一日が始まる。ノートを取り出して、広げてまとめている事件の時系列を整理し始める。とりあえず、鳥居と神崎のどちらかに最後にみた百合子の様子について聞かなければならない。俺が最後にみた百合子は笑顔など見せることもなかったが、二人の同級生にはもしかしたら死の前に笑顔を見せていたかもしれない。

俺はどうしても、死ぬ前の百合子に笑っていて欲しい。欲しかった。



「城鐘」


薄くチャコペンで引かれた線の上に細かい縫い目をつくっていく。等間隔に曲がることなく縫い上げることが求められているらしく、ただただ息を吸うように新しく縫い目をつくっていく。その一つ一つがいつか完成し線になって、違う布同士を同じものへと繋げていくのを想像することが好きだ。想像している時は、何も考えなくていい気がする。


「しーろーがーねー」


「あ、はい」


「返事だけはいいな。返事だけは。だが、お前が教師である俺を無視したということは変わらない。」


「あ、すいません。集中してました」


「あーうん。素直だな。もう授業後の居残りもタイムリミットだ。俺の職員会議もあるし。どうしても進めたいなら、家に帰ってやるか?持って帰っていいぞ…って、なんだ。もうほとんど追いついてるな」


最後の授業は服飾で、夏にある検定に向けての練習をしている。なんでも一年生から継続して行っている作品の提出も検定の練習を兼ねているらしく、当たり前に遅れている俺はこうして居残って作品をつくっているところだった。そして、もう一人。


「…こうなんだろう。縫い目がね、まっすぐだったはずなんだけどね…うう…いつの間にか糸が切れてる」


「神崎…お前は強制で持ち帰れよ。んじゃ、鍵はそのままでいいから暗くならないうちに帰れよ」


俺の正面に座って作業していた神崎は、未だ縫い目があまりない布を持って机に突っ伏していた。そんな神崎を少し同情したような目で見つめて、麻生は去っていった。残された俺は、神崎に何と声をかけていいかわからずに彼女の動きを見守るしかなかった。


「…神崎は多分、糸を引っ張る力が強いんじゃないか。だから、糸がちぎれちゃうんだと思う」


俺の言葉にゆっくりと起き上った神崎は、大きく頷く。自覚は痛いほどにあるようだ。神崎の近くで作業していると、数分おきに何かがちぎれる音がして、その後、彼女の小さい悲鳴が響く。


「城鐘くんは女子力高いね…きっと、調理実習とかもそつなくこなしてるんだよねえ。永遠のように、ちぎったり、わったりとは縁のない生活をしているんだね」


物がちぎれたり、割れたりすることと縁の深そうな生活をおくっていそうな神崎は静かにちぎれて、しまった糸くずたちを集めだした。そして、帰り支度を始める俺に合わせるように少ない荷物を一つにまとめていく。


「そういえば、城鐘くん。これ、おみやげ」


神崎から、渡されたのは箱に入った白い百合のドライフラワーだった。箱の中に美しく飾られた百合には、命が終わっている匂いを感じたけど、それと同時に美しさを閉じ込めることへの少しの優越感と罪悪感を感じた。

有無を言わさずに手渡された箱を受け取るときに香ったのは、甘いハンドクリームの匂いで、それは先日真理愛からも香った優しい匂いだった。


「これ良かったら、百合子ちゃんの仏壇に供えて。…お葬式いけなかったから」


「え」


言葉にできたのは短い驚きだけだったけれど、胸の中に渦巻き始めたのは、もっといろいろな感情だった。動揺なんてかわいい衝撃ではなかった。頭を直接つかまれて、思いきり叩きつけられたように頭の中の感情がぐしゃぐしゃになる。

百合子。という名前を俺に向かって、何のためらいもなく、自然にナイフを向けるようにあてがわれたのは、この瞬間が初めてだった。

俺という転校生が百合子とつながっていることを何人かが、もしかしたら、全員が知っていたかもしれない。勘付いていたのかもしれない。でも、それでも。恋人と勘違いされているなら、その方が動きやすいと思って、放置していた。

だが、きっと目の前の少女が言っている俺と百合子の関係は、恋人なんてものではないことをわかりきっているような、すべて最初から、俺のはった薄い膜など、見透かしていたような発言だ。


「あれ?ああ!そっか、城鐘くん、寮だったね。ごめんね、今度おうちに帰った時でいいから」


「ちがう、そうじゃなくて。そうじゃなくて、神崎。ききたいことがあるんだ、アンタ、俺と百合子の関係をなんだと思っているんだ」


「え?兄妹だよね」


それには何の疑問符もついていなかった。その関係性が真実だと彼女は確かにもう確信していた。最初からもう、俺と死んだ自分のクラスメイトがどんな関係だったのかを理解していたのだ。


「それは、いつ知ったの?」


「もしかして、内緒のことだった?だったら、ごめん。私は復学した時にたまたま職員室で耳にしただけだよ。クラスの子に聞いたわけじゃないから安心して」


「クラスに。このことを知っている奴はいるんだよな」


「え、それはもちろん。何人かだとは思うけど。私も誰がとかはうまく言えないけど、百合子ちゃんと仲が良かった子なら知ってると思うよ」


「たとえば」




放課後の図書室には誰もいなかった。こんな時間の図書室に人がいるほど真面目な高校ではないし、自習目的の生徒だっていない。ここには、誰にもめくられたことのない本だってあるかもしれない。そんな空間だ。窓辺の席に静かに腰かける。窓から入る夕日がじんわりと体に熱をともす。走ったからか、汗で冷えていた体が少しずつほだされていく気がした。なのに、頭の中はすっかり冷え切ってしまっていて、先ほどの出来事ですら、あんなに揺さぶられた感情ですら、どこか遠くに流されていってしまった気がした。


ポケットに入れておいた、そのままひらかれることのなかったあの日、貰った手帳を開くことを決意する。簡単に開ける恥なのに、指先に何か細い糸のようなものが絡まって、うまく動かすことができない。

俺がこの手帳を貰った当日に開けなかったのは、俺が登校初日のあいさつで自分の正体を灰村百合子の家族だと打ち明けなかったのは。もしかしたら、単純に、本当に呆れてしまうほど格好悪い理由だけど。

俺をあっさりと受け入れてくれて、大好きな裁縫をさせてくれて。だれも気持ち悪いなんて言わずに、受け入れてくれて。それが、初めてだったから。それが嬉しかったからだ。


自分のすがすがしいほど、気持ちが悪い考えに嫌気がさす。とっとと、この手帳に書いてある情報と、自分の中にある情報を繋ぎ合わせて、百合子は運悪く殺されてだけで、あの日も普通に俺のもとに帰ってきてくれるつもりだったのだと安心したらいい。そして、結局百合子が嫌いなのは、俺だけで。この学校にいる誰にも罪はないのだと、知ればいい。

それだけだ、それだけでよかったんだ。

手帳を開く。最初に灰村百合子という人間の簡単なプロフィールと、事件の端的なまとめが描かれていた。家族構成では、前明智が口にしたそのままの文が俺の名前の下に書かれていて、それは俺という人間の生きてきた人生の色のなさを表しているようだった。

『百合子の交友関係については、周りに対しても冷たく愛想のない態度であったことからクラスでは浮いた存在であった。だが、その外見と強気な姿勢からいじめには発展していなかった』

『恋愛について悩んでいた。昔付き合っていたのは、普通科のハルという子。今も付き合っていた彼氏はいたが、その人物については彼女と仲のいい生徒しか知らなかった』

『よく口論していたのは、七瀬、永遠、かえで、るな。ここの4人と仲が悪かった?』


百合子についての情報を知る度にますます俺が知らない少女になっていく。俺の知らない少女は、俺の知らないところで自由に生きて、そして悩んで、恋をしていた。

それが、どうしても許せない自分が大嫌いだ。

ページを捲る。次のページはより、乱雑な字で書かれていて、筆圧も濃く、興奮が伝わってくるようだった。

『犯人の萩尾は百合子の殺害について、否定していた。死体があったからバラバラにしたと話している?』

『萩尾の証言によると、呼び出されていった。目の前に死体があった?それをバラバラにした。神様のプレゼント』

『萩尾は女性に恐怖心を抱いている。小さい少女は殺せても、高校生を殺せるかは…』

『みとめた、誰かに殺された死体があって、バラバラにした?→最初からころした』

『心臓に刺し傷あったと。致命傷ではないものの痛みでのたうちまわり、窓から転落?(おとされた)バラバラにして、頭は教室に飾った』

『自殺の可能性もあり。生徒による他殺?萩尾の犯行?』


文字列を何度も繰り返し読む。読んでいるだけで、それが頭の中で処理できるかというと謎だった。百合子を殺した犯人は、本当にテレビで報道されている人なのだろうか。彼に憎しみという感情がないといえば、うそになる。ただ、彼のような人に百合子を殺すことができるかと、そう問われたら。俺はなんて答えるだろう。

ついに最後のページになる。それを捲る指先はもう自分の者でないような気がした。


『百合子の遺書あり クラスメイトが持っていたと。持っていたクラスメイトは    。

両親希望で他言されず、内容。私が呪ったのは二人』


その呪ったという言葉は、俺が最後に百合子にかけられた言葉だった。


「愛」


そう呼ばれて、呼ばれた気がして振り向く。夕焼けの逆光でうまく、目の前の映像とピントを合わすことができない。薄れて、ぼやけてようやく開けてきた視界に少女が移る。

黒いつややかな長い髪、透けるように白い肌、そして。幻ではない彼女は、セーラー服ではなく、この学校の制服を着ていた。

俺がうまく思い描くことのできなかった灰村百合子がそこに立っていて、静かに俺に手を振っていた。

そして、扉を閉めて消えていく。

あの日のように俺の前から消えていく。


「っ!リリィ!」


気づくと、もつれそうになる足を必死に動かして走っていた。俺の思い描いた虚像ではない彼女がそこにいるのかもしれないと。もつれる足と、絡まる思考を置き去りにして、ただ体を動かしていた。わざとらしく、俺に道を示すように走っていく彼女に、俺はただすがるしかなかった。都合の良い妄想でも縋っていたかった。



たどり着いたのは、校舎の端にある美術室だった。立てつけが少し悪い重たい扉を開けても、そこには誰にもいなかった。時が止まったように、空気が冷たいまま、俺を無音で迎えている。

奥につながる扉が部屋の隅にある。恐る恐る進むが、そこにも誰もいなかった。デッサン用の彫刻と、乾いた絵の具にあるパレット。それから、白紙のスケッチブックが無造作に置かれていた。

部屋の真ん中に、また、扉がある。その扉は閉まっていて、もうずっと空いていないような印象を受ける。外の空気などを遮断するような冷たく重たい扉のノブに手をかけて、少し躊躇する。この先には、おそらく誰もいない。なのに、どうして。この扉を開けなければと、胸がざわつくのだろう。

何もなくていいと、自分に言い聞かせるように、祈るように扉を開ける。それは押し開ける音は、どこか悲鳴にも似ていた。


扉の奥は白い、ただただ白かった。ただ、俺が言葉を発することができなかったのは、この箱のような空間にあった光景だった。


白いウエディングドレスがそこにはあった。シンプルな誰もが最初に描くであろう純白のまとう幸福がそこにあった。そのドレスは、俺が子供のころ百合子に、リリィに自慢するように見せつけた初めてのデザイン画のドレスだった。それが、どうしてここにあるのだろう。ちゃんと、触ることのできる幸福としてここにあるのは、いったいなぜ。

そして、そのドレスの隣にたたずむのは、俺の想像した少女とは少し違う黒髪の少女だ。


「らぶくん」


「そう呼んだのは確かに百合子だけだった。あんた、いったい」


「違うよ。あいくんは、リリちゃんのことリリィって呼んでたはずだよ。私知ってるよ。二人のことは全部」


振り返った少女は髪の毛を引っ張って、振り払うように首を振る。まとわりつく全てを振り払って、俺をまっすぐにみつめる。

そして、現れたのは色素の薄い髪を一つにまとめた少女。俺がこの学校で一番最初に出会った鈍く光る少女。


「こゆび?」


「初めまして、愛君。私は百合子ちゃんの友達の小花 小指。このドレスはね、リリちゃんがつくったんだよ」


「なにいって」


「これは呪い。そう、リリちゃんはいってた。そう、私に言ってたよ。ねえ、愛君。呪いって何?二人のうちの一人は愛くんなんだよね」



小指が発する言葉はきっと、生前の百合子の言葉だ。ちらつくのは、あの日の、あの最後の日の彼女の言葉だ。

小指の後ろに百合子が立っているのが見える。百合子の瞳は、あの日と同じ俺に対しての感情をすべて詰め込んだ、あの瞳だった。


「ねえ、愛くん。二人に何があったの?愛君はここに何しに来たの?」



喉に何かが張り付いて、それから目の前が少しだけ、ほんの少しだけ。暗くなっていく。それでも、俺は、彼女に、彼女たちに伝えなくてはいけないのだろう。

俺という人間が、百合子に何をしたのかを。きっと、そういう順番なのだ。


「俺は、百合子に謝りたい。それだけなんだ」







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